第38話 再会
――誰もが皆、生まれや身分に関係なく、望み通りに生きることのできる世界。そんな自由な世界を私は作りたいのです。
エルスワース王国第四王女、セラフィナ=エルスワースはよくそう言っていた。
「そのためには、私がこの国の女王の座に就かなければなりません。しかしその実現には多くの障害が待ち受けています」
エルスワース王国の王位継承権は男系が優先される。
始祖の男系男子がいなくなった場合にのみ、女性にも継承権が与えられる。だが王国の長い歴史の中で女王が誕生したことは一度もない。
セラフィナは第四王女。
王位継承における序列の最下位にいるセラフィナが王位を継ぐためには、継承権が上位の者たちを退けなければならない。
レグルスにもセラフィナの発した言葉の意味は分かった。
それはつまり、継承権を持つ者たちを葬り去るということだ。そして、その役目を負うことになるのは自分だと。
「レグルス、近衛兵団は誰に仕えるのが役目ですか?」
「エルスワース家の王族の方々です」
エルスワース王家を護衛するための軍隊――それが近衛兵団だ。
「そう、それはつまり、この国に仕えているということ。近衛だけではありません。奴隷も庶民も貴族も――私たち王族もまた同じです。この国の者たちは皆、エルスワース王国の繁栄と安寧のために仕えている。言わば、国家の奴隷です」
けれど、とセラフィナは言った。
「レグルス――お前は、お前だけは国ではなく、私個人に仕えなさい。セラフィナ・エルスワース個人のために忠を尽くしなさい。その身も、心も、全て」
そこまで告げると、ふっと小さく息をついた。
「これは命令ではありません。単なる私の願いです。お前には自分の意志によって、自らの未来を選び取る権利がある」
「セラフィナ様。俺はあなたの剣です。あなたが望むのなら、俺は立ち塞がるどんな障害をも排除してみせます」
レグルスはセラフィナの元に跪くと、胸元に手を置いて誓った。
汚泥の中を這いずり回るだけの日々。生きながらにして、死んでいるような生。暗い地獄の底に光を差し込んでくれたのは、彼女だった。
「お前ならきっと、そう言ってくれると想っていました」
セラフィナは安心したように頬を緩めると、夜空を見上げる。
氷のような月の向こうに彼女が眺む理想郷の姿は、レグルスには見えない。
けれど、これほど彼女が辿り着きたいと夢見るものならば――。
それはきっと、美しい世界なのだろう。
だから、その理想郷に辿り着くその日まで、自分は彼女の剣として、命を懸けて守り抜こうとレグルスは心に誓った。
たとえこの手をどれだけ血に汚すことになろうとも。
「レグルス、私と共に目指しましょう。この国の頂を」
千年前、主君と共に夢見た理想の世界。
その実現のために、血に塗れても欲した女王の座。
今その席には、主君を手に掛けた白銀の髪の女騎士が座っていた。
エルスワース城の最上階。
女王の間に辿り着いたレグルスは、その最奥部――玉座に一人鎮座するこの国の女王の姿を見上げながら声を振り絞った。
「ウルスラ=ペインローザ……!」
エルスワース王国女王、ウルスラ=ペインローザ。
彼女は国を統べる女王であり、英雄大戦を戦った七人の鎧姫の一人であり、千年前のあの日にセラフィナを殺した憎き仇であり――。
レグルスにとっては近衛兵団の同僚でもある女騎士。
「――レグルス、久しぶりだな。てっきりあの時死んだものだと思っていたが。虫けらのようにしぶとく生き延びていたか」
ウルスラはレグルスを見下ろすと、その腰に差された剣を視認する。そして、顎に手を置きながら得心したように呟いた。
「……なるほど。魔剣と適合したというわけか」
艶やかな白銀の髪。気高さと意志の強さを感じさせる顔立ち。磨き上げられた結晶のような屈強な肉体。その上から身に付けた蒼色の輝きを放つビキニアーマー。
それらは千年前から全く色あせてはいない。
「……ウルスラ。城内に人を置いていないのは、どういうつもりだ」
地下通路を抜けたレグルスは、城内の様子に唖然とした。
警備は全く配置されておらず、全く静まり返っていた。
誰とも戦うことなく、女王の間に辿り着くことができた。それはまるで蜘蛛が自らの巣に獲物を誘い込むかのような不気味さがあった。
「私たちの戦いに余計な横やりが入ってもつまらんだろう?」
ウルスラはそう告げると、レグルスを見て嗤った。
「しかし、貴様は随分と様変わりしたな。髪も白く染まり、目は炯々とし、まるで化物にでも成り果てたかのようだ」
「だが、お前に対する怒りだけは色あせなかった」
身を焦がすような煮えたぎる憎悪。
この千年間、ほんの片時さえも忘れたことはない。
「ふん。それは大層な片思いだ」
ウルスラは嘲るように口元を歪める。
「それに貴様は私を殺したがっているようだが……その後、この国がどのような道を辿るのかについて想いを巡らせたことはあるか?
