第2話
僕はエレベーターから降りて、同じような──おかしくなりそうなほどに──灰色の真四角の部屋に帰ると、真っ先にシャワーを浴びた。髪の毛の間に砂粒のような灰がくっついていて、ザラザラとして気持ちが悪かったからだ。風呂から上がると、お父さんとお母さんが仕事から帰ってきていた。お父さんは髪を短く刈ってあって、モジャモジャの顎髭がある。お母さんの髪は長いブロンドヘアだ。二人の身長は同じくらいで僕よりも頭三つ分くらい大きい。そして二人ともまったく同じ真っ黒な瞳を持っている。
「今日の夕飯は何にする?」
お母さんが、僕が風呂から出てきたのを確認するなり聞いてきた。僕は何でもいいよとイライラしながら思ったけど、それは口には出さなかった。怒るのはよくないことで、それを態度で見せたりするのはもっとだめなことだからだ。だけど最近はお父さんとお母さんから何を言われてもむかついた。その度に自分を抑えないといけなくなるのはとても大変だった。それにこの風船みたいに膨れ上がる気持ちが日に日に大きくなっていっている気がした。このまま膨らみ続けてしまったら、いつか爆発してしまうのではないか。それはつまり、処分されるということだ。僕は自分が破裂する姿を想像してゾッとした。そして、その想像をかき消すように首を振った。エレベーターのときもそうだけど、今日は少しイライラしてる。きっと外で遊べなかったせいだ。
「どうしたの? 何か問題でもあるの?」
「なんでも、なんでもない。あ、ハンバーグがいいな。ハンバーグ」
僕は咄嗟に思いついた料理名を口に出した。言ってから昨日の夜もハンバーグを食べたことを思い出して、失敗したと思った。
「分かったわ。ハンバーグね。今準備するわ」
お母さんは昨晩もハンバーグを食べたことなどすっかり忘れてしまったかのように、昨日と全く同じ口調で返事をして、夕食の準備に取り掛かってしまった。こうなったらもう遅い。今から違うのがいいと言ったら、さっきの言葉が嘘ということになる。やっぱり嘘はいけないことだから、黙ってハンバーグを食べるしかない。
お母さんは冷蔵庫から白い箱を三つ取り出してお皿に乗せ、三つをまとめて電子レンジに入れた。お母さんがレンジに手をかざすと、ひとりでに動き出して、オレンジ色のぼやっとした光を出しながら中のお皿が回り出した。お父さんはその間に冷蔵庫からまた別の白い箱を取り出して、シンク横にある水桶のような機械に浸した。そして、機械に手をかざすと、水が洗濯機のようにぐるぐると回転し始めた。中で回る白い箱はみるみるうちに色と形を変えていく。箱は分裂して押しつぶされ、端の方が緑色になってドレスのようにひらひらと舞う。ドレスには血管みたいな模様がいくつも浮かび上がっていく。一分もするとそれはレタスの葉っぱになった。お父さんはその完成したレタスを引き上げると、お皿に盛りつけて、僕が座っているテーブルの中央に置いた。今ではもう慣れたけど、小さいときはこれを見るのが楽しくて仕方がなかった。実を言えば今でも近づいて見たいのだけど、お父さんとお母さんに子どもっぽく思われたくないから、じっと椅子に座って待つ。僕は我慢できる子だから。
今度は電子レンジが止まり、お母さんがお皿を取り出した。お皿の上には白い湯気を上げ、肉汁溢れだすデミグラスハンバーグと、丘のように丸いご飯の山が乗っていた。僕はそれを見て、食べたくないと思っていた気持ちがすぐに吹き飛んだ。思わず手を伸ばして食べ出しそうになったけど、二人が席に着くまで待たないといけない。ご飯はみんなでそろって食べるものだもの。
二人がグラスにオレンジジュースを入れて戻ってくると、僕はハンバーグをかき込んだ。昨日と全く同じメニューだけど味はおいしかった。夢中で全てを平らげ、顔を上げると、お父さんとお母さんはすでに食べ終えていた。二人は──というか大人は──いつでも食べるのが早かった。ただ飲み込んでいるのではないかといつも疑わずにはいられなかった。だから小さいときに、二人に美味しいか聞いたことがあった。飲み込んでいたら味が分からないはずだからだ。そしたら「お父さんたちは味なんかどうでもいいんだ。栄養さえ補給できればね」と言われた。その時の僕は、大人は飲み込んでいるんだと納得したけど、今考えればそんなわけないよなと思う。こんなにおいしいものを味わわないなんて、そんなことするわけがない。それとも大人になると、そんなことはどうでもよくなるのだろうか。
僕は首を傾げながら、甘いオレンジジュースを飲みほした。
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