覚悟
水の月 そらまめ
運命的な出会い
俺はねーちゃんに罠に嵌められた。
事は1時間前。
「ステーキ食べに行かない? 今日は奢ったげる」
「マジ? なに機嫌いいの?」
「私はいつも機嫌いいわよ。さっ、車乗って。あぁ、先に行きたいところあるんだけどいいよね?」
「いいよ。ステーキっ、ステーキっ!」
車から降ろされた俺は目の前の看板を見て目が点になった。
大きな猫の看板を見上げて、獣臭い……気がする猫カフェなる物に血の気が引いていく。
「何ぼさっとしてんの? 行くわよ愚弟」
「1人で行ってきてよ、俺は猫が嫌いなんだ」
「いいから、行・く・わ・よ♪」
無駄にお色気たっぷりなねーちゃんがウィンクする。
俺の腕をがっちりと掴み、力一杯引いてもビクともしない体幹と怪力の持ち主である。
嫌だぁー! イヤだぁーーー!!
ズルズル引きずられる俺は体勢を低くし、更なる抵抗を試みる。
「ちょっと恥ずかしいって!」
「俺だって恥ずかしいわ! いい歳して地面にへばりつこうとする俺の気持ちを考えろ! あとステーキ食いに行くって言うからついてきたのにぃーーー!!」
「わかってるって! 猫におやつあげて、撫でて、ブラッシングできたら奢ってあげる!」
「いきなりやること多くね!? 胸揉むぞクソ姉!」
「揉んでみなさいよ。そのあとあんたは手錠かけられて牢屋行きね。笑顔で見送ってあげるわ。あっははははっ!」
「くっ」
たゆんと、ほらほらと目の前で揺れる胸から、俺は視線を背ける。
なんて姉だ。弟の純情を弄びやがってッ。二十代前半の俺をこんなにも追い詰めるなんてッ。
「ほーら。いい加減覚悟決めなさい。予約時間まで残り7分。ラッキー7よ、さぁ行きましょう」
「なぁにが、ラッキー7よ、だ! もうちょっと心の準備を――」
「あんたの心の準備なんて待ってたら日が暮れちゃうでしょ。行くよ〜」
力を抜いていた俺の身体はねーちゃんに引きずられて止まらなかった。猫カフェがすぐそこに……!
「怪力ババアー!」
「握りつぶすわよ」
「すみません……」
横暴だ……。
「まったく、野良猫に引っ掻かれたの私なのに。なんであんたがトラウマ拗らせてるのよ」
やれやれと、ねーちゃんは俺を引きずって猫カフェへ入っていく。
俺も覚悟を決める必要がありそうだ。ステーキのためにっ。覚えてろよ、クソ姉っ、高い肉食ってやる!
「
「こんにちはぁ〜」
このニコニコした穏やかそうなお姉さんが店長らしい。ねーちゃんと正反対の性格に見えるのに、馬が合うってことは……十中八九、BL仲間だな。
名探偵俺、今日も冴えてるぜ。
ズルズルと俺の意志に反して、体は猫カフェの中へ進んでいく。
「どうぞ」
猫カフェは広かった。
椅子とか、机とか、本とかも置いてある。タンッと音がして見上げると、猫が至近距離で俺を見下ろしていた。
「ぎ――」
俺はねーちゃんに口を塞がれた。
痛い……。このクソ姉っ、結構な力込めやがってっ。俺の頭蓋骨が後ろに飛び出たらどうしてくれるんだよ!
文句の一つでも言ってやろうと手を退けて睨む。
「叫んだら猫ちゃんたちがびっくりするでしょ」
ゴゴゴゴッ。
ねーちゃんの後ろに鬼が見える。いや、ねーちゃんそのものが鬼だ。ひぃ……。
今のねーちゃんに、文句なんて言えるわけがない。
鬼か、猫か……。
選択を迫られている俺に、人懐っこい猫たちが寄ってくる。否、ねーちゃんが持ってるおやつ目当てだ!
震える足を猫の方に一歩近づける。1匹の猫の瞳がギラッと輝いた。
ぎゃーーーー!
なんだか飛びかかってきそうな雰囲気に、俺は即行ねーちゃんの後ろに隠れる。
俺は頑張った。出よう。
鬼か猫かぁ? 鬼の方がマシだね!
扉に一歩進もうとした足が地面に着く前に、引き寄せられる。
「なぁに出て行こうとしてるのよ。はい、おやつ。ご褒美のステーキ、欲しいでしょ?」
ちくしょー! ステーキ欲しい!!
