第4話 語られた真実

 マッダレーナ・マッジョーレ教会に、絶えて久しい重大な知らせが舞い込んだ。時のヴァチカン教皇、フランシスコ三十八世がここを訪れると言うのである。地上における神の代理人たる彼もまた、復活の聖女を一目見たいと望んだのだ。


 その知らせにマリアは慄いた。


「そんな畏れ多いことはできません! わたくしのような卑しい者が聖下におめもじするなんて……!」

「何をおっしゃるのです、聖女さま。あなたは天の国から再び地上へ降り立った、この上なく祝福された存在であられるのですから――」

「やめて!」


 マリアは顔を覆っていた手で、リベリオにしがみ付いた。


「お願いです、おやめになって。わたくしを『聖女さま』などとお呼びになるのは」

「しかし――」

「どうか、ただマリアと。少なくともリベリオさまの前でだけは、ただのマリアでありたいのです」


 マリアの手がリベリオの頬に触れる。焦がれるように僅かに開いたその唇に、彼は目が吸い寄せられるのを感じていた。だが、その先に何が待っているのか、この暴れ回る感情をどうしていいのか、彼にはわからなかった。

 結局、彼女の肩に手を添えて、リベリオはマリアを引き離した。紅潮した顔を俯いて隠し、精一杯の平静を装って言う。


「……わかりました。では、マリア。何も怯えることはありません。どんな時も、私が傍についておりますから」


 マリアは泣いた。さめざめと泣いた。

 リベリオがその胸に抱き留めてくれないことも、無骨な手がぎこちなく彼女の髪を撫でるのも、彼女の悲しみを増長させていた。


 さらに数日が経ち、いよいよ教皇が訪れる日が明日へと迫った晩。マリアはリベリオを地下礼拝堂クリプトに誘った。


「ここを訪れるのは久しぶりです」


 リベリオは仄かに嬉しそうに言う。対して、マリアの顔は沈んでいた。

 硝子の棺は以前のままに、蓋を外して放置されている。明日の正午、彼女はこの棺の前で教皇に謁見するのだ。まるで復活の時を再現するようにして。


「リベリオさま。わたくしはあなたに謝らなければならないことがあるのです」

「私もです、マリア」


 彼はマリアを遮るように口を開いたが、それをマリアが逆に阻んだ。細い指先を彼の唇に当てて。


「どうか、お願いです。わたくしから先に打ち明けさせて」


 彼女の切羽詰まった様子に、艶めかしさと喘ぐような息苦しさを覚え。

 リベリオは黙って頷くしかなかった。


「リベリオさま、あなたは毎晩必ず献花を引き上げてくださいましたね。そして、毎朝必ずまだ元気な花だけを戻してくださった」

「まさか。マリア、あなたは覚えているのですか?」


 マリアは棺の縁に腰掛け、薄っすらと微笑んでリベリオを見上げた。

 そのなんと寂しそうなことか。

 リベリオは、彼女が初めて外へ出た時に見せた寂寥を思い出していた。


「わたくしはあなたに――皆さまにずっと嘘を吐いておりました。わたくしは一度も死んだことなどなかったのです」

「それは……ずっとあなたは眠りに就いていただけだということですか?」

「いいえ。そもそもわたくしは、生きていたことがないのです」


 怪訝な顔をする彼にマリアは微笑み、そっと手を差し伸べて隣に招く。それを受けて彼はぎこちなく腰掛ける。細い腕が彼の頭を胸元へと抱き寄せた。


「マリア――っ」

「いいから。耳をお澄ませになってみて」


 耳朶に触れる柔らかな膨らみ。布越しに伝わる彼女の温度。

 ドキリ、ドキリと心音が耳を打つ。だが、しばらくその甘美な温もりに身を預けたのち、リベリオは奇妙なことに気が付いてしまった。


 なぜ、心音がひとつしかないのか。

 煩いほどに耳を打つのは、緊張した彼自身の心臓が奏でる音。

 どれだけ耳をそばだてても、マリアの華奢な体から、心臓の音が聞こえてこないのだ。


「……どういう、ことなのです」


 マリアは悲しげに表情を曇らせる。


「わかりませんか? わたくしは人間ではないのです。わたくしは対人殺戮用アンドロイド――あなた方を殺すための兵器です」


 リベリオは言葉を失った。

 彼には意味がわからなかった。


「アンドロイド? とはなんですか? 私たちを殺すって――」

「人間ではないのです。いえ、そもそも生物ですらないのです。わたくしは機械マシーンです。わたくしは人間によって、人間を殺すために造られました」


 それから、彼女は自身の身の上を語る。


 おそらくだが、彼女を造ったのは純自然主義者。ヴァチカン教徒にとっての異端者たちであった。

 彼らは自然こそが地球を治めるべきであり、この星の支配者だなどと驕った人間たちをあらゆる崩壊の根源であると信じていた。だからこそ最終戦争アルマゲドンは勃発し、だからこそ、大地も海も何もかも、汚染されて死に絶えてしまったのだと。

 多くの者たち同様に戦火によって、また一方でヴァチカン教会によって弾圧され、終焉を間近に控えた純自然主義者たちは、未来に向けて死の贈り物をした。自分たちが死に絶えてからも、悪しき人間たちを葬ることができるように。この星を完全に浄化できるように。


 それが、マリアであった。


「わたくしはヴァチカン教徒を騙った純自然主義者によって、この教会へと預けられました。『死してなお褪せぬ乙女がいる』と言って。教会はわたくしを受け入れ、奇跡だと信じて祀りました。ですが、わたくしが朽ちないのは当然のことです。なぜなら、わたくしはそもそも生き物ではないのですから」


 硝子の棺に納められた彼女は、睡眠状態で長い年月を過ごす。いつか、目覚める時を待って。定められた日を待って。


 彼女が目覚めた日。それがリベリオが発見した朝であったのは、偶然であると言わざるを得なかった。本来はもっと早く目覚めるはずであったものが、長い睡眠状態の間に設定が乱れ、予定よりも大幅に遅れてしまっただけのことであった。

 覚醒直後の彼女は、自らの使命を覚えていなかった。そのようにプログラムされていた。彼女が使命を思い出したのは――本当の意味で覚醒してしまったのは、初めて教会の外に出たあの日だと言う。他ならぬ太陽の光が覚醒のキーになっていた。


「ですから、リベリオさま。わたくしは教皇聖下に謁見するわけにはまいりません。次に何が引き金となり、殺戮兵器としての第二の覚醒をしてしまうのかわからないのですから」


 嗚呼。リベリオは悟る。

 彼女はこの世界の秘密など。あの花園に隠されたものなど、とうに知っていたのだ。


 はたして、リベリオはどうするべきであっただろう。

 司祭にこのことを報告すべきであろうか。ただちにマリアを拘束して、何らかの方法で処分してしまうべきであろうか。


 そのどちらも、彼にはできなかった。


 選択を迫られた時、彼は同時に気が付いてしまったのだ。

 自分が既に引き返せないほど、彼女を愛してしまっていることに。


 そしてそれはきっと、マリアにとっても同じであった。

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