第23話 神速の剣

 振り返ったレグルスは、後方のアネモネの率いる女騎士たちと対峙する。ビキニアーマー姿の女騎士たちの猛攻を受け流すと、次々と斬り伏せていった。


「へえ……自分、中々やるやんか」


 その様子を後方から見物していたアネモネが、感嘆の声を漏らす。


「エライザの分隊を一人で壊滅させたんはあんたやろ? 確かにその剣の腕、そんじょそこらの女騎士よりも上等やわ」

「批評する余裕があるなら、とっとと掛かってきたらどうだ?」

「うちが出ていったら、すぐに終わってしまうからな。久々のドンパチや。お祭りごとは長い方が楽しいやろ?」

「生憎、祭りなんてものに縁はなかったものでな」

「暗くて寂しい人生やったんやね」


 アネモネはそう嘲笑すると、


「言うても、この子らは所詮一兵卒やからなあ。ビキニアーマーがなかったら、生身では到底使い物にならへん程度の力量やし」 

「お前は違うのか?」

「にゃはは。誰に聞いてるん? うちは部隊長やで? この子らみたいなへっぽこといっしょにされたら心外やわあ」


 上辺だけの軽薄な笑みを顔に貼り付けると、


「まあでも、そうやなあ。この子らだけやとあんた相手には荷が重いやろうし。ここらでうちが出張っていくかな」


 他の女騎士たちを控えさせると、アネモネは前に出てきた。剣を抜き、本心が見えない笑みを浮かながら構える。

 互いに剣を構えた状態で、レグルスとアネモネは相対する。


「なァ、うちは今まで敵と打ち合いをしたことが一度もないんや。それがなんでか、あんたに理由が分かるか?」

「さあな」

「うちの初撃である上段からの斬りつけ――【天空落とし】を受けて、立ってられた奴はこれまで一人もおれへんからや。

 一撃必殺で決着がつく。だからうちは打ち合いなんてしたことないねん。それで騎士団の中では神速の剣って呼ばれてる」

「随分と大層な呼び名だ」

「大層かどうかは、身を以て味わってみるとええ」


 二人の対峙を目にしたセレナが、焦ったように叫び声を上げた。


「レグルス、気を付けて! アネモネ隊長は他の騎士たちとは格が違う!」

「聞いた? セレナちゃんのお墨付きやで」

「それは楽しみだ」


 アネモネはえくぼを深めると、ゆらりと上段に剣を構えた。


 ――確かに部隊長というだけのことはある。隙のない良い構えだ。


 レグルスは迎え撃とうと下段に剣を構える。


「にゃはは! ほんなら行くで!」


 先に動いたのはアネモネだった。剣を構えたまま、足下を蹴り、地面を駆る。レグルスに向かってくるのではなく――真横へと。

 その瞬間、異様な光景が生じた。


「これは……」


 レグルスを取り囲むように、上段に剣を構えたアネモネが何人も立ち現れる。まるで彼女が分身したかのように見えた。

 だが、そうではない。

 高速で移動することによって、何人ものアネモネが同時に出現しているかのように錯覚させているのだ。


「にゃはは! びっくりしたやろ! これがうちの必殺の剣技や!」

 

 アネモネの高笑いがどこからか響いてくる。

 ビキニアーマーを身に付けたことで身体能力が向上しているのは間違いない。だが彼女自身のたゆまぬ鍛錬があってこその芸当だろう。


 ――中々やるようだな。


「さあ、どっから剣が来るかお楽しみやでぇ!」


 分身たちの立ち並ぶ中、アネモネの獰猛な笑い声が響いた。


 

 アネモネは高速移動しながら、レグルスの出方を窺っていた。

 レグルスは腰の下に剣を構えたまま、動かない。


「当てずっぽうで剣を振ってみたら当たるかもしれへんで?」


 挑発にも乗ってこない。不気味なほどに沈黙を貫いていた。


 ――なんやこいつ、焦ってないんか?