俺はビクビクしながらおやつを受け取る。
出入り口を陣取る鬼を一瞥して、冷や汗を拭った。
落ち着けー、俺ならできる。ステーキのために俺はやる!
そっと忍びのように猫たちに近づいていく。その行動を奇妙に思ったのか猫たちは警戒したように俺のことをガン見してきた。
俺は渡されたおやつを地面に置く。
パシンッ。ねーちゃんにぶっ叩かれた。
「手で」
「わ、わかったよ……。ってしばくことなくね!?」
俺は猫たちに奪われる前に、手におやつを全部乗せる。
さぁいつでもかかってこい!
「あんたがとぉーっても愚図で意気地なしだからつい……、ごめんなさいねぇ」
高笑いでもしそうなねーちゃんに気を取られているうちに、俺の手にはザラザラとした感触と、硬い牙の感触と、もふもふの毛の感触がしていた。
ベトベトな手を見て一瞬固まり、ティッシュで拭き取る。
ふっ。
俺だってやりゃーできんだよ。
「にゃーん♪」
あざとい!
猫おやつの消えた手を見せると、クソ姉は感心したように笑った。
「あら、なによ出来るじゃない。よしよし、えらいえらい」
「こ、子供扱いすんなよ……」
「じゃぁ次のお題。撫でて♪」
きたーーー! わかってはいた。次のお題……撫でる。すぐに来ると、わかってはいたんだ。
ゴシゴシと綺麗になっている手を、ハンカチでめっちゃ拭いながら猫を見下ろす。
「よ、ヨユーだし」
「ステーキまであと2つよ〜」
…………ステーキ。そうステーキのためにッ!! 俺はやるぜ!
足に感じる生暖かい感覚が気持ち悪い。俺のことを押してくる猫たちが威圧してくる気がする。
俺は流れる汗を拭って、近くにいた猫に手を出す。
ペシッ。
「…………」
「あらあら、フラレちゃったわね」
いちいち笑うなよ!?
俺は背後で笑っているねーちゃんを振り返らずに手を見る。
叩かれたけど。でも、思ったより痛くなかった……ねこパンチ。
血とかも出てないし。猫カフェだから感染病の危険もない……よな?
「この子なんていいんじゃない?」
みょーんとめっちゃ長くなってる猫が俺を見ている。
さすが液体と呼ばれる猫。めっちゃ伸びるじゃん。
「早く触りなさいよ」
「…………」
トンと地面に置かれて、猫は何故かねーちゃんじゃなくて俺を見ている。
な、撫でればいいんだろ。ヨユーだし。ステーキに勝てると思うなよっ!
俺は屈むと、冷や汗のひどい手で、ねーちゃんの勧めてきた猫に手を伸ばした。
艶のある毛並みはサラサラでふわふわ。よくブラッシングされていて、人気猫ちゃんなだけあって、反応もまぁ優しい。
「ゴロゴロ……」
「すげー毛並み」
「最後のお題、ブラッシングよ」
どこから持ってきたのか、ねーちゃんが櫛を手渡してくる。
なんで俺が猫の毛を解いてやらなきゃいけないんだよ……。でもまぁ、このふわふわはいいな。
あったかい体も、ちょっと慣れてきたし。
人気猫を手招きして、ブラッシングしてやる。
大人しくされるがままの人気猫は、俺がブラッシングするまでもなくサラサラだった。
これでステーキゲットだぜぇーーーい!!
…………にしても。本当に体が柔らかいんだな。毛があるのに、体をがっしり掴めるし。
にょーんとお餅のように伸びる猫を下ろしてやる。
持ち上げたのがイヤだったのか、人気猫は俺に尻尾をぶつけて去って行った。
気まぐれだなぁ。
いいもんね。ステーキは俺のものだ!
その時、タンッと俺の横で1匹の猫が座った。
濃い灰色と薄い灰色と白の縞々模様の猫。ちょっと褐色色も入っている毛に、性格の温か味を感じる。
瞳は茶色。細くも丸くもない瞳孔から、こやつの太々しさを感じた。
「お前もブラッシングして欲しいのか? 仕方ないなぁ……」
「あら……」
俺が無言でブラッシングしていると、ねーちゃんが立ち上がった。
「ちょっと天音さんと話してくるわね」
「おー」
お前あんまり可愛がってもらえてないのか? さっきのやつより梳かしがいがあるじゃねぇか。
トンと猫が移動する音が響く。にゃーんと鳴き声が響いたと思うと、自動で動くおもちゃで猫が遊んでいた。
あれ。ねーちゃんなんか言ってたけど、いつ出て行ったんだ?
