FAITH
@haruyoshi_egawa
プロローグ 信仰の形
その日、丹波国は非常に明るく晴れていた。そして、冬だというのに非常に温かい日であった。神代と呼ばれる農村集落に、立派な体格と出で立ちの男が一人、馬を駆けて入っていく。二本の大小を帯びており、誰が見ても間違いなく侍である。
「農夫。ユリア殿はいずこか。」
馬を急停止させ、傍を通りかかった農夫に尋ねる。農夫は一瞬警戒心を露わにした。すぐに侍に媚びへつらう表情になったが、侍はそれを見逃さない。
「安心せい。高山右近じゃ。此度、友との約束故参った。」
侍が「右近」と名乗ると、農夫はようやく安心したように胸を撫でおろした。
「ご無礼申し訳ございません。我々、ユスト右近様に会うのは初めてのもので。てっきり追尾の者であると。」
「よい。それよりもユリアの場所は。すぐに向かわねばならぬ。」
侍は今にも停めた馬を走らせそうな勢いであった。
「集落の一番北側にある、小さなお屋敷でございます。」
農夫は頭を下げながら答えた。侍はそれを聞き終わるか終わらないかの間で何も言わず、狭い集落の道を馬で駆けた。
「ユリア殿。右近でござる。友との約束を果たしに仕った。」
農夫から教えられた小さなお屋敷は昼間であるのに中は暗く、何も見えない。しかし、右近の声に反応するや、すぐに蝋燭に灯りがともった。
灯りの先にはぼうっと天女のような少女が姿を現した。
「ユストか。」
緋色の着物を着ており、首からは銀製の十字架をかけている。以前会った時よりもずっと俗世離れをしていると右近は思った。
「世が世とは言え、このような場所に閉じ込め、この右近、申し訳が立たぬ。」
右近は立ったまま頭を下げた。ユリアと呼ばれた少女は微笑を浮かべながら次々と自分の周りにある蝋燭を灯していく。
「私自身が望んだことでござります。信仰には代えられません。ユスト。あなたもまた、そうなのでしょう。」
「信仰のためなら、百万石も投げ打ちましょうや。今はそれよりも彼らと共に死んでやれぬことが不甲斐なく。」
右近は静かに涙を流した。
「死ぬことだけが信仰の形ではありませぬ。」
「えぇ、わかっております。今は友との約束を果たすため参りました。」
右近は数秒の間、目頭を押さえた。
「慶長元年12月19日。長崎にて処刑が成されました。」
右近の報告に、一瞬ユリアの動きが止まった。人間味を失ったかに思えた彼女でも、さすがに動揺を隠しきれないのか、手が震えている。
「長崎奉行の報告を聞けば、見事な最期であったと。」
右近が言葉を重ねる毎に彼女の目には涙が溜まっていく。
「ユスト右近殿。前言を撤回させていただくようですが、彼らと共に死ねぬことはなんと苦しいことでしょうか。」
「えぇ。ですが、あなたには生きてもらわねばなりませぬ。一人のキリシタンとして、そして、友との約定を果たすためにも。」
右近は最早冷静であった。流石は戦国を生き抜いてきた歴戦の兵だけある。
「わかっています。しかし、今しばらく、祈りを。」
ユリアは屋敷の奥に飾ってあるマリアの像に向かった。右近もそれに倣い、像に対して平伏した。
「Amen.」
ユリアの言葉に続き、右近も復唱した。
その後、一通り世間話を済ませると、右近は本題に入る。今、京では先のキリシタン捕縛事件を発端にして、大坂と京都で大規模な異教徒の検挙が起きている。
「神代の切支丹集落に検挙の手が伸びるのも、時間の問題でございましょう。」
「脱出を図れと。」
ユリアはじっと右近を見つめたが、右近は予想に反して首を横に振った。
「キリシタンを匿ったという事実だけがこの村に残り、村人が皆殺しにされる可能性もございます。」
「されば、わたしの首を差し出す他、この村を救う手立てはありますまい。」
ユリアはなぜか喜々としてそれを言う。この時代のキリシタンは誰もかれもが死にたがりだなと自虐を交えて右近は思った。
「それでは友との約束を反故にすることとなります。」
「死ねぬと申すか。」
「えぇ、その通りです。」
右近はぴしゃりと言い放った。厳しい口調であった。ユリアは少しだけ口角を上げると、諦めたような表情をした。
「前言をあなたに言うようですが、死ぬだけが信仰の形ではございませぬ。あなたには生きて、ジーザス・キリストの御心を日の本に残さねばなりませぬ。」
「わかっておる。我儘じゃ。して、わたしはどうすれば。」
右近はその言葉を待っていたとばかりに地図を取り出した。
「わたしが逃亡先をここに選んだのには理由があります。ここには、確実に世の為政者達があなたに手を出せなくなる『仕組』を作り出すことができる人がおります。」
「人・・・。」
ユリアはわからないといったような表情をした。
「人といっていいのかはわかりませぬ。」
「ますますわからぬ。一体その者は誰なのか。」
ユリアは怪訝な目つきになった。
「神様でございます。」
右近の言葉に目を丸くした。右近の口から軽々しく「神」という単語が出てくることにも驚いたが、話がまったく見えてこない。
「神と言っても、我々の信仰する神ではございません。」
右近は改まった顔つきになり、真っ直ぐにユリアを見つめた。
「良いですか、ユリア殿。この方法は我々キリシタンの教義から離れることかもしれません。フランシスコ会からは異端であると言われる方法かもしれません。」
右近は大きく息を吸い込む。本当に苦渋の選択であるというような感じだ。
「しかし、日本国の基督教を守る、唯一の方法であるとお考えくだされ。」
彼の右手がユリアの緋色の袖を強く握る。一神教である基督教信者にとって、日本の八百万の神を認めることすら苦しいのである。ましてやそれに縋るなど。
ユリアももちろん躊躇した。しかし、眼を閉じると、死んだ友の顔を思い浮かぶ。
「ここまで生きてしまったのだ。何を使ってでも生きましょうや。」
ユリアは凛々しく、迷いのない口調を振り絞った。無論、右近も彼女の胸中を理解していたので、代わりに声を震わせた。
「よくぞご決断なされました。」
西日が茅葺の隙間から少しだけ入り込み、蝋燭のみで照らされた薄暗い部屋の中に光線を走らせた。
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