自然界懲役に処す
川谷パルテノン
ゲロナルド
「主文、被告ブラキド・マクシミリアンを自然界懲役二〇〇〇〇〇〇〇〇年の刑に処する」
「笑わせる。俺様に懲役なんて意味がないと何度言えばわかる。裁判長、いや女ァア。俺は窃盗前科千犯を超える大怪盗と同時に抜けれぬ牢のない大脱獄王ブラキド・マクシミリアン様々大明神スペシャルゴッドと知らんのか」
「マクシミリアンさん、ですから自然界懲役です。ある意味貴方はずっと自由なのでこれからもシャバの空気を存分に味わってください。ただちょーーーッとだけ生活スタイルは変化するかもですがこれも法に基づく裁きですから。でわでわ、張り切ってどうぞ」
「ほぁ?」
俺の名は先述のとおり。言わずと知れた神をも恐れぬ犯罪帝王。だった。改心など糞食らえ、幾度となく逮捕されてきたが刑期を満了したことなど一度もない。知る人ぞ知る脱獄王として知り知られ尽くしたこの俺を閉じ込めておける牢獄などこの世には存在しなかった。これまでは。あれからどれだけの月日が経ったろうか。今でもあの若い女裁判長のニコニコ判決言い渡しドヤフェイスを忘れない。自然界懲役。なるほど、今の俺は蛙の身体をやっている。あの女裁判長、ガブリエの言ったとおり俺はある意味自由でいた。何処へ向かうも咎められたりすることなく、何を食うにも選び放題だ。このドブガエルボディが許す限りは。つまり自然界懲役二億年は実質的に犯罪王ブラキド・マクシミリアンその人の死を意味していた。やるやんけ。感心している場合か。脱獄不能と名高いソコニアルカモトラズ島の大監獄でさえ破ってきた俺が生まれてはじめて心を折られかけていた。
はじめての犯罪はスリでした。貧乏なお家の子だったマクシミリアン少年は順調にグレちらかし、やがて町の不良を束ねると窃盗団を組織しました。悪い人から金品をかすめ取り、善い人からも盗みまくりました。手口は様々です。空き巣、強盗、詐欺、ひったくりと根からの悪人でした。マクシミリアン氏がはじめて逮捕された時すでに死罪止むなしとされるほど罪を重ねておりましたが神とは思いのほか誰彼かまわず温情の厚い持ち主で大罪人であるマクシミリアン氏にはなんと脱獄の才能まで与え給うたのでした。その後何度逮捕されようとマクシミリアン氏は脱獄を繰り返し、日の下に戻ればまた罪を重ねる、そうして彼は死すらをも凌駕した神の領域へと片脚を踏み入れたのです……が、あの女裁判長のせいで今や蛙に成り下がったこの俺に出来ることは毎日この世界を低い目線から眺めるくらいのもの。自然界はかつてないほど厳しいもので冬越えは命がけ。自分よりも体躯の大きな動物と出会さぬようにとこそこそ生きるのがやっとだった。
「かえるさんだ!」
そして出会う。やめろ、どっかのクソガキ。
「待ってーーーッ」
お前が待て。そしてそこから動くな。蛙にされた日から言葉も失った。ただでさえ理解不能な子供とかいう生き物にコミュニケイトする手立てがない。なぜだ。俺は犯罪王だぞ。王様なんだぞ。こんな惨めなことがあるか。情けはなくとも腐っても脱獄王。蛙の跳躍をいかんことなく発揮して必死に逃げた。
「王子! なりませぬ。そんなに走ってはお身体に差し支えます!」
「絶対かえるさんをつかまえるんだ。待てーーーッ」
王子。俺は第六六六感を働かせ歩みを止めた。
「やったー。つかまえた!」
これは……使える。