いつの間にか、俺と猫たちだけの空間になっていたことに気づく。
貸切にするなんて何考えてんだって思ってたけど。……猫って、いいな。
「よしよし、気持ちよさそうな顔するなお前」
ねーちゃんが戻ってこねぇ。20分は経ったよな?
俺が猫苦手なままだったらどうする気だよ。…………やっぱ鬼だな。
「にゃーん」
「お前もそう思うか? ねーちゃん鬼だよなぁ」
俺は遊び道具箱を見た。足元にいる猫をどかして、中から『おもちゃの猫じゃらし』を手に取った。
やった事はないけど、遊び方くらいは知ってる。
「にゃーん♪」
ついてきていた縞模様の猫が、俺の脚に身体を押し付けてくる。そして、身軽な動きで棚に登ると、俺の持っていた『おもちゃ猫じゃらし』をペシッと叩く。
軽く握っていた『おもちゃ猫じゃらし』は地面に落ちる。
「は、ははっ」
なんて太々しいやつだ。
俺は笑顔で『おもちゃ猫じゃらし』を拾った。
猫とのふれあい時間が終わり、天音さんという店長さんと話が盛り上がっている、ねーちゃんの元へ行く。
俺は時間を守る男だからな。
「ねーちゃん。猫って、飼うためには何が必要かな」
「なに急に。あんた猫嫌いなんじゃなかったの?」
「今日俺、運命の出会いをしたんだ」
キラッと俺の目が輝いたのが見えたのか、ねーちゃんはドヤ顔で言った。
「さっすが私。愚弟のトラウマ克服だけでなく、捨て猫の引き取りまで決意させるなんて」
捨て猫? あいつらが? 全然そんなふうに見えなかったけど……あいつら、捨て猫なのか……。
目を丸くして、猫たちのいる扉に視線を向けた俺を、ねーちゃんがガシガシ撫でてくる。
やめろよっ、セットに30秒かかるんだよ!
「運命? いいじゃない素敵。あんたにあの子の面倒を見る覚悟があるならね」
「覚悟……」
ねーちゃんは俺の戸惑う様子を見て笑った。
「天音さん、猫に関する本を下さる? この子買うって言っても、知識なんにもないから。1週間経ってからまだ買う気があれば、また来ますわ」
「また勝手に――」
「ありますよ。ちょっとお待ちくださいね。1週間後に返却していただければ結構ですよ。本格的に買うのであれば、おすすめの本のメモをお渡ししますね」
「ありがとう」
「あ、ありがとうございます!」
天音さんが戻ってくるまで、俺は猫の部屋へ行く。
『最後に挨拶してきなさい』とねーちゃんに押されたのだ。
俺が一番好きになった猫が一番に近づいてくる。めちゃくちゃ人懐っこい。でも温和でのんびりとしたタイプだからか、他の猫がくると下がっていくのだ。
あいつマジで好きっ。
「絶対お前のことを迎えにくるからな」
「にゃーん♪」
これが俺の猫好きに目覚めた『最初の日』だった。
1週間、猫のための勉強をして、道具を揃えて、その他諸々。お金はなんとかなる。それなりに稼いだ金は貯金してきたからな。
そして始まる、猫との生活。
車を回してくれたねーちゃんが窓を開ける。
「最後に一つ。あんたのネーミングセンスどうかしてるわ。絶対子供に名前つける時があっても周りの意見聞きなさいよ」
「うるせーなぁ。何がダメなんだよ? なぁ、
猫はじっとしていた。
緊張しているのか、息を潜めている。そんなところも可愛い。
「はぁ……。また遊びに来るからね、
チュッとキスを飛ばし、ねーちゃんは車と共に去っていく。俺が踵を返そうとすると、急に車がキュッと止まって。戻ってきた。
そのうち切符切られるぞ……。
俺は止まった車に歩いていく。
「なに? どうした?」
「次は犬カフェに行くから、覚悟してなさいよ愚弟!」
「い、イヤだ!」
拒否はするものの、結局行動力の化け物な姉のいう通りになるのだろう。
俺は自分の住むアパートの部屋で、
緊張はどうした? …………お前、やっぱ図太いわ。
「今日からここがお前の家だ。よろしくな、
「にゃぁ〜」
覚悟 水の月 そらまめ @mizunotuki_soramame
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