 この状況になった者はまずパニックに陥る。

 どこから攻撃が来るか分からない。その恐怖に駆られて平静を保てなくなる。

 闇雲に剣を振りでもしたらこっちのものだ。正気を失った隙だらけの相手など、赤子の手を捻るように仕留められる。


 だが、レグルスは動かない。腰の下に構えられた剣は、湖面のように静まり返っている。


 ――ふん、大丈夫や。うちの剣技に反応できる奴なんかおらへん。


 漂っている不気味さを自負によって掻き消すと、アネモネは動いた。

 剣を構えているレグルスの死角――包囲網の右後方部から飛び出す。


 レグルスは動かない。


 アネモネは間合いを詰めると、上段に構えた剣を始動させた。すでにそこは彼女にとっての攻撃範囲。充分に獲物を仕留められる距離。


 まだレグルスは動かない。


 ――勝った!


 その瞬間、アネモネは勝利を確信した。

 初動に入った時点で、神速と謳われるこの剣を止められる者はいない。

 こと初撃の強さにおいては騎士団の他の部隊長たちはおろか、騎士団長やこの国の女王にも引けを取らないと自負していた。


 ――可哀想な奴や。ここまで来ても全く気づいてない。


 自分が斬られたことに気づいた時には、すでに地獄行きは確定だ。


 ――終わりや!


 そして死角から斬り掛かろうとした。その瞬間だった。


 レグルスが動いた。


(――え!?)


 弾かれたように振り返ったレグルスは、アネモネを真っ直ぐに見据えていた。獰猛な獣の眼光に射貫かれ、心音がどくんと高鳴った。


 ――ウソやろ!? なんで死角からの攻撃に反応出来るんや!?


 だが、アネモネは失いかけた正気を取り戻した。

 いや、大丈夫だ。問題ない。気づかれたとしても、すでにこちらは攻撃に入っている。神速と謳われた剣を止められるわけがない。


 しかし。

 上段から振り下ろしたその剣はすでに根元から折られていた。


 ――は!?


 アネモネは自分の目を疑った。何が起きたのか、全く理解できなかった。

 そして数瞬遅れて気づいた。腰の下に構えていたはずのレグルスの剣が、いつの間にか肩口にまで上がっていることに。


 ――まさか、振ったんか? 剣を? あの一瞬で!? 嘘やろ!?


 だがそれ以外には考えられない。

 神速と謳われたアネモネの剣を遙かに上回る速度で剣を振り抜いた。


「……がはっ!?」


 アネモネの剣を斬った一撃は、そのまま肉体にまで届いていた。ビキニアーマーの胸元の魔核がひび割れると、粉々に砕けた。

 遅れて知覚した斬撃の衝撃に、吐血する。

 全身から力が抜け落ちると、膝から地面へと崩れ落ちる。


 全く捉えることができなかった。

 斬られたことにすら、気づけなかった。

 

 がくりと項垂れながら、アネモネは目の前に立つ男に問う。


「あんた、うちのこと泳がせてたんか……。けど、なんで気づけたんや……。間違いなく死角を突いたはずやのに」

「ああ。だから視覚ではなく、気配を読み取った」

「気配……」

  

 見上げて、白髪の男と目が遭った瞬間に全身が総毛立った。

 静かに佇んだ瞳。

 その奥には深く燃えるような怒りの灯があった。


 ――こいつ、何て目をしとるんや……。

 

 いったいどれだけのことがあれば、こんなに激情を抱けるのだろう。なぜこれだけの激情を抱きながら、正気を保っていられるのだろう。

 自分の神速の剣は騎士団長や女王にも届きうると自負していた。敗れた今でも、その認識が揺らぐようなことはない。

 ただ、この男もその領域にあったというだけだ。

 男相手に初めて抱いた畏怖の念の後、アネモネの意識は途切れた。

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