王室での暮らしは野生の頃にしてみれば安寧そのものだった。但しクソ猫だけは除く。奴はいつだって隙あらば俺を食おうとするが王子の寵愛を受けたこの俺だ。とにかく王子に張り付いていれば命は補償されていた。やはり神は俺を見捨てなかった。この国を統治する王の子息であり第三王子にあたるヘンリーとの出会いはほぼ奇跡だった。ヘンリーは俺を捕まえた気でいるが俺はこいつを利用することにした。脱獄王が捕まることなどあってはならない。イニシアチブは常に俺の頭上で輝くのだ。俺は王室に入り込み機会をうかがう。全てはあの女、ガブリエ・アントワースに復讐するため。俺は直感した。自然界懲役などと物々しい言い回しをしているがこれは呪術の類いに違いない。呪いであれば必ず解法が隣合せにある。それをこの機に見つけ出し、解けた暁にはガブリエをなんだかとんでもないカタチで辱めてやらねば気が済まないと熱き闘志が燃えたぎっていた。
「ゲロナルド、晩ご飯だよ」
この虫嫌いなんだよ。あとブラキド・マクシミリアンという崇高な名前がある。誰がゲロナルドだ。とりあえず虫を食う。
「ゲロナルドは外の世界をたくさん知ってるんでしょ。ぼくね、生まれた時からからだがよわくてあんまりお外へ行ったりできないんだ。ゲロナルドのお話が聞けたらなあ」
出来るわけないだろ蛙とピロートークすな。ヘンリー、いいか。外なんてろくなもんじゃねえ。この温室暮らしの何が不満なんだ。寝て起きてを繰り返すだけであとは召使いが全部やってくれる。俺がガキの頃なんてのは度を越えた貧乏で明日も見えなくて目を閉じるのさえ怖気付くような毎日だった。町でたまたま見かけた金持ってそうなオヤジに施しを乞えば奴は痩せて浮かんだあばらに蹴りをくれたもんさ。その時誓った。貧しさこそが敵だ。俺はこの敵を必ず制するってな。手っ取り早いのが盗みだった。それに才能があった。もとより真面目になろうなんてこれっぽっちも思わない才能が。手に入らないものはなくなった。なのに何故だかずっと満足できなかった。それがなぜかは今もわからない。俺には罪を重ねる以上に生きた心地を与えてくれるものがなくなっていた。なあヘンリー、先に寝るなよ。
ヘンリーは公務のために第三女王と共に王都へと向かっていた。俺はお留守番だ。それは小さな籠だったが今の俺にしてみれば充分な牢獄で吐き気がした。さっきからクソ猫がミャーミャー鳴きくさりながら籠を小突いてくるので鬱陶しいことこの上ない。
「なんで私がこんな小汚い蛙の面倒なんか」
小汚いのはお前のツラだろ。俺、こいつ嫌いなんだよ。王子の世話役ってのは大層なストレスかもしれんがそれがお前の選んだ人生だろ。なのに口を開けばヘンリーのいないところで愚痴が無限に溢れやがる。俺は太陽に顔向できない犯罪者だがこいつよりはマシな生き方だと思えた。
「ふむ、これは事故だ。蛙や、自由になりたいろう?」
世話役が不敵に笑む。何を考えてやがる。奴は徐に籠の錠を外すと俺をそこから放り出した。
「クリスチアーノ、今日のおもちゃはドブガエルよ」
クリスチアーノ、クソ猫のいやらしい両眼がぎらついた。勘弁しろよ。俺は城中を逃げ回った。この身体でなけりゃクソ猫なんざその肥満腹蹴り上げてやるところだが逃げることしか出来ない。一方的な狩りだ。クソッタレが。それもこれもガブリエの所為だと思えば憎しみは増した。けれど本当にそうだろうか。元はと言えば俺が踏み外した道。これが運命なのか。違う。認めない。俺は選んだ。あの世話役の召使いとは違う。俺は俺が選んだ道を切り拓かねばならないんだ。今は……ヘンリーが帰るまで生きねば!
