第2話 決別

「――どうだ。似合っているだろう?」


 ウルスラは露悪的な笑みを浮かべると、両手を開けて鎧姿を見せびらかす。胸元の部分には輝きを放つ石が埋め込まれていた。間近で見るとそのいびつさがより際立つ。


「有事の際には、ここに逃げてくると踏んでいた。だから待ち伏せていた。――貴様たちを逃がしてしまわないように」

「……ウルスラ、裏切ったのか」

「裏切った? 違うな。私は裏切ってなどいない。なぜなら、私は最初からこの国に忠義など抱いていないからだ」

「なぜ王都を襲った。なぜ街を焼き、人々の生活を奪い、王を殺した。お前たちはいったい何を目論んでいるんだ」

「お前たち男が支配するこの世界を終わらせるためだ」


 ウルスラは淀みなくそう言い切った。

 まるで予め用意されていた台詞を読み上げるかのように。


「……何だと?」

「この世界は男たちによって支配されている。考えてもみろ。人々の上に立ち、権力の座についているのは男ばかりだ。この国だけではない。グレゴリア大陸にある国――現存する国は全てそうだ。今の社会は、世界は男に都合の良いように出来ている。私たち女は生まれてからずっと抑圧され続けてきた。

 この国の王位継承権が男を優先されるように、女は権力の座に就くことができず、男の付属品として扱われてきた。自分の就きたい仕事に就くこともできない。たとえ就くことが出来たとしても、男たちと比べると遙かに不遇な扱いを受ける。

 近衛兵団においてもそうだ。私より遙かに実力の劣る者が、男だというだけで私よりも上の役職に就いている。デカい顔をしながら。何もおかしなことだとは思わずに。こんなに理不尽でふざけたことはない」


 静かに語るその口調には、氷のように冷たい怒りが籠もっていた。


「男たちに隷属させられ、生きたいようにも生きられず、抑圧されてきた。私たちはその時代を終わらせるために来た。――これは抑圧され続けてきた私たちの復讐だ。

 この国だけではない。グレゴリア大陸にある国は全て我々が滅ぼす。そして新たな理想の世界を創り上げてみせる」


 自らの掲げた大義に酔うように、高らかに歌い上げるウルスラ。

 今この瞬間、はっきりとした。彼女は明確な敵意を胸にこの国に牙を剥いたのだ。


「…………」


 レグルスの後ろに控えていたセラフィナはその告白を聞き、裏切りに怒ることも、眼前の脅威に怯えることもなかった。ただ毅然と前に踏み出すと、ウルスラに対して告げた。


「ウルスラ、剣を収めなさい」

「……セラフィナ、貴様は何か勘違いしているようだな」


 その言葉を受けて、ウルスラは不愉快そうに顔を歪める。そして主君に向けるものとは程遠い鋭い眼差しを投げた。


「私はもう近衛ではない。貴様に仕えている身分ではないのだ。命令したところで、素直に言うことを聞くと思うのか?」

「これは命令でも、お願いでもありません。交渉です。お前たちの目的は抑圧された世界の変革なのでしょう? それは私の実現したい理想とも重なります」


 一騎当千の剣豪を前に、セラフィナは一歩も退かない。


「私もまた、この国を変えたいと思っています」


 そして自分の想いを口にする。


「誰もが皆、生まれや身分に関係なく、自分の意のままに生きられる国。そんな自由な国を私は作りたいのです」


 レグルスは知っている。セラフィナは他の誰よりもこの国の未来を想っていることを。

 温室に籠もって自分たちの利益にだけ拘泥する王族や貴族たちとは違い、セラフィナは他の誰よりも足繁く城下に足を運び、庶民や奴隷たちと会い、言葉を交わし、自らの目で王都の人々の暮らしを見つめてきた。


