第33話 渇望

 かつてのエルスワース王国は身分制社会だった。

 奴隷に生まれた者は奴隷に、貴族に生まれた者は貴族として生きることを強いられる。

 貴族に生まれた者が庶民や奴隷に落ちることはあっても、下の階層にいる人間が貴族に成り上がることはまずあり得ない。 

 勝者に生まれついた者は敗者になりうるが、敗者に生まれついた者は何があろうと勝者にはなれない。

 それは揺るがしようのない絶対の構図。

 

 けれどほとんど唯一、その構図を覆した者がいた。

 

 エルスワース王国の貴族、ブラッドモア家は子宝に恵まれなかった。

 代々騎士としての武功を立ててきたブラッドモア家は、武力に優れた者を世継ぎとして養子にすることを決意した。

 そして腕に覚えのある者たちを庶民たちの中から広く募り、闘技場で戦わせた。最後の一人に勝ち残った者を養子として引き取るとお触れを出した。


 その貧民街の孤児の少年に本来、出場資格はなかった。

 しかし、エルスワース王国の王女の推薦によって参加を許された。

 ブラッドモア家の者はもちろん、闘技場の観客、参加者に至るまで、誰一人として彼が勝つとは露ほども夢想していなかった。闘技場には歴戦の猛者たちが集っていたからだ。


 だが、その少年は勝ち抜いた。

 並み居る手練れたちを相手に、圧倒的な力を以てねじ伏せた。

 倒した者たちの武器を次々と奪い、剣や槍、棍、レイピアに至るまで、ありとあらゆる武器を自由自在に使いこなした。戦うために生まれてきたような、それは圧倒的な力だった。

 闘技場で暴れ回る返り血塗れの彼の姿は、鬼に取り憑かれたようだったという。

 そして彼が達成した千人斬りの記録は闘技場の伝説となり、貧民街の孤児だった少年はブラッドモア家の養子として貴族に成り上がった。 


 己の腕一本で人生を変えたその少年に、フレイアは憧憬にも似た念を抱いていた。自分もまた孤児から成り上がった身だったから。

 いつかその男と戦ってみたいと夢想した。


 そして今。

 押し寄せる女騎士たちを次々に斬り伏せていく白髪の剣士の姿に、フレイアはかつての伝説の剣士の姿を重ね合わせていた。

 白髪の剣士は女騎士たちの壁を突破すると、フレイアの前に躍り出た。


 ――こいつ……とうとうここまで辿り着きやがった!


 あれだけの数の女騎士たちを打ち破って、自爆特攻も防ぎきって、再びフレイアと直接対峙するところまで漕ぎ着けた。


 ――褒めてやるよ、てめえのしぶとさは。だがな!


「勝つのはこのあたしだァァッ!!」


 白髪の剣士が剣を構えるのと同時に、フレイアも迎撃態勢に入る。

 互いの距離はまだ、離れている。

 剣と鞭では、圧倒的にこちらの方が間合いでは有利!

 奴が間合いに入ってくるより前に、鞭を叩き込む方が先だ。

 白髪の剣士は剣先を後ろに引くと、突きの予備姿勢に入った。


 ――耄碌したか! そこからじゃ届かねえよ!!


 だが、次の瞬間。

 奴の右手に握られていた漆黒の剣。

 その形状が歪むと、漆黒の長槍へと姿を変えた。


 ――なにッ!?


「はああああああああああっ!!」


 裂帛の気合いと共に放たれた渾身の一撃。

 その漆黒の槍の先端は剣の間合いを軽々と飛び越え、フレイアのビキニアーマー――その胸部の魔核を深々と貫いた。


「がふっ……!」


 背中にまで突き抜ける一撃。

 受けた瞬間に理解した。それは、紛れもない致命傷だと。

 フレイアは喀血すると、その場に膝から崩れ落ちた。

 両手に握られていた鞭が、地面に力なく投げ出される。その二本の鞭は、まるで巨大な大蛇の抜け殻のように横たわっていた。


 ――剣が槍に形状を変えた……。

 ――こいつ、こんな奥の手を隠してやがったのか……!


 瞠目したのはそれだけではない。

 剣の扱い方と槍の扱い方は異なる。優れた剣の使い手が、優れた槍の使い手とは限らない。

 だが、奴の槍の腕前は、剣にもまるで劣らず卓越していた。

 フレイアの魔核が砕かれるのと同時に、その支配下にあった女騎士たちの胸部の魔核も呼応するように一斉に砕け散った。


「…………参った。あたしの負けだ」


 目の前に立つ白髪の剣士に対して、フレイアは力なく笑う。


「……まさか、あんな奥の手を隠し持ってたとはな。あたしも切り札を隠してたが、あんたはそれ以上だったわけか」


 すでに致命傷を受けている。

 今この瞬間にも、全身から生気が失われていっているのが分かる。

 じきに命の灯は尽きるだろう。 


「……なァ、最期にてめえの名前を教えちゃくれねえか」


 最期に、自分を討ち倒した男の名を知りたいと思った。

 他人に興味を抱くなんてことは、あの男以来だった。


「レグルス」


 こちらを見下ろしていた白髪の剣士はしばしの沈黙の後、静かにそう答えた。


「レグルス=ブラッドモアだ」

「……ブラッド、モア……」


 フレイアはその名を聞いた瞬間、はっとした。

 奴が手にしている漆黒の魔剣。

 圧倒的な強さに、あらゆる武器を使い熟せる技量。

 汚泥を啜った者だけが宿すことのできる、瞳の奥に潜む獰猛な光。

 全ての点と点が繋がって答えを導き出した。


「……そうか。道理で」


 ずっと待ち続けていた。

 この闘技場で、命を懸けた対等な戦いが出来る手練れを。血湧き肉躍る、最高の死合いを繰り広げられる好敵手を。

 千人斬りを成し遂げた伝説の剣士のような相手を。

 長年の切望は、叶っていたのだ。


「……くく……ははは……!」


 いくら欲を満たしても、飢えは止まなかった。

 どれだけの美味い飯を食べようと、莫大な金を得ようと、強固な権力を築こうと。胸の内の渇望が満たされることはなかった。

 だが、息絶える間際。


 ――ああ、満足だ。


 ずっと消えることのなかった飢えは、満たされていた。


「――愉しかったぜ、レグルス」

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