第36話 決起

 下層街は狂乱に包まれていた。

 男たちが暴動を起こし、街の至る所から火の手が上がっている。

 見覚えのある騎士団の詰め所は炎に包まれていた。

 戦う意志や能力のある男たちは雄叫びを上げて暴れ回り、戦う意志や能力のない男たちは路地の隅や家の中で怯えて震えている。

 斬っても斬ってもまるで戦う意志を捨てない――そんな男たちに対し、鎮圧にやってきた近衛兵たちは手を焼いているように見えた。


「見つけた! 白髪の男だ!」


 レグルスとセレナの姿を認めた近衛兵たちが、追いかけてくる。


「……ちっ、数が多いな」


 骨が折れるが、迎え撃つしかないか――魔剣の柄に手を掛けた時だった。


「おい、こっちだ!」


 細い路地の奥から男の声がした。

 レグルスたちはその声に導かれるように路地の中に駆け込んだ。

 すると、複数の男たちが入れ替わるように路地から飛び出していった。近衛兵たちの侵入を阻むように壁となって立ち塞がる。

 レグルスたちを先導するように路地を駆ける男。その面持ちには見覚えがあった。


「……レオパルド」


 ホルスと共に鉄鼠の歯のリーダーを務めていた神経質そうな眼鏡の男だ。戦うことを避けていたはずの奴がなぜここに。

 路地を駆けるために足を動かしながら、セレナがレオパルドに尋ねた。


「ねえ、いったいどうなっているの? この騒ぎはなに?」

「君たちが騎士団長を倒したことで、下層街の連中の間に希望の火が灯った。今ならば現状を変えることができるかもしれないと」


 だから、とレオパルドは続けた。


「私が下層街の各組織の頭領たちに話をつけにいった。今こそ皆で立ち上がって、女騎士たちと戦うべき時なのだと。革命を起こす時だと」

「お前がこの暴動の発起人というわけか。……だが解せないな。お前は女騎士たちと戦うことを避けていたはずだ」

『勝ち馬に乗ろうとしたわけね』


 露悪的なアウローラの言い方に、レオパルドは自嘲的な笑みを浮かべる。

 薄暗い路地の中ということもあり、話し手が誰かはバレていないようだ。


「ふっ。確かにその通りだ。誰だって無駄死にするだけの戦いはしたくない。私も勝算があると踏んだからこそ動いた」


 レオパルドは続けた。


「だがそれだけじゃない。私にとってこれは、ホルスの弔い合戦でもある」

「…………」

「あいつは騎士団長との戦いで散っていったんだろう。……バカな奴だ。大人しく女騎士たちに従っていれば、命までは落とさなかったものを」


 言葉とは裏腹に、レオパルドの顔には影が差していた。


「あいつはいつも向こう見ずで理想ばかり語っていて、どんな時も希望を捨てなかった。下層街の現状を変えるために本気で動いていた。

 そんなあいつに、下層街の人間たちは皆一目置いていた。組織や立場は違えど、この街で希望を失わないことの難しさは理解していたからだ。

 だから殉じたと聞いた時には、皆、少なからず想うことがあったんだろう。

 この暴動を蜂起したのは私だ。だが、私や下層街の組織が動いたのは、間違いなく奴の意志に感化されたからだ」


 ホルスの戦いぶりは、下層街の人間たちの燻っていた心に火を付けたのだ。ホルスが胸に抱いていた意志の炎は、今もまだ生き続けている。


「一つ聞かせてくれ。ホルスは……あいつは立派に戦っていたか?」

「ああ」


 レグルスははっきりと答えた。


「あいつがいなければ、フレイアを討つことはできなかった」

「…………そうか」


 レオパルドはそれだけを呟くと、しばし目を瞑り、悼むように沈黙を貫いていた。

 やがて入り組んだ路地を網の目を掻い潜るようにして抜けると、視界が拓けた。

 目の前には上層へと続く門がそびえていた。

 門前には見張りの近衛兵たちが立ちはだかっている。おびただしい数だ。少なくとも百人は優に超えているだろう。


 レオパルドが合図をすると、辺りから人影が何人も姿を現した。

 それは鉄鼠の歯の面々だった。

 アジトで見た組織の人間たちが一堂に会していた。

 いずれの表情も決意に満ちていた。目に強い意志の光があった。


「……私たちが責任を持って、上層への道を切り開いてみせる。だからどうか、君たちは女王を討ってくれ」


 レオパルドは息を詰まらせながら、レグルスに告げた。


「この国を変えるために――そして、ホルスの遺志に報いるためにも」

「――ああ」


 レオパルドはその返事を聞くと、静かに頷いた。

 そして剣を抜くと、理性をねじ伏せるように獣のような雄叫びを上げながら叫んだ。


「行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

「「おおおおおおおおおっ!」」


 仲間たちを率いると。

 レオパルドは門前に待ち受ける近衛兵たちに向かって突っ込んでいった。


 

