コンパニオンバード
幸まる
左腕だけは
連勤終わりの職場の駐輪場で、それは俺の原付バイクのカゴの中にいた。
水色のセキセイインコ。
「……なに、お前、どこから来た?」
俺は周囲を見回した。
既に辺りは薄暗く、建物裏の駐輪場には自分以外の人はいない。
セキセイインコなんて、犬のように散歩させる動物でもないのだから、もちろん飼い主が側にいるわけもない。
おそらく、どこかで飼われていた
俺はそっと手を近付けた。
逃げない。
やはり最近まで飼われていたインコだ。
既に野生化した個体なら、人間の手には近付かない。
指を足の側にやっても動かないので、両手でそっと掬い上げた。
すっぽりと収まった小さな身体。
柔らかな羽根の感触と、仄かな温かさが掌をくすぐるが、ふるふると震えるばかりで動かないところを見るに、弱っている。
「マジかよ…。どうすんだよ…」
そう口にしながらも、俺はすぐに職場であるホームセンターの裏口に戻り、廃棄する小さな空き箱と緩衝材をもらって、インコを入れた。
十一月の初めで、今年はそう寒くないとはいえ、弱っているインコはとにかく温めてやらなければならない。
俺は、裏口横にある自動販売機でホットコーヒーを買い、緩衝材に包んで箱の隅に入れる。
そして連れ帰ったのだった。
「何? インコもう一羽増やしたの?」
翌日の夕方、彼女が部屋にやって来て、壁に並んだ鳥カゴを見て目を丸くした。
俺は元々、大きめの鳥カゴでセキセイインコを二羽飼っていた。
頭だけ白い青のセキセイインコと、全身黄色のセキセイインコ。
その横に小さな鳥カゴを置いて、昨日拾ってきた水色のセキセイインコを入れて並べてあったのだ。
ずっと前に飼っていた、文鳥用のカゴを捨てていなかったのが役に立った。
「昨日、俺のバイクのカゴに入ってたんだ」
「ええ? 迷子?」
「多分な」
彼女は鳥カゴを覗き込む。
「……元気ないねぇ」
「病院連れて行ったら、年寄りだってさ」
「動物病院に連れて行ったの?」
「病気とか持ってたらまずいだろ」
もし病気を持っていたら、俺の愛鳥達に
そんなのは御免だ。
彼女が軽く俺を
「ふ~ん、それで今日の予定はキャンセルされたんだぁ」
「悪い……」
昼間病院に連れて行ったが、思ったより混んでいて時間が掛かった。
久々の休みで彼女と一緒に出掛ける約束だったが、ドタキャンしたのだ。
「まあ、せっかく縁が出来た命だもんね。大事にしてやらなきゃ」
「……俺、お前のそういうとこ好きだ」
「知ってる」
彼女は悪戯っぽく微笑んでから、鳥カゴに指を近付ける。
しかし、水色のインコがあからさまに身体を縮こませたので、すぐに手を引いた。
「それで、名前は?」
「……サン」
「サン? 黄色の子じゃないのに?」
「え?」
「だって、太陽の
俺が動物に名前をつける時は、いつも身体の色にちなんで決める。
二羽のインコは、青い方は空の色だから“スカイ”、黄色の方は“レモン”と付けている。
だから“サン”を太陽の意味に取るなら、水色のインコにその名はおかしいと彼女は感じたのだろう。
「三羽目だから、“
「何それ?」
「ちゃんと名前考えたら、愛着が湧くだろ。飼い主探して帰してやるんだから、仮の名前で良いんだよ」
彼女は驚いた顔をした。
「飼うんじゃないの?」
「飼わないよ。……こいつ、年寄りだけど健康状態は良かった。大事に飼われてたはずなんだ。ちゃんと、飼い主の下に戻してやらないと」
「それで、それ?」
彼女はプリンターを指差した。
そこには、サンの写真と共に特徴などが書かれた紙が、次々に吐き出されている。
迷子のインコを預かっていると知らせる為のチラシだ。
ペットショップや動物病院、動物を扱うホームセンター等には、迷子探しの掲示板が設置されている所も多い。
そこに貼らせて貰えば、飼い主も見つかるかもしれない。
彼女は、仕方ないなぁと笑ってスマホを鞄から取り出す。
