第14話 協力の要請

鉄鼠の牙のアジトでの戦いから数日が経った後。

 レグルスはホルスと共に下層街の薄暗い路地を歩いていた。


『結局、あの日倒した女騎士たちも手に掛けなかったわね』


 腰に差していた魔剣アウローラが呟きの声を漏らした。

 あの後、レグルスはセレナを見逃した。セレナだけでなく、討ち倒したビキニアーマーの女騎士たちにもとどめを刺さなかった。


「言ったはずだ。俺の目的はビキニアーマーの女騎士たちの殲滅だと。ビキニアーマーを失った連中にそれ以上の危害を加える理由はない」


 ビキニアーマーを破壊した時点で、彼女たちの騎士としての生命は事実上絶たれた。

それに直接の因縁があるのはあの日、王都を滅ぼした――七人の鎧姫たちだけだ。


『組織の男たちは皆、納得していなかったみたいだけど』

「別に奴らに納得して貰う必要はない。あくまで俺の考えに過ぎない。連中が自分で始末を付ける分には止めはしなかった」


 実際、組織の男たちは女騎士たちに報復しようとしていた。

 だがそれは行われなかった。ホルスが制止したからだ。


「ホルス、なぜお前は奴らを止めた? お前も女騎士たちに隷属させられ、散々煮え湯を飲まされてきたんだろう」

「……ええ。彼女たちに恨みがないと言えば嘘になります」


 ホルスは頷いた。


「だけど、今の僕たちがしなければならないのは、この国を変えることです。彼女たちの尊厳を無為に貶めることじゃない」


 そして自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「……憎しみに対する報復は、また更なる憎しみを生むだけです。どこかでその負の連鎖は止めないといけない。僕はそう思うんです」

