第29話 VS炎姫②

「があっ……!?」


 大砲の玉を喰らったかのような重い衝撃。吹き飛ばされたレグルスは、遙か後方の闘技場の壁へと叩きつけられていた。

 頭上の観客席からは爆ぜるような大歓声が巻き起こる。

 飛びそうになる意識を繋ぎ止めながら、レグルスは状況を理解できないでいた。


 ――いったい何が起こった?


 間違いなく鞭は弾いたはずだ。なのにあの攻撃はどこから現れた?


「かっかっか。惜しかったなァ、おい」


 這うように上半身だけを起こし、顔を上げたレグルスは、闘技場の中心に立つフレイアの姿を目の当たりにしてはっとした。


「鞭は一本じゃねえ。二本あんだよ」


 フレイアが放ち、レグルスが弾いた右手に握られた鞭。それと対をなすように、左手にもう一本鞭が握られていた。


 ――なるほど、そういうことか。


 一本目の鞭をいなしたところに、二本目の鞭を繰り出した。

 だが……。


「いったいどこに隠し持ってたんだって顔してるな?」


 レグルスの心を読んだようにフレイアが嗤った。


 そうだ。敵の挙動には細心の注意を払っていた。

 どこかに隠し持っていた鞭を取りだそうとしたなら、その挙動に気づき、何らかの対処をすることができたはずだ。

 しかし実際には不審な挙動など全くなかった。

 左手の鞭は突如、無から現れた。

 まるで最初からフレイアの左手にあったかのように。


「この鞭はな、あたしの炎のビキニアーマーによって産みだした代物だ。だから全くの無から顕現させることができんだよ」


 左手に握られた鞭は、消えたかと思うと、再び顕現した。

 隠し持つ必要などない。

 自らの能力によって自由に喚び出すことができるのなら。

 フレイアは最初、鞭は一本だけだと誤認させ、レグルスが油断したところで、もう一本の鞭を顕現させることで狩りにきたのだ。


 ――まんまとしてやられたわけだ。


「効いただろ。あたしの一撃は」


 フレイアは這いつくばったレグルスを見下ろして勝ち誇ったように胸を張る。


「並みの人間なら、とっくに木っ端微塵になってる。やっぱりてめえは良いぜ。久々に血が滾ってくるのを感じらァ。まさか、これで終わりじゃねえだろ?」

「――当然だ」


 レグルスは痛みを堪えながら、魔剣を杖代わりにして立ち上がる。


『レグルス、負傷の度合いは?』

「肋骨が数本というところだ」


 やはり七人の鎧姫の一人なだけはある。生半可な強さではない。

 威力、速度、技の練度、どれをとっても非の打ち所がない。一撃でも喰らえば、それが即座に致命傷になりうる。

 しかし、まだ戦える。


「さあ、どうするよ? 鞭が二本になった以上、もう間合いに入ることは叶わねえ」


 フレイアはにやりと愉しそうに笑った。


「てめえに残された選択肢は二つ。このままじわじわと嬲り殺されるか、僅かな可能性に懸けて突っ込んで死ぬかだ」


 もっとも、と言った。


「後者の選択肢を選ぼうとしても、さっき一撃喰らった恐怖が、脳裏にこびり付いて離れねえだろうけどな」

「俺は歩みを止めるつもりはない」


 レグルスは息を吐くと、魔剣を正中線の前に構えた。

 その揺るがない目は、フレイアを見据える。


「――命尽きるその瞬間まで、進み続けるだけだ!」


 そして、躊躇なく前に踏み出した。


「ははっ! こいつ、イカれてやがんのか!?」


 突っ込んでくるレグルスを前に、フレイアの目に一瞬、畏怖の感情が過った。

 だが、呑まれることはなかった。


「ひゃはは! 面白え! 最高だぜてめえは! こういう奴と出会えるから、命を懸けた戦いってのは止められねえ!」


 過った畏怖を上塗りするように、狂気の笑みを表出させる。


「だが、あたしの間合いには入らせねえ! てめえはここに辿り着く前に、炎の鞭の雨に打たれてくたばるんだからよぉ!」


 そして迎え撃つため、両手の鞭の持ち手を力強く握りしめる。二の腕に筋が浮かぶ。


「――双頭の炎蛇雨(ファイアーレイン)!」


 叫び声と共に放たれた双頭の鞭。

 高速で放たれた炎の鞭は、無尽蔵に打撃の豪雨を降らせる。鋭く何度も叩きつけられた鞭の雨は地面を深々と穿った。

 レグルスはその中に迷い無く踏み込む。


「全身、穴だらけにしてやるよ!!」


 凄まじい速度で降り注ぐ鞭の嵐。

 豪雨に降られながら、しかし突き進むレグルスの身体には傷一つつかない。

 迫り来る鞭の軌道を全て剣で逸らしていた。

 最小の動きで、自らに迫る攻撃の矛先を避ける。

 それ故に立ち止まる必要もなく、いなしながら前進し続ける。

 ほんの僅かな狂いすらも許されない極限の芸当。

 それを可能にしているのは、精密な剣捌きと、獣並みの動体視力。


「やるじゃねえか……! だがな! こちとらまだ、手は残ってんだよ!」


 フレイアが吼えた次の瞬間。

 鞭が纏っていた炎自体が意志を持ち、枝分かれして牙を剥いた。鞭の動きとは別に、炎自体が鞭のように迫ってくる。


「……!」


 二本の鞭から分離した無数の炎の鞭たち。その姿はまるで多頭蛇の怪物のよう。

 全てがうねりを上げながら襲いかかってくる。


「これがあたしの切り札、炎々の龍雨(エンドレスレイン)だ! どうよ! こいつはさすがに防ぎきれねえだろ!?」


 同時に迫り来る鞭の雨。

 防ぎきることができずに、それらはレグルスの身体に激しく降り注いだ。地面を深々と抉るほどの攻撃が無数に叩きつけられる。

 本来なら即座にその場に崩れ落ちるはずだった。

 だが、レグルスの歩みが止まることはなかった。鞭の雨に打たれながらも、弛むことなく真っ直ぐに力強く距離を詰めてくる。


「なっ……!? 嘘だろおい!? 間違いなく全弾直撃したはずだ! なのに、どうしてまだ向かってこられんだよ!?」


 先ほどの吹き飛ばされた一撃は不意打ちだった。


 ――だが、最初から来るのが分かっていれば、堪えられる。


 気力を奮い立たせ、鞭の雨に打たれながら、弾き飛ばされてしまわぬよう、一歩、また一歩と痛みを堪えながらレグルスは前に進んでいく。

 フレイアはその歩みを止めようと、必死に鞭を振るい続ける。その表情からは、先ほどの余裕は消えていた。

 次第にじりじりと距離は詰まり、ついに剣の射程圏内にまで辿り着いた。


「この……! いい加減――くたばりやがれえええええ!」

「はああああああああっ!」

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