すっかり疲れ果てていた。もうだめかもしれない。もう笑えない、もう泣けない、怒りもない。脚の先がチリチリする。口の中はカラカラだ。ヘンリー、助けてくれ。俺は、もう。
「ゲロナルド! よかった。無事だったんだね」
ヘンリー、俺の腕がもう少し長けりゃお前を抱きしめてやりたいさ。クリスチアーノは籠暮らしになり世話役はクビになった。かつてない最高の日だ。
「ゲロナルド、今日はお友達が来てるんだ。さ、挨拶して」
かつてない最悪の日だ。そのツラは何年経っても忘れない。ガブリエ・アントワース。てめえがヘンリーのダチだと? ふざけるのも大概にしろよ。ガブリエは俺を一瞥すると少し驚くような表情を見せた。
「ヘンリー王子、お言葉ではございますがこのブラ、いえクソ蛙、否、このアレは不浄の者にございます。王子のそばに置いては良からぬ災いを齎すことに違いありません」
「ガブリエ、この子はゲロナルド。ぼくの大事な友人なんだ。どうしてそんなことを言うの?」
そうだそうだ。もっと言ってやれヘンリー。
「しかしですね。この者はそのかつて、えっと」
しどろもどろのガブリエを眺めるのは小気味良い。お前がかけた呪いのおかげで今やヘンリーの信頼はお前より厚い俺だぞ。これはチャンスだ。奴が自分の正義とやらを貫くなら俺がブラキド・マクシミリアンであると証明せねばならない。さあどうするガブリエ・アントワース。ヘンリーのために、正義のためにこの呪いを解くか。
「仕方ありませんね。それに今の此奴には何も出来ないでしょう」
そうなるわな。だがいつでもいいんだぜ。機会は必ず巡る。その時はヘンリーを盾にしてまた自由に返り咲いてやるさ。俺は諦めない。
「王子、こんな蛙よりも貴方には厄介な敵がいることをお忘れなきよう」
「兄様達のこと? 大丈夫だよ。ぼくはこのとおり病気のせいで父上のようにはなれない。兄様達もぼくなんかはじめから見てないさ」
召使い達が噂していたのを俺も小耳に挟んでいた。王はもう高齢で王位を誰に継承するかという段階らしい。先日ヘンリーが王都に赴いたのもそのことについて会合があったからだと。ヘンリーには二人の兄がいる。第一王子のエンデミオンと第二王子のグレシアスだ。この二人が札付きの出来損ないで王族にかこつけた贅沢三昧の穀潰しと専らの噂だ。ヘンリーは王となるには重い病を抱えている。とはいえ他の二人のどちらかに王位を継承させることが国の滅亡に繋がるのは火を見るより明らかでヘンリーこそが次の王だとする声は多い。しかしそれでは兄様達も黙っていないという話で、ガブリエが言ったようにヘンリーには敵が多いのだ。
「王子、失礼ながら私は貴方のような純粋な方が政治に巻き込まれて命を天秤に乗せねばならぬことが不憫でなりません。私は王子の味方です。御身に仕える剣としていつでもお振りください」
「ありがとう、ガブリエ」
王族であることを除けばまだ十にも満たないガキンチョだ。俺はこれまでこのガキンチョのことを手前が助かるための切り札だと思ってきた。それは今でもそうだが、上手く言葉にならない、らしくない感情があった。
「ゲロナルドとかおっしゃいましたね。貴様、王子に何かあった時は私が八つ裂きにしてやりますから心しておきなさいね」
ガブリエは微笑む。相変わらず嫌な女だな。
その日は朝から雨が降っていた。正午過ぎにはあがったものの陽光はまだ曇り空に覆われて空気は冷たく強い風が吹いていた。それが何故だか幼少期を過ごした故郷を思い出させて気分を落ち込ませる。何か良からぬことが起こりそうな予感があって、ここで良からぬことと言えば一つヘンリーに関わることで的中してくれるなよといった願いも虚しく城に火の手が上がったのは夜半を過ぎた頃。ガブリエの忠言によって警備態勢は万全を事欠かなかったものの敵方は予想を超える多数の軍勢を率いてここに攻め入った。それがエンデミオン、グレシアス、或いは両者の共謀かは定かでないが狙いはヘンリーの命に違いない。火が回る城中で俺は寝室にヘンリーがいないことに気がついた。不覚だ。かつてならば寝込みを襲われようとも常に神経を張り巡らし窮地を乗り切ってきた俺も今じゃ間抜けな一匹の蛙だった。火を避けながらヘンリーを探すのには苦労がいった。あまりにもちっぽけな自分を悔やむ。
「ブラキド!」
声の主はガブリエだった。遅いんだよ。悪態をついてみても言葉にはならなかった。全身でジェスチャーし、ヘンリーの行方がわからないことを示したがガブリエにはまるで伝わらない様子だった。
「あーもー! 我ながら面倒な設定! 仕方ありませんね。声だけは返してあげます」
「あああ、戻ったのか。出来るならさっさとやれよ! ガブリエ、お前と手を組むのは癪だが今はそんなこと言ってる場合じゃない。すぐにヘンリーを見つけないと。だから俺を元にもどせ」
