第3話 荒廃した世界で
マリアが目覚めてから暫く経った頃、リベリオは彼女を教会の外へ連れて行った。補助具なしでの彼女の歩行訓練も兼ねていた。
扉をくぐり、唖然とする。
それはマリアの見たことのない光景だったのだ。
教会堂からまっすぐに伸びる道。剥き出しになった土の地面に、所々舗装の跡が残されている。その傍らに点在する巨石群――否。それらは遥か昔の建物の遺構だ。
そうした遺物の何もかもが、色とりどりの草花で覆いつくされていた。
「なんて――」
遮るもののない平原。
吹き抜ける風に金の髪を靡かせながら、マリアは言った。
「なんて綺麗なのかしら」
だが、その声には一抹の寂寥が含まれていた。
「どうでしょうか。きっとこうなる前の世界の方が、余程素晴らしかったでしょうね」
「……いいえ、リベリオさま。わたくしはそうは思いません」
彼女は両手を広げて大地の花束を抱きすくめた。
「嗚呼、この世界は本当に美しいです」
リベリオは目を伏せる。
彼女の晴れ晴れとした笑顔を見れば見るほど、反対に彼の心は翳っていく。
教えるべきではない。
彼女が美しいと言った花々は、アルマゲドンで死んだ人々を養分に咲いているのだ。
そして、彼らもまた、その後を追いつつある。
鳥も、動物も死に絶えた。辛うじていくらかの昆虫が残るのみである。海は常に夜の色をして、リベリオは木というものを本の中でしか知らない。川も大地も汚染されており、少しずつ、ほんの少しずつ、残された人類を蝕んでいる。
彼らは、ただ死に向かっているのだ。
そのことに気が付いて絶望したその日こそ、人類滅亡の時である。
マリアは踏み固められた道の上で歩行訓練を続けた。リベリオは黙って彼女に付き添いながら、乙女が景色に感嘆するのを見守っていた。
緩やかに死にゆく世界の中で、唯一その流れに抗った彼女だけが、この世界の美しさに目を留める。それはひどく、皮肉な気がした。
来た道を戻ったところで、彼女は聖堂の裏へ伸びるもうひとつの道に気が付いた。それは表の道と違って幅が狭く、完全に人の足のみによって造られた道であった。興味本位でその道を辿る。
その道には終わりがあった。
突如現れた断崖によって、ぷっつりと断たれているのである。
マリアは崖の下を覗き込む。
彼女を求めて旅をした、多くの巡礼者たちと同じように。
「まあ。これはまるで――」
一迅の風が、続く言葉を攫っていく。
咄嗟にリベリオは彼女の腕を引いた。はからずも抱き寄せる形になり、彼の広い胸の中で、マリアが驚いて頬を染める。いつもより近い距離で見つめ合った二人は、その短い瞬間を、これから何度も永遠のことのように思い返すのだ。
「……すみません、つい。あなたが墜ちてしまいそうに見えたので」
リベリオは慌てて――けれど、名残惜しそうに――マリアの体を離す。彼女もまた遠退いた温もりに、聞こえないほど小さな溜息を漏らした。
「谷底にあんなに美しい花園があるとは思いませんでした。まるで天国のようでした」
リベリオは答えない。
あの崖の下では、草花は一層の盛隆を見せる。こちらの平原とは、咲き誇る色や形の数が違うのだ。赤や黄色といった同じ名前の色ですら、ひとつとして同じものはなく。見たこともないような異国の植物さえも花を付ける。
天国だ、と彼女が言った花園は、まさしくこの世の果てである。
平原では見ることのできない植物は、いったいどこからその種子を運んで来たのか?
きっとリベリオは、いつまでも答えられない。
あれは、巡礼者たちの成れの果て。
褪せぬ乙女を目指して旅をした者たちの終着点。
緩やかに死にゆく世界に絶望した彼らは、乙女の死顔にふたつの感情を得る。
羨望と絶望。
決して朽ちることのない彼女への羨望と。
終わりに向かって歩み続けるしかない自分たちの生に対する絶望。
彼らはそのふたつの感情だけを胸に抱いて、谷底への道を辿るのだ。
あの花園は、巡礼者たちの遺体を苗床に生い茂ったもの。
そんな真実を、彼女だけは知らなくていい。
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