「私たちは戦う必要などありません。誰もが自由に生きることの出来る世界。その実現のために互いに手を取り合うべきです」


 その気高い瞳が見据える景色を、レグルスは視認することができない。彼女の瞳の奥を通して理想郷を幻視することしか。


 けれど、彼女がこれほど辿り着きたいと夢見るものならば――。

 それはきっと、美しい世界なのだろう。


 だから、彼女がその夢見る理想郷に辿り着くその日まで、彼女の剣として彼女を守り抜こうと心に誓っていた。


「…………」


 手を差し伸べたセラフィナを前に、ウルスラは沈黙していた。しばらくその手のひらをじっと見つめた後、吐き捨てるように言った。


「やはり貴様は勘違いしているな、セラフィナ」


 そう吐き捨てると、手にしていた剣を薙いだ。

 水面が切り裂かれ、セラフィナの間に激しい水飛沫が巻き起こった。それはまるで二人の間を隔てる境界線を示すかのようだった。

 セラフィナに剣先を突きつけると、ウルスラは冷酷に言い放つ。


「――私の理想とする世界には、貴様たちは必要ない。セラフィナ、レグルス、貴様たちにはここで死んでもらう」

「…………そうですか」


 長い沈黙の果てにセラフィナはそう呟いた。

 共存の道は絶たれた。

 セラフィナは一度目を瞑ると、覚悟を決めたようにウルスラを見据えた。かつての部下だった女に対して宣言する。


「……お前がそのつもりなら、仕方がありません。私の行く手を阻むというのなら、私はお前と戦うことを選びましょう」

「そうだ。それでいい。私たちは相容れない。勝った者だけが生き残り、道は続いてゆく。そして貴様たちの道はここで潰えるのだ!」 


 セラフィナは振り返ると、背後にいたレグルスを見やった。そして厳かな口調で告げた。


「――レグルス、ウルスラを討ちなさい。彼女を打ち倒し、ここを脱出します。私たちの理想の世界に辿り着くために」

「――承知いたしました」


 自分はセラフィナの剣だ。彼女に命じられれば、どんな相手でも斬り伏せる。たとえそれが恋人や家族であっても。

 レグルスは剣を構えると、ウルスラと相対した。


「……レグルス。貴様と剣を交えるのは何度目になるか。他の凡骨どもとは違い、貴様は少しは骨のある奴だった」


 ウルスラはふっと口元に笑みを浮かべた。


「だが、騎士や近衛の連中同様、貴様もここで私に葬られることになる」

「……お前は仲間にも手を掛けたのか」

「言ったはずだ。この国に尽くした覚えはないと。私は奴らのことを仲間だと思ったことなどただの一度もない」


 ウルスラはそう一蹴すると、乾いたひび割れのように口元を歪める。


「実に愉快だったぞ。私を無碍にしてきた連中が、為す術もなくやられていく姿は! 圧倒的な力を前に絶望する様を見るのは!」


 その時の記憶を思い返して高揚していた。


「だが、奴らは歯ごたえがなくてな。退屈していたところだった。レグルス、貴様は私を少しは楽しませてくれよ」

「残念だが、楽しませるつもりはない。俺はお前を殺すつもりだからな」

「ははははっ! そうこなくてはな! 面白くない! ――雌雄を決しようではないか! 私とお前、どちらの道が続いていくのかを!」


 目に狂気を宿したウルスラは、上段に剣を構える。


 その瞬間――地下通路の空間全体が彼女に支配された。

 まるで暴風域の中に取り込まれたかのように張り詰めた圧が押し寄せる。

 それは並みの剣士であれば卒倒するような迫力。


 だがレグルスはまるで気圧されることなく、ウルスラに真っ向から向かい合う。そして正中線の前にゆっくりと剣を構えた。


 木剣での打ち合いならこれまでに何度も行ってきた。

 だが、真剣は初めてだ。

 死合いの火蓋が切って落とされた以上、勝敗は生者と死者とに分かたれる。どちらか片方の道は永遠に絶たれることとなる。


 だが、それが戦うということだ。殺し合うということだ。


「「はああああああああああっ!」」


 雄叫びと共に踏み込んでくるウルスラを、レグルスは迎え撃った。

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