第25話 騎士団長
王都の中心に、天を突くようにそびえ立つエルスワース城。
王都でもっとも高みにあるのがその城だとすれば、エルスワース騎士団が有している駐屯地はもっとも広大な敷地だった。
そこには千人もの女騎士を抱えられる兵舎が建ち並び、練兵場、武器庫、食糧庫と、王都の武力の殆ど全てが集結している。
まるで一つの小国のように広大な敷地の最奥地に、その屋敷は鎮座していた。
巨大な龍の彫刻が刻まれた正面門。
庭園には大陸中のあらゆる希少な花々が咲き乱れ、中央には悪趣味なほどの輝きを放つ黄金の噴水が鎮座している。
贅の極みを尽くした、悪趣味なほどに煌びやかな屋敷。
そこに住まうことができるのはたった一人。
王都に存在する千人の女騎士たち――その頂点に立つ者のみ。
屋敷の最上階、玉座の間の前には女騎士が駆けつけていた。
アネモネが討たれた一報を受け、焦燥に駆られながら報告に訪れていた。
「フレイア騎士団長。至急お耳に入れたいご報告が――」
両開きの扉を開けた瞬間、女騎士は思わず息を呑んだ。
玉座の間は血に塗れていた。
鮮やかな赤絨毯の色を上塗りするように、濃い血が床に撒き散らされている。
それは巨大な獣たちの骸から流されたものだった。
玉座の間に折り重なった巨大な獣たちの骸――その上にあぐらを掻くようにして、その女騎士は豪快に鎮座していた。
燃えるような紅い髪。野性味溢れる好戦的な瞳。大柄の男にも引けを取らないどころか圧倒するほどの長身とがっしりとした骨格。
引き締まった筋肉質の肉体に装備されたそのビキニアーマーは、彼女の髪色と同じ鮮烈な炎のような輝きを放っている。
汎用型のビキニアーマーとは比べ物にならない圧倒的な存在感。
それを身に付けている彼女こそがエルスワース王国の騎士団長――そして千年前の英雄大戦を戦い抜いた七人の鎧姫(セブンビキニクイーン)の一人。
フレイア=バレットハートその人だった。
「こ、この獣たちはいったい……?」
「あー、ビビんなビビんな。腹ごなしに軽く運動しようと思ってよ。闘技場からブラッドベアを連れてこさせたんだ」
フレイアはあぐらを掻いたまま、足下に積まれた獣の山を一瞥して鼻を鳴らした。
「けどこいつら、相撲取ったらすぐに潰れちまってよ。だらしねえ奴らだ。こっちはまだ全然満足してねえってのによ」
王都の上層には闘技場がある。
そこでは見世物として、奴隷の男たちが日夜獰猛な獣と戦わされている。どちらが勝つかの賭博も盛んに行われていた。
ブラッドベアはその中でも屈指の強さを誇る獣だ。
太い腕から放たれる鋭い爪は岩をも裂き、分厚い毛皮は刃も通さない。
男たちの歯が立たないのはもちろん、女騎士であっても苦戦を強いられる。並みの使い手では武器を使っても全く傷を負わせられない。
それを膂力だけで仕留めてしまうとは……。何という怪力だろうか。
フレイアの圧倒的な肉体に女騎士は感服した。
「それでどうしたよ? わざわざ駆け込んできたってことは、何かあたしに伝えたいことがあるんじゃねえのか?」
「そ、そうでした」
落ち着きを取り戻した女騎士は、上ずった声で報告した。
「報告です! 第五部隊のアネモネ隊長が討ち取られました!」
「…………ああん?」
報告を聞いたフレイアは眉をひそめた。
「あいつはビキニアーマーを身に付けてたんだろ? なんだ? 騎士団の中で反逆者でも出たってのか?」
「いえ、その、相手はどうやら男のようです。禍々しい漆黒の剣を使う白髪の剣士が、第五部隊を壊滅させてしまったと」
「………………」
沈黙するフレイアを前に、女騎士は震え上がる。
アネモネはフレイアが腹を痛めて産んだ実の娘だ。それが討たれたとなれば、怒りに我を忘れるのも無理からぬ話だ。
この沈黙は大噴火の前の予兆。ひとたび噴火が起これば、その業火は男だけでなく、女騎士たちも焼き尽くしかねない。
それ故、女騎士は戦々恐々と身構えていた。
だが。
「…………いいねえ」
「え?」
フレイアの表情に滲んでいたのは、怒りでも動揺でもなかった。そこにあるのは面白そうな玩具を見つけた時の楽しげな笑み。
