第27話 闘技場

 上層の中心部にそびえ立つ闘技場。

 歴史を感じさせる石造りの巨大な円形の建物は、エルスワース王国の興行として遙か昔より国民たちに親しまれてきた。

 かつては老若男女で賑わっていた観客席。だが、今やそこに座るのは女騎士たちのみ。

 エルスワース王国騎士団の全二十部隊――各部隊の隊長と騎士たちが騎士団長フレイアの招集によって集まっていた。

 警備や守衛のために割かれた人員を除けば、今この闘技場にはエルスワース王国騎士団がほとんど一堂に会している。


 女騎士たちで埋め尽くされた観客席は熱気に満ちていた。罵声や歓声が飛び交い、巨大な感情の奔流が渦巻いている。

 それらは全て、中央の舞台に向けられていた。


 すり鉢状になった闘技場――その心臓部。熱気の真っ只中に、ホルスは立っていた。


 数日前。

 街の様子を偵察しに出たホルスは、女騎士たちに拘束された。抵抗する間もなく、剣の柄を後頭部に受けて気絶してしまった。完全に不覚だった。

 その後は幽閉され、今日になって引きずり出された。


 捕まったのは自分だけではなかったらしい。

 舞台上にはホルスの他にも、五人の男たちが上げられていた。

 いずれも見知った顔ばかりだった。

 下層街に根ざす各組織のリーダー格だ。

 人を率いた経験がある者だけが持つ風格と覚悟を纏っている。


 だが、そんな彼らは皆、不安を隠しきれないでいるようだった。

 怯えたような視線の先――そこに立つ女騎士の圧倒的な風格を目の当たりにして。


「てめえら、よく来てくれたな。あたしの遊び場に」


 燃えるような赤い髪の女騎士は、歯を剥き出しにして笑った。

 遊び盛りの無垢な子供のように無邪気で、残酷な笑み。

 見栄や虚飾を全く感じさせない、欲を剥き出しにした姿。

 それ故に凄みが際立っていた。

 凡百の女騎士たちとは明らかに異なる格があった。

 エルスワース王国騎士団長――フレイア=バレットハート。

 純粋な強さというのは美しい。ホルスは彼女と対峙してそのことを初めて理解した。敵にも拘わらず見とれてしまった。


「てめえらも知ってるとは思うが、騎士団の部隊長が一人欠けちまってな。その穴を埋めないといけなくなった。

 部隊長は強い奴がやるべきだ。あたしが二十人いればいいんだが、そういうわけにもいかねえだろ? だから娘たちを配属させてる。

 一人欠けたから、また作らないといけねえ。部隊長が出来るくらい強い娘を。そのためには活きの良い雄が必要なわけだ」


 フレイアはそう言うと、にやりと笑みを浮かべて告げた。


「だからお前ら、お互いに殺し合え」

「「!?」」

「生き残った一人を種馬としてあたしが飼ってやるよ。そうなりゃ、この上層で悠々自適の暮らしが送れるぜ? 

