第3話 決着
両者の死合いは永きに渡った。
それは実際にはほんの僅かな時間。けれど永遠にも思えるほどの濃密な死闘だった。
命を剥き出しにしてのぶつかり合い。
研ぎ澄まされた互いの剣は、鎖から解き放たれた猛獣のように激しかった。
ウルスラの剣技は驚異的に冴えていた。ビキニアーマーを身に付けたことで、彼女の力は何段階も底上げされていた。
それはまるで人間離れした――化け物の領域に踏み入れたかのような強さ。
だが――命を賭した極限の死合いの中、レグルスもまた同じ領域に踏み込んでいた。
ウルスラの剣に全く見劣りしない。それどころかむしろ食らい付き、凌駕さえするほどに。
激しい剣戟の中、レグルスの極限まで研ぎ澄まされた瞳は、ウルスラの放った攻撃の間に僅かな勝機の光を見出した。
――獲った!
針の穴を射貫くように放った神速の一撃。
それはウルスラが反応するよりも速く間合いを詰め、心臓を深々と貫くと、彼女の野望と息の音を止めた――はずだった。
だがしかし。
数瞬後、通路の底に倒れていたのはレグルスだった。
鎧越しに胸元は深々と抉られ、生暖かい血が止めどなく流れ出していた。
――何が、起きた……?
「さすがだ。ビキニアーマーを装備した私にここまで肉迫するとは。この鎧がなければ倒れていたのは私だったかもしれない」
ウルスラはレグルスを見下ろしながら、ふっと笑みを浮かべた。
「認めてやろう。貴様は間違いなくこの国随一の剣士だ」
そこまで言うと、口元に浮かべた笑みは、称賛から憐憫へと変わる。
「……だが、残念だったな。私に貴様の剣は通らない」
そう――レグルスの放った剣は、ウルスラの心臓に風穴を開けたはずだった。
だが、放ったはずの剣戟は、いとも容易く弾かれた。
彼女が身に付けていた――冗談のように奇天烈な鎧が纏う何かによって。
原理は分からない。
ただ確かに言えることは――自分は敗北したということだ。
「礼を言う。貴様には随分と愉しませてもらった。ここまで血湧き肉躍る戦いが出来たのは本当に久しぶりだ」
ウルスラはそう告げると、レグルスから視線を切った。
「……さて、ここからが本題だ」
「――ッ!?」
セラフィナに視線を向けると、ゆっくりと歩み寄る。
だが、セラフィナはウルスラが間合いに入ってきても、剣先を突きつけられても、その毅然とした表情を崩さなかった。
「どうした? 逃げないのか? 泣いて許しでも請うてみたらどうだ? そうすれば私の気も少しは変わるかもしれないぞ?」
セラフィナはそれには応えず、真っ直ぐにウルスラを見据えていた。その瞳にはほんの僅かの揺らぎもなかった。
「――ふん。死ぬ覚悟は出来ているというわけか。いいだろう。ならばお望み通り、ここで殺してやろうではないか」
ウルスラが忌々しげに吐き捨てるように言うと、
「レグルス。命令です」
セラフィナは視線を下げると、床に這い蹲っていたレグルスを見つめた。
目が合う。
そして彼女は言った。普段と同じ、凜とした気丈な口調で。
「お前は生き延びなさい。何としても生き長らえなさい。そして、私の剣として、自分の役目を果たし続けなさい」
そう告げると、ふっと相貌を緩める。まるで自分の最期を悟ったかのように。
「そうすれば私は生き続けることができる。お前の中でずっと。いつかきっと――夢見た理想の世界にも辿り着ける」
「やめろ……」
レグルスの喉の奥から声が漏れた。
ウルスラの剣を握った腕が、ゆっくりと振りかぶられるのを眺めながら。
慟哭するように掠れた声で叫ぶ。
「やめろおおおおおおおおおお!!」
喉が裂けるほどの叫びが、地下通路にむなしく響き渡る。
ウルスラの振るった剣は、セラフィナの首を容易く撥ねた。頭部を失った彼女の身体は、糸が切れたように通路に崩れ落ちる。
暗い通路に静寂が降りた。
水の流れる音だけがただひたすら、無情なまでに延々と響いていた。
「……ははは。あははははは! はははははははは!」
セラフィナの亡骸を見下ろしながら、ウルスラは壊れたように笑い声を上げる。額を手の平で覆い隠した彼女の指の隙間からは、かっと異常に見開かれた目が覗いていた。
「どうだレグルス!? 目の前で為す術もなく主君を殺された気分は! 自らの無力さをまざまざと思い知らされる気分は!」
昂ぶった哄笑を高らかに響かせながら叫ぶウルスラ。
その光景をレグルスは魂が抜けたように呆然と見つめていた。
身体の中の大事な部分がごそっと抉り取られたかのような感覚。平衡感覚を失い、自分が今どこにいるのかもよく分からない。
絶望が底をつくと、今度は一転して怒りがこみ上げてきた。
目の前の仇に対する激しい憎悪。
こいつを生かしてはおけない。どんな手を使ってでも殺してみせる。
そうだ。とどめを刺すために奴がこちらに歩み寄ってきた瞬間。
油断しきったその瞬間を狙えばまだ――。
しかし、ウルスラは踵を返すと、レグルスから離れていこうとする。
「……どこへ行く……!」
ウルスラはゆっくりと振り返ると、レグルスを見下ろし、醒めたように呟いた。
「貴様はもう、私が手を下すまでもなく息絶えるだろう。それまでの間、精々自分の無力さを噛みしめ続けるがいい」
「……ま、て。まだ決着は……」
白銀の髪を揺らしながら、ウルスラの剥き出しの背中が遠ざかる。
手を伸ばすが、その姿は瞬く間に小さくなっていく。
闇に紛れて完全に見えなくなると、通路にはレグルス一人が取り残される。深く刻まれた傷跡からは今もなお大量の血が流れ出していた。
自分の身体から命が溢れだしているのが分かる。そう永くは持たない。
だが、ここで終わってしまうわけにはいかない。
途切れそうな意識の糸を繋ぎ止めながら、レグルスは這うように通路を進む。
生き延びなければならない。ただその一心にのみ突き動かされていた。
暗闇の中を、冷たさに打ちひしがれながら無我夢中に這って進む。
極限を超えた痛みはやがて感じなくなり、冷たさも麻痺した。
もうすでにここは地獄で、死んだことに気づいていないだけかもしれない。
たとえ、そうだったとしても。それに気づくまでの間は、進み続けなければならない。生き延びようとしなければならない。
セラフィナにそう命じられたのだから。
やがて地下通路の果てに辿り着くと、梯子を登り、地上に出た。
そこからどうやって街の外に出たのかは覚えていない。
けれど、街の外に出たところで力尽き、近くを流れていた川の中に落ちた。
右も左も分からない。自分が今どこにいるのかも。流れが止まったと気づいた時、レグルスの身体は陸に打ち上げられていた。掠れた視界には巨大な森林の木々が見えた。川の流れに身を委ねているうちに随分と流されてきたようだった。
大量に血が流れ出し、命の灯はすでに底を突きかけていた。
もう指先一本動かすことができない。
銀色の糸を引きながら降りだした雨が、レグルスの頬を優しく濡らす。
もういっそ意識を手放してしまおうかと、そんな考えが脳裏に過った時だった。
『――ここで終わってもいいのかしら』
どこからともなく頭の中に声が響いてきた。
レグルスは最初、自分が狂ったのだと思った。生と死の境界線上にいるせいで、幻覚を見てしまっているのだろうと。
掠れた視界――見上げた夜空に、剣が浮いていた。
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