「やるじゃねえか! ええ!? アネモネを討っちまうなんてよ! 王都にもまだ活きの良い雄が残ってたとはなあ!」
高らかな笑い声を上げるその姿には、娘を討たれたことの悲愴感は欠片もない。むしろ高揚さえしているようだった。
その姿に唖然とした女騎士は、思わず尋ねていた。
「……あの、お怒りにならないのですか?」
「あん?」
「アネモネ隊長はフレイア騎士団長のご息女ですよね。ご息女を討った白髪の剣士のことが憎くないのですか?」
「バカ言うんじゃねえよ。この世は弱肉強食だぜ? アネモネは弱いから討たれた。ただそれだけの話だろうが」
フレイアはつまらないことを聞くなとばかりに鼻を鳴らすと、
「それにあたしに何人娘がいると思ってんだ。まだ他にいくらでも残ってる。いなくなればまた作ればいいだけの話だ」
エルスワース騎士団は二十の部隊で構成されている。
それぞれの部隊の隊長を務めている女騎士たち――名前こそは違えど、その姓はいずれもバレットハートの名を冠していた。
騎士団長フレイアを頂点に君臨させたエルスワース騎士団。その部隊長の座は全て、彼女の娘たちが務めていた。
「ああ、身体動かしたら、また腹減ってきたな。ちょうどいい。こいつら、片付けるのも手間だし喰っちまうか」
フレイアは足下のブラッドベアの骸に目を向けると、おもむろにその太い腕を掴み、豪快に毛皮の上からかぶり付いた。
「!!?」
ブラッドベアの分厚い毛皮は剣をも通さない。だが、フレイアの強靱な歯と顎は毛も皮も骨も構わずにゴリゴリとかみ砕いた。
腕だけじゃない。胴体も足も、頭部も。血しぶきを撒き散らしながら、フレイアは巨大な竜巻のように全てを自らの血肉へと取り込む。
女騎士は血生臭さに耐えきれずに膝から崩れ落ちると、その場に嘔吐した。赤い絨毯の上に吐瀉物が撒き散らされる。
「おいおい。人が飯食ってる傍でゲロぶちまけんなよ。食欲が失せるだろうが」
フレイアは煩わしそうに吐き捨てると、
「まあでも、あたしの欲は無尽蔵だからな。尽きることはねえ。食欲に限らず、あらゆる欲望がどこまでも湧いてくる」
血飛沫を上げながら、獣たちを余すところなく喰らい尽くすフレイア。
その姿はまさに暴食。
本来なら目を覆いたくなるようなグロテスクな光景にもかかわらず、女騎士はそこから目を背けることができなかった。
美しかった。全身全霊で欲を満たそうとするその姿が。
むせかえるような食欲の発露は、むせかえるような色気を帯びていた。
思わず自分も彼女に喰らい尽くされたいと思ってしまうほどに。
嗚咽し、嘔吐しながらも、焦がれずにはいられなかった。
十匹いたブラッドベアの巨体は、瞬く間にフレイアの胃袋に取り込まれた。その身体のいったいどこに収まるのかと女騎士は不思議に思う。
「足りねえな。全然足りねえ。こんなんじゃまるで満たされねえ」
しかもまだ満足していないらしい。
「決めたぜ。その白髪の剣士とやらはあたしが仕留める」
指についた血をべろりと舐め取ると、フレイアは好戦的に笑った。
「捕らえてた男連中は全身、干からびて死んじまったからな。そろそろ活きがいい種馬が欲しいと思ってたところだ」
フレイアの二十人の娘たちはそれぞれ別の男の種から生まれた。だが彼らの中で、今も存命している者は一人もいない。
すでに全滅してしまっていた。
そして男たちの死因は、いずれも共通していた。
腹上死。
フレイアの底なしの欲の強さに全員壊されてしまった。
猛り狂う性欲の前に男たちは搾り取られ、ミイラのように枯れ果てた。
彼女に喰らわれ、彼女の中に呑み込まれてしまった。
「強い雄を屈服させた時の快感は、ありゃ病みつきになっちまうからな」
フレイアはうっとりと舌なめずりをすると、野性的な目をぎらつかせる。
「ビキニアーマーを付けたアネモネを討ったとなると、敵は相当のやり手だろ。久々に愉しい戦いができそうだ」
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