「SNSにも写真載せてみたら良いんじゃない?」
「そっか。じゃあ頼む」
「ハイハイ」
軽く返事をして、彼女はサンの写真を撮り始めたのだった。
近隣の動物病院やペットショップ、ホームセンターなど、チラシを貼らせてくれる店には全て貼らせてもらった。
飼われていた年寄りインコなど、飛べる距離はたかが知れている。
俺は、その内飼い主から連絡が来るだろうと思っていた。
仕事が終わって帰宅するのは、大体いつも午後七時前だ。
帰宅すると俺は、まず鳥カゴの扉を開け放つ。
八時に就寝させるまでの一時間程度は、インコ達がカゴから出て、自由に過ごす放鳥時間と決めてあった。
犬で言う散歩のようなものだ。
ずっとカゴの中だけだと体力も落ちるし、ストレスも溜まるというものだ。
「ほら、飛べ」
いつものように呟いて開ければ、スカイとレモンは勢いよく飛び出し、1DKの部屋の中を自由に飛び回る。
お気に入りの休憩場所は、パソコンラックの上と、パイプベッドの手摺り。
そして、ローテーブルの上だ。
ローテーブルの前に俺が腰を据えれば、ピュル、チチッと鳴きながら寄ってきて、差し出した指に止まる。
手乗りインコは、何と言ってもこれがかわいいのだ。
チュル…
聞き慣れない声がして、俺は鳥カゴに目を向けた。
小さなカゴの中のサンが鳴いたのだ。
それは、サンがやって来て初めてのことだった。
サンはまだ一度も鳴いたことがなかったのだ。
俺は驚いてしばらく見ていたが、もう一度サンが鳴くことはなかった。
その日から、放鳥中に必ずサンは鳴くようになった。
しかし、一声だけだ。
もしかして、スカイ達と一緒に飛びたいのだろうか。
出してやっても、スカイ達のように自分からカゴに帰るわけではないだろう。
捕まえるのに苦労するかもしれないが、ずっとカゴの中でじっとしているのもかわいそうで、試しに扉を開けてみることにした。
しかし扉を開けても、サンはカゴの隅で縮こまったまま、一向に出ては来なかった。
それでも毎日開けていたら、数日後、スカイとレモンが鳥カゴに戻ると同時にサンは飛び出した。
弱々しく部屋を二周して、床に降りる。
その後は動かなかった。
しばらく様子を見ても動かないので手を出せば、拾ってきた時と同じで、サンは自分から指には乗らず、掬い上げて俺がカゴに帰してやらなければならなかった。
「少しは楽しめたのか?」
カゴを覗き込んで声をかけると、サンはじっとしたまま、つぶらな黒い瞳でこちらを見ていた。
すぐに見つかるだろうと思っていた飼い主は、しかし、一向に見つからなかった。
拾ってきて半月以上経ったが、それらしい連絡はない。
割と近所に住んでいると見当を付けていたが、サンは意外と離れた所から飛んで来たのだろうか。
あれから毎日放鳥しているが、あの飛び方を見る限り、そう長い距離は飛べないはずなのだが。
もっとチラシを貼る範囲を広げるべきか。
そんな事を考えながら、ローテーブルの前でスマホを眺める。
組んだ足の上に垂らした左腕に、サンが止まった。
あまりに突然のことで、俺は固まった。
鳥カゴは開けていたが、サンは俺が見ているといつも出てこないので、わざと知らんぷりするようにしていたのだ。
まだ部屋を二周していない。
ということは、鳥カゴを出て、すぐに俺の下へ飛んできたのだ。
言い様のない嬉しさが込み上げ、思わずスマホを置いて指を差し出すと、サンは怯えたように飛んで逃げた。
力なく床に降り、ふるふると羽根を震わせる。
その姿を見て、俺は軽々しく指を出した事を後悔した。
「……ごめん。俺はお前の飼い主じゃないのにな」
きっと、ずっと飼い主と離れていて、寂しかったのだろう。
少しだけ、人の温もりが恋しかったのかもしれない。
いつも通りそっと掬い上げ、俺はサンをカゴに帰した。
サンはつぶらな黒い瞳でこちらを見ていた。
それから、サンはほぼ毎日俺の腕にやって来た。