 ホルスとは子供の頃からの付き合いだった。

 共に下層街に生まれ、女騎士たちに虐げられ、汚泥を啜りながら、飢えと暴力に支配された救いのない日々を懸命に生き延びてきた。

 ホルスはこの国を変えたいとよく口にしていた。虐げられ、互いに疑心暗鬼になり、虫けらのように使い潰される現状を変えたいと。

 レオパルドもまた同じ想いを抱いていた。

 だから共に鉄鼠の歯を組織し、仲間を集めた。この下層街で生き延びるために、そしてこの国を変えるために。


 けれど最初に抱いていた理念は、時を重ねるごとに摩耗していった。


 そんなものは夢物語だ。女騎士たちには決して敵わない。逆らえば殺される。

 今まで彼女たちに反抗して、無残に斬り伏せられてきた者を数多く見てきた。自分たちも同じ末路を辿るのがオチだ。

 叶わない夢を見て無駄死にするくらいなら、最初から見ない方がいい。大人しく従っていれば少なくとも今日一日は生き延びられる。

 けれどホルスは夢を見続けていた。希望を捨てなかった。今日一日だけではなく、明日よりも遙か先の未来を見据えていた。


 鉱山に送られることになった時もそうだ。

 ラグナル鉱山に送られた者は二度と帰ってこられない。

 下層街の住民の間では周知の事実だ。

 にも拘わらず、ホルスは絶望に支配されることはなかった。必ず帰ってくると告げ、そして実際に帰ってきた。あの白髪の男と共に。


 だがホルスは闘技場で死んだ。

 その報せを聞いた時、レオボルトは小さく吐き捨てた。


 ――バカが。だから言っただろう。大人しくしているべきだったと。そうすればこんな結末を迎えることにはならなかった。

 

 そう悪態を吐きながらも、なぜか涙が止まらなかった。

 レグルスを売れば命は助けてやるとフレイアに取引を持ちかけられた時、ホルスはその誘いを撥ねのけたのだという。

 そして戦いの最中、レグルスを庇って女騎士の自爆に巻き込まれた。

 

 レオパルドは知っている。ホルスは決して強い人間じゃない。強靱な肉体と、常軌を逸した意志を有しているレグルスとは違う。ただ強がって見せているだけで、人並みに怯えも恐怖も感じるちっぽけな普通の人間だ。

 だから、フレイアに取引を持ちかけられた時は心が揺れたはずだ。

 それでも恐怖をねじ伏せ、自分の成すべきことをした。

 あいつは最後の瞬間まで自分の信念を貫き続けた。あの日、初めて出会った時から、何も変わらずに夢を追い続けた。


 それに比べて自分はどうだ? 

 ホルスを見捨て、レグルスを止めるために剣を抜くこともできず、組織のためと言い訳を並べて我が身を守ることに終始した。

 それが合理的で、強くなることだと思っていた。

 いつまでも理想を追い求めるのは幼く、弱い者がすることだと。

 けれど、本当にそうだろうか?

 本当にそうだとすれば、なぜこんなにも惨めな気持ちになっている? 今すぐ消えたくなるような辱めを覚えている?

 なぜこんなにも、奴に畏敬の念を抱いている――?


 下層街の男の中には身請けされて上層に行くために、仲間を売って女騎士に取り入ろうとする者もいた。

 決して褒められた行いではない。実際、レオパルドも軽蔑していた。

 だが、ホルスも彼らも懸命に生きていたのは同じだ。

 目指す未来のために、自分に出来ることを精一杯やろうとしていた。


 ――私は彼らのように懸命に生きていると、胸を張って言えるだろうか? 


 ……いや、今の自分は生きながらにして死んでいる。信念を貫くことも、露悪的な態度を貫徹

することもできず、中途半端に賢しらぶっているだけの卑小な人間だ。


 それが堪らなく惨めで、そんな自分がどうしようもなく幼く思えた。

 だからレグルスが生き延びて下層街のどこかに潜伏していると噂を聞いた時、レオパルドは火が付いたような衝動に駆られて動いた。


 上層に続く門には大勢の近衛兵たちが待ち構えている。

 女王は総出を上げて、レグルスを仕留めようとしている。

 いかにレグルスと言えど、それだけの数を相手取るのは厳しいだろう。女王と戦うのなら力を温存しなければならない。

 だから自分が動こうと思った。下層街の男たちを集め、一斉蜂起することで、少しでも近衛兵たちを門前から剥がそうと。

 下層街の組織の男たちを動かすのは一筋縄ではいかないと思っていた。

 今まで散々敵対しあってきたのだ。


 けれど、彼らは反発せずにレオパルドの話に乗ってきた。

 皆、心の奥底では忸怩たる思いを抱えていたのだろう。

 本当に戦うべき相手は下層街にはいない。

 この国の構造を壊さなければ、何も変わらない。

 女騎士たちには敵わないからと諦めて蓋をしてきたその想いは、ホルスがフレイア相手に戦い抜いたことによって目覚めた。


 そして今、レオパルドの目の前には近衛の女騎士たちが待ち構えている。

 これまでずっと恐れていた連中と戦おうとしている。

 まず勝ち目はない。きっと無残に斬り伏せられて、殺されるだろう。それでもレグルスを上層に送り込むことができればこちらの勝ちだ。


 手のひらに汗が滲む。

 目に涙がにじみ、息が荒くなり、心音がずっとうるさい。


 怖い。どうしようもなく、怖い。

 だが、間違いなく自分は今、生きている。


 ――ホルス、お前もこんな気持ちだったのか?


 あの日初めて出会った時から、余計なものを着込みすぎた。

 それを全部脱ぎ捨てた今は、どこか清々しい気分だ。

 レオパルドは高らかに雄叫びを上げる。

 ホルスにも届くようにと。

 そして仲間たちと共に近衛兵たちに向かっていった。

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