第21話 カエデの過去

 私には両親が居ない。

 父さんの名前も知らなければ、顔も見たことも会った事もない。そもそも居るのかすら知らない。だけど母さんは居た。その母さんも、私が物心ついたくらいの時に死んでしまったけど。

 そんな私は、町の貧民街で育った。毎日、食べる物に困る程困窮していた私だったけど、残飯を漁ったり、人が落とした食べ物を拾って食べたりと、何とか命を繋いでいた。

 そんな毎日を過ごしていたある日、私は初めて店で売られている商品を盗んだ。たまたまその数日前から、残飯にもありつけず、拾い食い出来そうなものも無く、とにかくお腹が空いていたから。

 お腹がギュルギュルと鳴る中、店先に売られていた魚の干物が目に入る。とにかく何でもいいから食べたかった。

 店の主人が目を離した隙に、干物を手に取ると、その場から逃げ去った。

 人目のない路地裏を走り、ひたすらに走った。

 暫くして後ろを振り返って見たけど、誰も追いかけてこない。

 それを確認した私は、走るのをやめた。そしてその場で貪るように干物に齧り付く。

 何故その場で食べたのかと言うと、このまま貧民街まで持っていくと、干物を持っているとバレた時、そこら辺のゴロツキや大人に殴られて取られてしまうのだ。だから、こう言う物はその場で食べてしまうに限るのだ。

 何日振りかの食事だった。

 かなり大きな干物だったので、体の小さな私のお腹はそれ一枚で満たされた。

 

 それからと言うもの、私は残飯を漁るのを辞め、店から物を盗りお腹を満たすようになった。

 暫くそんな生活が続いたある時、たまたま見掛けた大人が腰にぶら下げた小袋から何やら取り出し、店の人に渡す光景を見た。

 その後、店の人がニコニコしながらその男に何かを渡している。男は渡された物を受け取ると、再び小袋を腰にぶら下げた。

 そう、男は腰の小袋にお金を入れており、そのお金で物を買っていたのだ。それに気付いた私は、すぐにその男の後を尾けた。そして、男が次の店の軒先で店の人と話している隙を見て、腰の小袋を盗み即座に逃げた。

 男は小袋を盗まれた事に気付いていなかったけど、店の人には気付かれてしまった。


「旦那!腰の小袋盗まれましたぜ!あのガキだ!」


 店の人はそう言いながら私の方を指差す。

 盗まれた男は、「えっ?」と言いながら腰に手を当てつつこちらを振り返る。

 だけどその時点で私は建物の角を曲がっていたので、見られてはいないはず。だから、私はとにかく逃げた。


 どれくらい走っただろうか。気が付けば、貧民街の近くの路地まで戻って来ていた。

 追手は無い。

 漸く走るのをやめ、建物の死角へと腰を下ろした私は、小袋の口紐を解きその中身を掌へと出す。


「こ、こんなにたくさん……」


 小袋の中には、確実にお金であろう茶色い色の丸い物が沢山と、銀色の丸い物が沢山入っていた。

 何故沢山かと言うと、貧民街で育った私はお金と言う物を知らない。数も数える事が出来ないので、これらがどれだけの価値があるのかは全く分からないのだ。

 だけど、これだけあれば、当分ご飯が食べれるだろうと言うのは何となく分かった。私は嬉しくて、その小袋を両手で握り締め、貧民街にある私の住処へと向かった。


 けれど、それがいけなかった。もっと慎重になるべきだったのだ。

 貧民街がどう言う所なのか、分かっているつもりだったけれど、沢山のお金が手に入った事で、嬉しさのあまり忘れていた。


 私が貧民街へと戻って来た時、たまたま近くに居たゴロツキ風の男が、私の両手の中にある小袋に気付いた。

 袋の中で、ジャラジャラと音がしていたのだから、気付かれて当然だった。


「おい、その手の中の物を寄越せ!」


 男はそう言いながら私に向かって手を伸ばす。


「イヤ!これは私のなの!」


 私は取られたく無い一心で、その両手の中にある小袋ごと腕を後ろへと捻る。


「いいから寄越せっつてんだろ!」

 

