第37話 地下通路

 門を突破し、坂道をしばらく駆け抜けた後に上層に辿り着いた。

 上層の街並みは、下層街とは別世界だった。据えた匂いはせず、不浄なものは全て漂白されたかのようだった。

 住民たちの身なりは清潔で整っている。振る舞いに余裕があった。

 下層街の一斉蜂起などまるでなかったかのように穏やかな時が流れていた。まるで遠い世界の出来事のように感じられた。

 

 道行く女性たちの中には一部男性の姿もあった。

 身請けされた連中だろう。

 下層街の男たちと比べると、容姿が整って利発そうな印象があった。

 

 レグルスの姿を見た住民たちは怪訝そうな表情こそ見せたものの、声を上げて通報するようなことはなかった。

 白髪の男の話は回っていないのかもしれない。下手をすると、フレイアが討たれたことも知らないのではないか。そう思わせるような反応だった。

 だとすれば好都合だ。

 レグルスとセレナは人目を避けるように上層の路地を進むと、街を抜け、坂を上り、王国の最上部に位置する王城を目指した。


「城の裏手にある丘には王家の人間しか知らない、城内に繋がる地下通路の入り口がある。夜になったらそこから侵入する」 

「夜まで待つ理由は?」

「夜になれば、城の掛け跳ね橋が上げられる。城内の近衛を始末すれば、応援を呼ばれることがなくなる」


 掛け跳ね橋を上げるには城内から行う必要がある。

 城内の人間を排除すれば、城は孤立する。


「それまではどこに?」

「丘の手前にある森林の中に身を潜める」

「いい手だと思うわ。ウルスラは丘に人が立ち入るのを禁じているそうだから。この場所に近衛たちが来ることはないはずよ」


 レグルスとセレナは城の裏手へと辿り着いた。

 そこには鬱蒼と茂る森林が広がり、その先には丘が広がっている。

 森林の中に身を潜めた。

 周りに人の気配はない。これならまず誰かに見つかることはなさそうだ。

 静寂の中、セレナがふと口を開いた。


「ねえ。一つ聞いてもいいかしら」

「なんだ」

「丘にある城内への地下通路は王家の人間しか知らないのでしょう? それをなぜあなたが知っているの?」


 セレナはそう言うと、


「それだけじゃない。上層の地理にも詳しいし、掛け跳ね橋のことだって……。フレイアもあなたのことを知っているようだった」


 懐疑と不安を織り交ぜながら、静かな口調で尋ねてきた。


「レグルス、あなたはいったい何者なの?」

「……俺が何者だろうと、お前には関係ない」

「いいえ。関係あるわ。私の士気に影響するもの。信用のおけない相手に、背中を預ける気にはなれない」

「なら預けて貰わなくて結構だ」

『もう、いじわるなことを言わないの』とアウローラが窘めるように言う。『別に話しても減るものじゃないでしょう?』

「…………」

「その剣が言葉を話していることについてもよ」


 セレナは動揺を覆い隠しながら付け加えた。

 二対一。多勢に無勢だ。突っぱねても良かったが、夜まではまだ長い。

 信用を得て間を埋められるのなら。そう結論づけた。


「……良いだろう。だが、お前にとっては荒唐無稽な話だ」

「それを決めるのは私よ」


 レグルスは声を潜めながら、自らの正体について話した。

 千年前のエルスワース王国にて王女に仕える近衛兵だったこと。

 七人の鎧姫たちに王都を攻め滅ぼされた現場に立ち会っていたこと。

 主君である王女を殺され、ウルスラに致命傷を負わされたが、魔剣と契約を交わして適合することで一命を取り留めることが出来たこと。

 そして七人の鎧姫たちを討つために千年の時を越えてきたことを。

 話を聞き終えたセレナは、苦笑いを浮かべながら呟いた。


「自分で聞いておいてなんだけれど、思っていた以上に荒唐無稽な話だったわ」

「だから言っただろう」

「だけど、信じるわ。あなたの強さの秘密も少しだけ分かった気がする。姫様の仇を討つ強い意志が剣に宿っているからこそだと」


 困惑しつつも、事情を呑み込んだようだ。


「その王女様というのはどういう人だったの?」

「なぜそんなことが気になる」

「だって、あなたはその王女様のために遙々千年前からやってきたんでしょう? 地獄のような苦しみに耐えてまで。よほど素敵な人だったのかなって」

「人格云々は関係ない。俺は彼女に仕えていた。だから、彼女が最期に告げた使命を全うするまではくたばるわけにはいかない。それだけだ」


 だが、とレグルスは続けた。


「……彼女は俺に生きる理由を与えてくれた。お前の力が必要だと言ってくれた。生まれて初めて対等に向き合ってくれた」


 あの日、セラフィナに差し伸べられた手を握った時、決意した。

 彼女のために生きようと。

 彼女が夢想する理想の世界――その実現に命を捧げようと。

 だから強くなろうとした。彼女の剣になるために。

 血の滲むような鍛錬に励み、闘技場で千人斬りを達成し、貴族の養子になった。全ては彼女に忠を尽くすためだった。


「そこまで想われるなんて、少し妬けちゃうわ」


 セレナは冗談めかしたようにそう言うと、しばらく間を置いた後、不意に呟いた。


「そういえばレグルス。あなた、趣味はあるの?」

「なんだ。いきなり」

「趣味よ。一つくらいはあるでしょう?」

「それを今聞く理由が分からない」

「あなたのことがもっと知りたいから。いけない?」


 セレナはレグルスをじっと見つめると、ふっと笑みを浮かべた。