英雄大戦の後、七人の鎧姫が統治する各国家間で平和条約が結ばれた。それは私たちの持つビキニアーマーが抑止力として働いているからこそ成立したものだ。
ビキニアーマーを有する七人の鎧姫が対立すれば、人類が滅びかねない。その危うい均衡と恐怖の上に今の平和は成り立っている」
だが、とウルスラは言った。
「私を殺せば、この国からビキニアーマーは一騎残らず消え失せる。エルスワース王国は他国の侵攻を防げない状況になってしまう。
ビキニアーマーを有する国家に対して、私のいないこの国は抗う術がない。もし侵攻されればかつてのような地獄絵図が広がることになる。それでも構わないと?」
「俺の目的は、お前を殺すことだ。後のことなど知ったことではない」
それに、とレグルスは続けた。
「俺はお前も含めた七人の鎧姫を全員討ち取る。そして、この世界からビキニアーマーを全て消し去ってみせる」
「……ふん。それを成すために千年間を惨めに生き抜いてきたと。全ては主君を殺されたことに対する恨みか?」
「それもあるが、それだけじゃない。俺は彼女に命令を受けた。生き延びて、自分の役目を果たし続けろと」
レグルスは過去の、千年前の光景を思い返しながら呟いた。それは今この世界に生きている人間たちの誰も持っていない記憶。自分と、目の前の仇敵だけの記憶。
「彼女は――セラフィナ様は理想の世界を創ろうとしていた。誰もが皆、自分の望むように生きて行ける自由で平等な世界を。
それがいったいどういうものなのか、俺にはよく分からない。だが、今のエルスワース王国がそうでないことは確かだ。
俺の役目は彼女の目指す世界の実現を阻害するものを取り除くことだ。そしてお前たちは彼女の理想にとっての障害だ」
「……死後もなお、あの女に縛られ続けるか。哀れな男だ」
ウルスラの声色に苛立ちが滲んだ。
「あの女はペテン師だ。貧困街にいた貴様を誑かし、手駒として抱き込んだ。玉座に辿り着く野望を叶えるために。
そのためにあの女は継承権を持つ者たちを消そうとしていた。自らの手は汚さず、貴様に手を汚させることによって。
理想を謳いながら、その理想のために大勢の人間に血を流させる。その点において私とあの女は何ら変わることはない。
貴様はただ、利用されていただけだ。事を終えた後は切り捨てられていただろう。彼女の後ろ暗い過去と共に闇に葬られていた」
「だとしても構わない」
レグルスは躊躇いなくそう言い切った。
「俺は彼女の剣として生きると決めた。戦いが終われば剣は不要だ。それでいい。その時を迎える瞬間まで折れさえしなければ」
「…………忠義、いや、もはや崇拝だな。虫唾が走る」
ウルスラは心底忌々しげに吐き捨てた。
「いずれにせよ、貴様をここで殺せば、あの女の意志は完全に潰える。あの女が目指した理想の世界は夢のままに終わる」
ウルスラは玉座から立ち上がると、蒼色の鞘に収められていた剣を抜き放った。
冴え冴えと輝く月のような冷気を放つ、冰剣(ひょうけん)。
氷のビキニアーマーを身に纏った彼女が冰剣を払うと、玉座からレグルスへと続く直線経路の左右に巨大な氷柱がせり上がった。
レグルスの両脇は氷柱に塞がれ、身動きが取れなくなる。
「千年前から続く私たちの因縁は今日、完全に断ち切られる。貴様の怒りを、忠義を、夢の全てを葬り去ってやろう!」
『レグルス! 来るわ!』
アウローラが警告の叫び声を上げるのほとんど同時。
ウルスラは玉座の位置から、突きの予備動作を取った。
「貫け――氷河一閃(グラシエ・クリア)!」
ウルスラがその場で鋭い突きを放つと、冰剣が目映い輝きを放ち、巨大な魔力の一閃がレグルスの元に迫ってきた。
左右を巨大な氷柱に塞がれ、逃げ場はない。
――だったら、逃げなければいいだけだ!
レグルスは床を蹴ると、迫り来る衝撃波に向かって突っ込む。
雄叫びを上げると、渾身の力を込めて魔剣を振るう。強大な力がぶつかり合い、激しく白い光が女王の間を満たした。
轟音が響き、室内が怯えたように揺れる。
そして視界が晴れた瞬間――。
レグルスはウルスラの間合いにまで迫っていた。
「なっ――!?」
ウルスラの剣技を打ち破ったレグルスは勢いを止めることなく、そのまま鬼気の込められた全力の一撃を放った。
高らかに剣同士が打ち合う音が鳴り響く。
ウルスラは首筋にかかる寸前のところで剣を防いでいた。しかし魔剣の切っ先が、彼女の頬をかすめていた。
つう、と。
陶器のような白肌に、赤い線が走る。
千年前のあの日には通らなかった剣戟。
けれど、今は――。
ウルスラを、そしてエルスワース王国を襲った七人の鎧姫を討つために――千年もの間、死よりも壮絶な鍛錬を積み重ねてきた。
魔剣と契約し、人の道を逸脱し、化物にも成り果てた。
――全ては今、この瞬間のために。
「――ウルスラ、覚悟しろ。今の俺は、あの時の俺と同じではないぞ!」
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