「…………そうか」


 レグルスはそれ以上、何も言うことはなかった。


「その後、騎士たちの様子に変わりはないみたいですね」

「ああ」


 見逃した連中から騎士団の上層部に分隊壊滅の情報が伝わり、レグルスを討伐するために大挙するのではと考えていた。

 しかし街を巡回する女騎士たちの数は増えていない。特にレグルスを捜索しようと躍起になっている雰囲気もなかった。


「彼女たちは上に報告していないのでしょうか」

「さあな。いずれにせよ好都合だ」


 警戒されないに越したことはない。


「レグルスさん、あれ……!」


 ホルスの指さす先――路地の一角に見覚えのある顔を見かけた。

 向こうもこちらに気づくと、驚きの表情を浮かべる。


「あなたは……!」 

「確か、セレナだったか」


 レグルスはビキニアーマーを着ていない唯一の女騎士の名を呼んだ。


「ど、どうして私の名前を……!?」

「他の者から聞いた。騎士団内でも随一の腕利きの剣士だと」

「ふ、ふうん、腕利きの剣士ね……」


 セレナは前髪を指でくるくると巻きながら、どこか照れ臭そうにしていた。


「それより、先日の件だが。上に報告しなかったのか」

「もちろん報告したわ。一人の剣士に分隊を壊滅させられたと」 

「その割に騎士団の連中は警戒していないようだが」

「上層部は脅威に思っていないからよ。下層に紛れ込んだ鼠一匹程度に対して、いちいち血眼になる必要はないと。慢心しているの」


 セレナの口調は批判的だった。


「お前はどうするんだ。剣を抜くのなら、また相手になるが」

「一度完膚なきまでに負かされたんだもの。同じ結果になるのが見えているわ」

「だが、応援を呼べば結果は変わるかもしれない」

「そうかもしれないわね」

「なのに、なぜお前はそうしようとしない」

「……さあ。私にもよく分からないわ。戦う気になれないの。覚悟もないのに、剣を執ることはできない」


 セレナはそう言うと、


「それよりあなた、失礼じゃないかしら」

「失礼?」

「私の名前だけを一方的に知っているなんてフェアじゃないでしょう? あなたもちゃんと名を名乗りなさい」


 じとりとした目で詰め寄られる。なぜか妙な迫力があった。


「……レグルスだ」

「名字もよ」

「……ブラッドモアだ」

「そう、レグルス=ブラッドモアね」


 セレナの声色はどこか上機嫌だった。

 レグルスは彼女に言った。


「セレナ、お前に一つ頼みがある」

「……頼み?」

「ああ。俺を上層まで連れていってくれないか」

「………………は?」

「お前は騎士団の一員なんだろう。なら、他の女騎士たちに見つからないように俺を上層に案内することも可能のはずだ」

「…………一応聞くけれど。上層に行って何をするつもり?」

「言ったはずだ。俺の目的はビキニアーマーの殲滅だと。だが、女騎士たち全員を討つにはとても手が足りない」


 だから、とレグルスは言った。


「女王を直接討つ。最強の女騎士と称されるウルスラを討てば、他の女騎士たちの戦意を喪失させることもできるはずだ」

「……じょ、女王を討つ……!?」


 セレナは唖然とした面持ちをしていた。


「あなた、自分がいったい何を言っているか分かっているの!? 女王陛下はこの大陸でも最強と謳われる女騎士なのよ!?」

「ああ」レグルスは頷いた。「だが、奴を仕留めるのが俺の使命だ」

「……!!」


 呆気に取られた表情を浮かべるセレナ。


「……というか、私、一応この国を守る騎士なのだけれど。普通、頼むにしても何かしらの建前を用意するものじゃないかしら」

「隠していても仕方がない」


 レグルスは憮然と答えた。


「それにお前を騙すような真似はしたくない」

「~~~~っ!?」


 セレナは狼狽した様子を見せた。


「どうだ。引き受けてくれるか?」

「ろ、論外に決まってるでしょう!? 馬鹿じゃないの!? そもそもなぜ私があなたの頼みを聞かないといけないの!」

『まあ当然と言えば当然の反応よね』


 アウローラが呆れたように呟いた。


『むしろどこに勝算があったのか聞いてみたいわ』

「試すだけ試してみただけだ」


 レグルスたちの会話を尻目に、ホルスは何かに気づいたかのように口を開いた。


「セレナさん、その方は……」

「……ここに倒れていたの。恐らくは【ストロング】の服用者よ」


 セレナの足下には、ボロ布の服に身を包んだ男が壁にもたれるように倒れていた。

 焦点の合わない眼球は黄ばみ、言葉にもならない言葉を泡のように呟いている。その姿からは生気が全く感じられなかった。生きながらに死んでいる亡者のようだ。


「ストロング?」

「今この街に蔓延っている薬物よ。安価で手に入って中毒性が高い。だからこうして薬に溺れる人間が溢れているの」

「薬を……薬をくれえ……!」