「それは出来ません」
「なんで!?」
「罰ですから」
「頭オリハルコンか!」
「私が代わりに探します。心当たりは」
「んなもんあるか! もしかしたらもう拐われてるかもしれねえんだぞ! 二手に分かれたほうが早いだろ」
「出来ないんですってば! 私には!」
「もういい! ならお前はヘンリーが殺されてもいいんだな!」
「それは」
「もめてる場合じゃないな。とにかく探すぞ」
城の外は既に取り囲まれており逃げ場らしきものは見当たらずここはもう焼け落ちるのを待つだけの牢だった。ただ敵陣が退いていない様子を見るにヘンリーはまだ近くで生きているだろうと察した。火の回っていない場所を辿ってきた俺たちは遂にヘンリーの姿を発見する。しかしそれは凄惨な光景でもあった。我が子を庇うようにして女王の背には剣が突き立てられている。傍らにはいつぞやのヘンリーの世話役だった男が立っていた。
「女王陛下、なんと涙ぐましい親子愛か。ですがこれも我が主君の為。王子の首は私めが取りましょうぞ」
「貴様!」
「動くな! ガブリエ・アントワース。動けば王子はここで殺す」
「卑劣な」
何にせよ奴はヘンリーを殺す。なんとかしてヘンリーをここで助け出さなければ確実に。だが手立てがない。どうすればいい。
「ガブリエ、もう一度だけ頼む。今だけでいい。俺を元に戻してくれ」
「私には」
「意地を張ってる場合か!」
「や、意地とかではなくその」
「なんだ! はっきりしろ!」
「その術を解くには無垢な接吻が必要なんですよッッ言わせるな!」
「じゃあキスしろ。お前処女だろ」
「だーーーッセクハラですよ! 誰が貴様なんかと。罪人と口づけを交わすなんて私の裁判官としての沽券にかかわります!」
「ガブリエ、俺の目を見ろ。罪人じゃない。蛙だ」
「さらに嫌ですよ!」
「もう手がないんだ。俺が元の姿なら或いは。頼む。先っちょだけ! 一生のお願い!」
「クッ 殺せ」
意外と柔らかい。意外でもないのか。ところがまだ蛙だった。
「どうなってる」
「だから、私には無理なんですよ」
「じゃあ何故キスした」
「ワンチャンあるかと。結果最悪のウソ発見機でした」
終わった。いや待てまだ何があるはずだ。考えろブラキド・マクシミリアン。幾度となく窮地を脱してきた神の如き俺。
「無垢ってのは男女問わずか」
「性差の概念は無垢の彼岸です」
「ワンチャンある」
ガブリエは投球の構えを取りそのまま俺をぶん投げた。届け俺。ヘンリーの唇へと。
「長らくお待たせしましたーーーーッ」
意外と肩が強くて助かる。この速球なら充分だ。軌道を捉えろ。俺は出来る。やれる。ンンンーーーッ
「マッ」
「なんだ貴様は!」
「俺は」
ブラキド・マクシミリアン。かつて脱獄王と呼ばれた男。
「俺は」
神に近づきすぎたがゆえに蛙にされた可哀想野郎。
「俺は!
鉄拳制裁、成る。
城は完全に焼け落ちた。その様子を見て敵陣が退くのを待った俺たちは絶対絶命を乗り越えたのだ。地下に通ずるハッチが生きていたのが幸いした。しかし有様は惨状だ。ヘンリーは言葉を失っていた。なんと声をかけてやればいいかわからない。腹違いの兄弟から命を狙われて母親を奪われた少年の心はもう壊れていてもおかしくないのだ。
「ヘンリー、その、なんだ。病気のほうは大丈夫か」
「今そこじゃないでしょ! 貴方ってカスはほんと!」
「ゲロナルドなんだね。びっくりしちゃった」
「ヘンリー」
「ぼく ぼくね 王様になるよ 病気をなおして きっと だ 誰もが えがおに にっ なれる よい よい王様になるよ」
「きっとなれる。なんてことはない。お前ならきっと。この世は広い。だからお前の病を治す方法も、お前が王様になった国も必ずどこかにある。それまで付き合うさ。このゲロナルドめにお任せください、ヘンリー王子」
「ありがとう。ガブリエも手伝ってくれる?」
「わ、私!?」
「どうなんだ女ァ? 王子の剣なんだろう?」
「私には裁判官としての責務が」
「犯罪者とのアレのソレはどんな味が」
「だーーーーッわかりました! お供いたします!」
「分かればいい」
「それはそうとそろそろ切れるはずです」
「なにが」
「無垢の効力ですよ」
嫌な笑顔。
「戻ったんじゃねえのかよ!」
「ゲロナルドはそうでなくちゃ」
「おい! ヘンリー! チューしろチュー!」
外の世界とは残酷で厳しくつらい現実がずっと続いている。しかしそれもまた側面の一つに過ぎず、其処には時に良き友と巡り合うような偶然もあって、実に奇妙な接点ではあったがその偶然がやがて全土を巻き込んでいく。これは王を目指す少年とその友たちの物語、その始まり。
自然界懲役に処す 川谷パルテノン @pefnk
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