 美味いものは食い放題。過酷な労働に身をやつす必要もねえ。食べて、寝て、ヤる。欲を全部満たすことができる」


 ただし、と釘を刺すように言った。


「その権利を得られるのは一人だけだ。他の連中はここで死んで貰う。弱い雄になんざ何の価値もねえからな。欲しいのは活きの良い雄の種だけだ。

 弱い奴には生きる資格はねえ。雑魚はすべからく淘汰されるべきだ。それが正しい世界のあり方ってやつじゃねえか。なァ?」


 男たちの表情に猜疑心を読み取ったのか、フレイアはふっと笑いかける。


「心配すんな。あたしは約束は守る。後からやっぱナシなんて野暮は言わねえ。生き残った奴には存分に褒美を与えてやる」


 そして焚きつけるように、声を張り上げた。


「さあ、とっととおっぱじめようぜ! 誰が生き残って楽園にたどり着けるのか! 血で血を洗う戦いの幕開けだ!」

「「…………っ」」


 固唾を呑んでいた男たちは互いに顔を見合わせる。

 地獄に垂らされた希望の糸。それを掴むことができるのはただ一人だけ。

 しばしの沈黙の後、彼らはやがて覚悟を決めたように表情を固く引き締めた。

 その瞳に宿っているのは、互いに対する敵意。おもむろに武器を取ると、示し合わせたかのように臨戦態勢に入る。

 相対する男たちが構えた武器。その切っ先は同性を傷つけ合うために向けられている。


 フレイアには決して敵わない。このままでは確実に全滅してしまう。

 だからせめて、自分だけでも生き残る。

 彼らの思い詰めた表情からは諦観と覚悟が伝わってきた。


 だが――。

 互いに相対する男たちの中、一人だけ別の方向を向いている者がいた。


 ホルスだった。

 ホルスは構えた剣の切っ先を、フレイアに対して向けていた。


「おいおい。坊ちゃん、あたしの話を聞いてなかったのか? てめえら同士で戦り合えと言ったはずだぜ? 自由になりたくねえのか?」

「何が自由だ……! 結局はお前たちに隷属したままじゃないか! 僕にはそんな仮初めの自由なんて必要ない!」

「ふぅん? じゃあどうするつもりだ? てめえら同士で殺し合わないと、てめえはここで死ぬことになるんだぜ?」


 剣を構えたホルスは、フレイアを真っ向から見据え、啖呵を切る。


「――お前を倒せば、ここにいる全員が助かる」

「…………ふっ」


 フレイアは空気が抜けるように小さく笑みをこぼすと、


「くく……ははははっ! 面白え! このあたしを倒すときたか!」


 目に涙を浮かべ、腹を抱えて大笑いしていた。

 観客席からも爆ぜるような女騎士たちの笑い声が起こった。

 四方から押し寄せる巨大な声のうねりに、ホルスは呑み込まれそうになる。鳩尾にぐっと力を込めて懸命に耐えた。

 笑い疲れたフレイアは目尻の涙を指先で拭うと、ふっと醒めた表情を浮かべ、ホルスを見下ろしながら冷静に言った。


「けどよぉ、お前、そんな震えながら戦えんのか?」 

「――っ!」


 剣を構えるホルスの腕は、小刻みに震えていた。

 ガチガチと音が聞こえる。

 それは自分の歯が打ち鳴らしているものだった。

 次の瞬間。

 相対していた他の五人の男たちの頭部が一瞬にして消し飛んだ。


「!?」


 何が起きたのか全く分からなかった。

 ホルスは弾かれたようにフレイアを見やる。凜然と立つ彼女の手元には、燃えさかる火炎を纏った鞭が握られていた。


 あの鞭が振るわれた。それは理解できた。

 けれど、いつ振るわれたのかはまるで見えなかった。


 圧倒的な速さと威力。見せつけられた格の違い。

 ホルスの戦う意志をへし折るには、今の一撃で充分だった。


「どう足掻こうが、てめえはあたしには勝てねえよ」


 獰猛な笑みを浮かべるフレイアを前に、ホルスは呑まれてしまった。

 大蛇に睨まれた蛙のように。

 その時初めて、死が明確な輪郭を伴って迫っているのを感じていた。


 ――怖い。怖い。怖い……!