スカイとレモンが鳥カゴに戻ってから、そっと飛んで来るのだ。
だが俺は、また怯えさせてはいけないと思って、ただじっとしている。
サンは俺が動かなければ、少しだけ羽繕いをして、羽根をホワッと膨らませてウトウトする。
そうして十分程、一人と一羽は触れ合いなく一緒にいるのだった。
サンの飼い主がなかなか見つからないので、俺は職場の先輩に相談して、同系列のホームセンターにもチラシを貼ってもらうことにした。
動物を扱っていない店舗でも、餌は売っているのだから、飼い主が見つかる可能性はあるだろう。
それを話すと、泊まりに来ていた彼女が苦笑いした。
「もうさ、あなたが飼ってやればいいと思うんだけど。インコ大好きでしょ?」
「好きだけど、駄目だ。ちゃんと飼い主の所に帰してやらないと」
「どうして?」
「……人間は何羽でも可愛がれるけど、インコにとっては、飼い主は無二の相手だから」
インコは愛情を注げば、親愛を返してくれる。
しかし、特別な相手は一人だ。
家族がいれば仲良くはなれるが、全幅の信頼と愛情を向けるのは、たった一人。
俺が拾う前、サンにもその大事な相手がいたはずだ。
セキセイインコの平均寿命は、十年弱。
サンは優に十歳を過ぎている。
ここまで健康に生きてこられたのだから、きっと可愛がって飼われていたはずなのだ。
何かのハプニングで、外へ飛んでしまっただけに違いない。
きっと、飼い主はサンを探している。
―――それは、俺の願いでもある。
「……ホント、不器用よねぇ」
彼女は呆れたように笑ったが、それ以上は何も言わなかった。
十二月に入った。
サンの飼い主は、まだ見つからない。
俺は焦っていた。
日が経つ程に、飼い主は見つかり難くなる。
飛び立ったインコは命を落としやすい為、もう見つからないと飼い主が諦めてしまうからだ。
そして、それに加えて、サンは弱っている。
俺の家に来てから、どんどん体力も落ちているのだ。
……老衰死が近いのかもしれない。
「……ごめんな。早く、大事な人のところに帰りたいよな」
それは、サンが左腕に止まっている時にかけた、初めての言葉だった。
サンは、つぶらな瞳で一瞬俺を見上げた。
そして、不意に頭を下げて、俺の腕に
それは、たった一度だけの触れ合いだった。
サンは翌朝、冷たくなっていた―――。
スカイとレモンが、揃って肩に乗って、頭を俺の頬に擦り付ける。
二羽揃って甘えてくるなんて、珍しい。
「落ち込んでるのが分かるんでしょ。この子達にとって、あなたは唯一無二なんでしょうから」
彼女がローテーブルにコーヒーカップを乗せながら言う。
「別に落ち込んでなんてない」
「嘘ばっかり」
眉をハの字にして、彼女は溜め息をつく。
「あのねぇ、気付いてる? いつもと違う名前の付け方した時点で、サンはあなたの特別になったの」
彼女が肩に指を向けると、レモンはサッとその指に乗り、スカイは飛んで逃げた。
「唯一無二だかなんだか知らないけど、愛情はね、愛情なのよ。私は飼い主じゃないけど、この子達がかわいいわよ。……あなたは『サンが可愛かった、死んじゃって悲しい』って、泣いてやらなきゃ」
気付いたら俺は、涙と鼻水で酷い顔だった。
飛んで戻って来たスカイが、耳元でピュルと鳴く。
「……サン、可愛かったな」
肩に乗った小さな重みを感じながら、俺は右手で顔を覆った。
ごめんな、飼い主の下に帰してやれなくて。
ちゃんとした飼い主にはなれなかったけど、サン、俺はお前が好きだったよ。
だから、この左腕だけは、お前にやる。
これから先、他のインコを飼ったとしても、あんな風に一緒に過ごすことだけはしないだろうから。
彼女が俺の頭を抱きしめる。
二羽のセキセイインコはその側で、ピュル、チチッと鳴いた。
《 終 》
コンパニオンバード 幸まる @karamitu
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