 私が拒否したからか、男は私を捕まえようと今度は両手を伸ばす。

 私は怖くて逃げ出した。

 けれども、男の手が私の腕を捕まえる。


「怪我する前に、さっさとそれを寄越しな!」


 絶対に渡したく無い!そう思った私は、当然の事ながら暴れた。

 その際、私の手が男の顔へと当たってしまう。


「このクソガキがぁ!」


 男は激情した。

 そして懐からナイフを取り出すと、私へと向かって振り翳す。

 私は必死に抵抗した。

 そしてそれは起こった。

 ナイフを持つ腕が、私の首へと回される。私はそれに抵抗し暴れた。その時、男の持つナイフの冷たい刃が、私の喉へと当たった。

 ブシュッと言う音と共に、喉に生温かな感触が流れる。

 私は何が起こったのか分からず、意識を失いその場に崩れ落ちた。


 

 目が覚めた。

 見知らぬ天井だ。

 ただ、何となくだがこの雰囲気は知っている。

 ボロボロになっている天井は、まさしく貧民街のものだ。


「気が付いたかな?」


 聞いたことのある声がする。

 そう、これは貧民街で回復師をしている先生の声だ。

 この先生、誰にでも分け隔てなく治療をする事で有名な先生で、貧民街に住んでいる人なら知らない人が居ないほどの有名人だ。

 私は体を起こし、その先生を見る。

 「私は何故ここに居るんですか?」そう聞こうと思って気付く。

 声が出ない事に。


「手は尽くした。だが、残念だけど、もう二度と喋れないだろう。まあ、命があっただけ良かったと思いなさい。」


 そう言うと先生は部屋から出て行く。

 喉に手を当てる。確かに喉には布が巻かれている。

 何かしらの薬が塗られているのだろう、喉にヒンヤリとした感触があった。


 後に先生から聞いた話では、私は例の男のナイフで喉を切られたのだそうだ。

 私の喉を切り裂いた男は、私が血を流し倒れたのを見て盗る物も盗らず慌てて逃げたらしく、その後その男の姿は貧民街では見掛けられていないと言う。

 一方の私はと言うと、たまたま男と私とのやり取りを見ていた貧民街の子供達が、先生を呼びに走ってくれたのだそうだ。

 先生の到着が一歩でも遅ければ、私は死んでいたかもしれないらしい。

 けれど、それならいっその事、そのまま死なせてくれれば良かったのにと思う。

 何故なら生きていると言う事は、これから先も何かを食べていかなければならず、何かを食べると言う事は、この先も残飯を漁ったり盗みをしなければならないと言う事だからだ。

 仮に働こうと思ったとしても、声も出ず、「ん」しか言えない私を雇ってくれる所など無いだろう。

 

 先生から「もう大丈夫」と言われ、先生の家を後にする。

 結局、盗んだお金の行方は分からず仕舞いだ。今日食べる物をどうしようか?

 

 あれから月日は流れたが、相変わらず私は残飯漁りか盗みをして生活をしている。

 そして今日、運命の出会いをする。

 いつものように町をふらつき、獲物を物色していたら、見た事の無い格好をし、腰に見た事の無い武器を携えた男を見掛ける。

 その男は不用心にも、懐へと小袋を仕舞っていた。

 顔も間抜けそうな顔をしているし、見た感じ鈍感そうに見える。

 カモだ。

 そう思った私は、その男の後を尾ける。

 一軒の干物屋へで足を止めた男の側へと近付き、懐へと手を入れたその時だ。

 男はこちらを見ることもなく私の手を掴んだ。

 そしてそのまま足を払われ、倒される。

 私は何故バレたのか、何がどうなって倒されたのか全く分からなかった。


 その後、男は私を衛兵に突き出すどころか、許してくれた上にお金を渡して来た。大銅貨と言うお金らしい。

 このお金でお腹いっぱいご飯を食べろと言う。

 私は、生まれて初めて人に優しくされた。

 そして、私はこの男に興味を持った。この男から離れたらいけない。付いて行かなくてはならない。私の直感がそう言うのだ。

 

 その後も男の後を尾けた。

 そして、男が冒険者だと言う事が分かった。

 そうか、喋る事が出来なくとも、冒険者ならやっていけるかもしれない。そう思った私は、男に剣を教えてくれと頼んだ。

 男は別の男に諭され、私を弟子にしてくれると言った。

 嬉しかった。

 これから私の師匠となる男の名前は、ムネカゲと言うらしい。珍しい名前だ。

 そして私に名前を付けてくれると言う。

 元々私には、アデーレと言う名前がある。しかし喋る事が出来ず、文字も書けない私に、それを伝える手段は無い。

 男は、一頻り考えた後に、私に「カエデ」と言う名前をくれた。

 うん。中々いい名前だ。

 そして今日この時から、私は「カエデ」となり新たな人生を歩む事となった。

 そして後々この選択が正しかったと理解し、私は神さまに感謝するのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る