 ひとたび呑まれてしまうと、底が抜けたように止まらなかった。

 頭の中が真っ白になる。構えた剣の焦点はまるで定まらない。自分が今どこに立っているのかも分からなくなる。呼吸は千々に乱れ、目からは涙が止めどなく溢れた。


 ホルスの心が折れたのを見て取ったのだろう。

 フレイアはにやりと笑みを浮かべると、ホルスの元へと歩み寄っていった。無防備な彼の髪を鷲掴みにすると――。


「だが、その無謀さは気に入ったぜ。事と次第によっては生かしてやってもいい」


 鼻先が触れあう距離。

 怯えに濡れたその眼球を見据えながら、フレイアは湿度を帯びた声で問いかける。


「なァ、てめえ、白髪の剣士って知ってるか? 下層街に潜伏してる、アネモネを討った男がいるんだけどよ」

「…………!」


 萎縮していた眼球が、息を吸い込むように大きく見開かれる。

 ホルスはそれがレグルスのことだとすぐに気づいた。

 フレイアはその反応を見て、ホルスがお目当ての剣士を知っていると確信したようだ。口元を残酷に歪めると、仮初めの優しさを声に乗せる。


「今、そいつを探してるんだが、中々手を焼いててな。もし居場所を知ってたら、あたしに教えちゃあくれねえか?」


 フレイアはそう言うと、間を置いて続ける。


「知ってるんだろ? あいつのこと。白髪の剣士は、鉄鼠の歯のリーダーと共にアネモネを討ったらしいからなァ」

「……僕にレグルスさんを売れと言ってるのか?」

「ああ。そうすりゃ、てめえの命は保証してやる」


 吐けば楽になれる? この死の恐怖から解放される? その誘い文句は、これ以上ないほどに甘美な響きに聞こえた。


「だが、居場所を吐かなければ、てめえに待つのは死だけだ。惨たらしく殺されるようなことにはなりたくねえだろ?」


 そうだ。死にたくなんてない。死を免れるためならどんなことでもする。

 フレイアと対峙してより強くそう思うようになった。

 レグルスさんは僕の家に潜伏している。そう答えればいい。それだけ言えば、今目の前に迫った死の恐怖から逃れることができる。

 それに――伝えたとしても彼が仕留められるとは限らない。


「……レグルスさんは凄い剣士だ。今まで誰も叶わなかった女騎士を討ち取った。僕たちにとっての希望の存在だ」


 ただの女騎士だけではなく、部隊長まで討ち取ってしまった。

 だから。


「僕が居場所を吐いても、レグルスさんなら一人で何とかするかもしれない。大勢には何の影響もないのかもしれない」


 そうだ。レグルスさんはこれまでに何度も窮地を乗り越えてきた。だから居場所がバレても生き残ることができるかもしれない。


「かもな。そう思うのなら居場所を――」

「だけどッ!」


 ホルスはフレイアの声を掻き消すように声を張り上げた。


「僕はレグルスさんと共に戦うと決めた時に誓ったんだ! 足手纏いにはならないと! あの人の歩む道の邪魔はしないと!」


 レグルスは隷属させられている男たちにとっての希望だ。

 その剣は、女王にも届きうるかもしれない。やがては世界をも変革しうるかもしれない。

 だから、とホルスは強い口調で言い切った。不安や怯え、死への恐怖、その何もかもを胸の内側にある小さな誇りの中に押し込めながら。


「僕は絶対にレグルスさんの居場所を吐いたりはしない! たとえ殺されようとも! 僕は僕の立てた誓いを守る!」

「…………てめえ、いい根性してるじゃねえか」


 フレイアのこめかみに太い筋が浮かんだ。鞭を握る腕の筋肉が盛り上がる。


「そこまで言われちまったらしょうがねえ。その蛮勇さに免じて、これ以上ないほどに惨たらしく殺してやるよ!」


 惨劇を期待して湧き上がる観客席。大きく振りかぶられた、焔炎を纏った大鞭。

 その光景を見た時、ホルスは自分の死期を悟った。


 ――僕はここで死ぬ。


 それでも、僕は闘った。最後まで屈さなかった。

 何も成し遂げてはいない。だから、誰からも讃えられることはないだろう。

 ただ、そんな自分に対して胸を張ることはできる。それだけでも、充分だ。

 死を受け容れて目を瞑った。


 次の瞬間、鋭く振るわれた鞭はホルスの首を呆気なく撥ねた――。


 はずだった。


 だが、いつまで経っても最期の時は訪れなかった。

 代わりに息を呑むような声と、観客席からのどよめきが聞こえてきた。

 恐る恐るまぶたを薄く開けたホルスは、自分の目を疑った。


「てめえは……」


 フレイアが怪訝そうな声を漏らした。

 

 夢を見ているのかと思った。

 禍々しい漆黒の剣を携えた、白髪の剣士――憧れたその背中がホルスを守るように、眼前に立っていた。

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