 壁に背をつけて項垂れていた男は、ふと夢から醒めたかのように目を見開くと、地の底から響いてくるような呻き声を上げ始めた。

 薬の効果が切れたのだろう。夢から醒め、現実に帰った男は、再び夢の中に溺れるために新たな薬を求めようとする。


 しかし、どこにも薬はない。

 薄暗い現実の路地に野ざらしにされた男の表情は、地獄の業火に晒されているかのように苦しげに歪んでいた。


「薬……どうか薬を……」


 男は藁にでも縋るかのようにセレナの足にしがみ付いた。


「金はもうないが……何でもする。どんなことを言われても従う。だからどうか、どうかあの薬を俺に分けてくれえ……!」


 騎士団のセレナが薬物を持っているはずも、分けてやるはずもない。追い詰められた男はもはや正常な思考が出来なくなっていた。


「過酷な日々から逃れるために一度手を出したら最後、死ぬまで搾取されてしまう。彼はもう二度と常人には戻れない」


 セレナは男を哀れむように見下ろしながら呟いた。

 ホルスは沈鬱な面持ちをして言った。


「ストロングを服用している間だけは、現実を忘れることができますから。心の弱い者は手を染めてしまう。一時の夢を見るために」

「弱者が求める薬の名前がストロングとは……皮肉だな」


 レグルスは吐き捨てるように呟いた。


「薬を……ああ……」


 男の弱々しく伸ばしていた手から、不意に力が抜けた。勢いよく喀血すると、操り人形の糸が切れたようにどさりと石畳の上に沈む。

 うつ伏せに倒れた男はすでに事切れていた。


 セレナは骸になった男の元にしゃがみ込むと、すっと手を伸ばし、苦しげに見開かれたその目を閉じてやっていた。

 その後、悼むようにしばらく目を閉じて沈黙した後、立ち上がった彼女は言った。


「……レグルス。さっきの話だけれど。考えてあげてもいいわ」

「何のことだ」

「あなたを上層に連れていくという話よ」

「どういう風の吹き回しだ」

「その代わり、私に協力して欲しい」

「……協力だと?」

「私は今、このストロングの出所を追っているの。これだけ流通している以上、必ず裏で手を引いている者がいる」

「だろうな」

「その黒幕を突き止め、この街からストロングを根絶する。これ以上、犠牲になる者を増やすわけにはいかない」


 セレナは真剣な面持ちをしていた。それを見たレグルスは思わず尋ねる。


「なぜお前がそこまでする?」

「私の仕事は下層街の治安維持と統治。この街の治安を乱している悪質な薬物を野放しにするわけにはいかないもの」

『ふふ。馬鹿真面目な子ね』


 アウローラが幼子を見るような微笑ましさで言った。


『こういう子の心が折れた時の絶望した顔、ぜひとも見てみたいわ』

「それに手柄を立てれば昇進の足がかりにもなる。騎士団内で地位を得ることで、私は私の目的を達成しやすくなる」

「なるほど。お前の意図は分かった。だが敢えて俺に協力を求めた理由は? 他の女騎士たちを動員すればいいんじゃないのか」

「私は末端の騎士だから。他の者を動員する権限はない。それに売人の尻尾を掴むのは騎士だけでは難しい」


 女騎士だけでは警戒されてしまう。男手があれば都合がいいということだろう。


「なるほどな。だが、それなら街にいる男連中でも良いだろう。お前が命じれば従わざるを得ないはずだ」

「そうね。だけど、そんな相手が信用できると思う? その点、私とあなたは互いの利害を共有することができる」


 セレナは自らの動機を説明すると、


「それにあなただと説得力があるもの」

「なぜだ?」

「だってほら」


 セレナは少し言葉を詰まらせてから言った。


「何というか、薬を求めても不自然じゃない風貌でしょう?」

「…………」


 レグルスは思わず言葉を失ってしまった。


「…………そうなのか?」

『ふふ。自分の姿を鏡で見てみればいいんじゃない?』


 アウローラはくすくすと笑みをこぼしていた。


『だけど、私は結構好きよ? あなたの風貌』


 それは別に聞いていない。


「……良いだろう。その計画に協力しよう」


 レグルスはセレナに対してそう告げた。


「だが、約束は忘れるな」

「もちろん。だけど、あくまでも上層に連れていくだけよ。女王のいる王城は近衛兵団の管轄だから助力もできない」

「それで充分だ」


 レグルスが頷くと、セレナは釘を刺すように言った。


「言っておくけど、私はあなたが女王を倒せるとは思っていない。だから協力するの。そのことを忘れないで」

「ああ」

「じゃあ、契約成立ね」


 不敵な笑みを浮かべたセレナは、手を差し出してくる。


「短い期間だけれど、よろしくね」


 レグルスは差し出された彼女の手を握った。


「――っ!?」

「どうした」

「な、何でもないわ」


 目を逸らしながら呟いたセレナの頬は、なぜか薄く朱に染まっていた。

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