「この機会を逃したら、二度と聞くことができないかもしれないし。心残りは出来るだけないようにしたいの」

「…………」

「じゃあ、理由を付けましょうか。背中を預け合う仲間だもの。互いに分かり合っていた方が戦いやすくなる。これでどう?」


 セレナはおどけたように指を立てる。


『そう言われたら話さざるを得ないわね』


 アウローラはからかうように言った。


『あなたが出し惜しみをしたことで、結果が変わるかもしれない。決戦に向かうには最善を尽くした方がいいと思うけど?』


 屁理屈だ。

 というか、いつの間にか二人が結託していた。

 アウローラはこちらを困らせるのを楽しんでいるだけだろうが。

 レグルスは小さく息をつくと、渋々というふうに口を開いた。


「……詩を」

「詩?」

「詩を書くのが好きだった」

「へえ。何だか意外」


 貧困街にいた頃、それが唯一の心の拠り所だった。

 かつては吟遊詩人だったという薄汚い老人が、しゃがれた声で自分の書いた詩を読んでいるのを聞くのが好きだった。

 その老人がくたばってからは、自分でも書くようになった。

 拙くて、とても人に見せられるような出来ではなかった。けれど、想像の世界に浸って想像の翼を伸ばしている間は、過酷な現実を忘れられた。


「王女様にも詩を送ったりしたの?」

「いや、彼女に仕えるようになってからはほとんど書かなくなった」

「どうして?」

「俺にそんな時間は不要だったからだ」


 セラフィナが求めていたのは剣を振るう自分であって、詩を作る自分ではない。

 彼女の理想を阻む障害を除くための剣。

 それは絶対の強度を失った瞬間、一切の価値を失う。

 だから寸暇を惜しんで鍛錬に打ち込んだ。

 自分を滅し、彼女の理想を果たす剣としての役割を全うするために。


「そう、残念ね。あなたの作った詩、読んでみたかった」


 セレナはふっと優しく微笑む。

 まるでそれに呼応するように、夕陽が沈み、夜の帳が降りてきた。城の正門の掛け跳ね橋が引き上げられる音が遠くで聞こえた。


「そろそろだな。行くぞ」


 レグルスは茂みから立ち上がると、歩き出した。

 森を抜けた先には、なだらかな丘が広がっていた。

 夜風に揺れる草原には、いくつもの墓標が鎮座している。

 そこには歴代の王族たちが弔われていた。

 

 初代国王の墓標を動かすと、地下通路への入り口が姿を現した。梯子を伝うと、二人は底の見えない闇溜まりに降りていった。

 やがて靴裏が石畳に触れた。

 振り返ると、通路が延々と先まで続いていた。左右の壁に埋め込まれた松明石が、地下通路に明かりを灯している。

 

 帰ってきた。かつてウルスラと剣を交えたこの場所に。

 

 レグルスとセレナは静まり返った地下通路を進む。足音が反響する。まるで巨大な生物の腹の中にいるかのようだ。

 中腹辺りに差し掛かった頃、前方から声が響いた。


「止まりなさい」


 暗闇の中、炎のような灯りに照らされて浮かび上がる人影。

 それは女騎士だった。ビキニアーマーに身を包んだ、金髪の女騎士。波立った金髪を肩口にまで伸ばした彼女は、険しい顔つきをしている。


「あなたたちをこの先には行かせません」

「近衛団長カミラ……!」


 セレナは目の前の金髪の女騎士を視認すると、表情を歪めた。


「敵は必ずここにやってくる――陛下の仰る通りでした。しかしまさか、王家の人間だけが知る地下通路を通ってくるとは」


 カミラは敵意の籠もった目を向けてくる。


「白髪の男――やはりあなたは陛下と……」


 レグルスは目の前のカミラを見据える。

 この女騎士の力はフレイアには及ばないだろう。しかし、間違いなく手練れだ。戦いは熾烈を極めることになる。


「レグルス。ここは私が引き受けるわ」


 セレナがそう名乗り出た。


「……分かっているのか? 魔力を有さないお前では、ビキニアーマーを身に付けたあの女騎士は倒せないぞ」

「ええ。勝つことはできないかもしれない。だけど、負けることもない。防御に徹すれば時間を稼ぐことはできる。

 その間にあなたが女王陛下を討ち取る。ビキニアーマーが解除されさえすれば、実力で私に敵う女騎士はいないわ」

「なるほど、俺が勝つことが前提の作戦か」

「何か問題あるかしら?」

「いいや、ないな」


 鞘から勢いよく剣を引き抜くと、セレナはカミラと相対する。そしてふと、そうだ、と思い出したように言った。


「さっきは言い忘れていたけれど――実は私も詩を書いてるの。恥ずかしいから今まで誰にも見せたことはないのだけれど」


 そしてレグルスを見やると、柔らかい笑みと共に尋ねた。


「この戦いが終わったら、私の詩、読んでくれる?」

「言っておくが、俺は忖度はしないぞ」

「ありがとう。楽しみにしてる」


 互いに笑みを交わし合う。そして別れた。


「陛下の元には通しません!」


 斬り掛かってきたカミラの剣を、セレナが代わりに受け止める。


「千年越しの同窓会の邪魔をするなんて、無粋じゃないかしら」

「……っ!」


 その横を抜けて駆け出したレグルスは、地下通路の果てにある城内を目指す。

 全ての決着をつけるために。

 背後からは剣を打ち合う音が響き続けていた。

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