◇ ラブのいる生活・再び ◇

 ダッフィーが盲導犬になるための訓練を始めてからも、時々近況報告をしてもらっていた。1段階目の試験に受かったと聞いた時はホッとしたが、2段階目の試験は不合格となり、残念ながら盲導犬になることはできなかった。人の命を預かるお仕事で厳しい世界だから仕方ない。

 盲導犬ではない生活の方が合っていると判断された犬は、キャリアチェンジ犬としてオーナーボランティアの家に引き取られてペットとして犬生を送る。その際、面接やお試し期間などがあり、新しい家族が決まる。ダッフィーも、お試しを2度ほどしたがまだ決まらず、協会の事務所で皆さんを癒しているという現状報告をされていた。ダッフィーの入学からまもなく半年になるという3月11日。東日本大震災が起きた。

 ダッフィーがいる盲導犬協会も被害の大きい地域に近かったため、様子を聞いて見ると、引き取りボランティアが激減してしまったという。その時、ダッフィーはちょうどお試しに行っていたが、難色を示されているとのことだった。

 一瞬、気持ちが揺らいだ。いや、ダメだ。腕の中で看取った時のツラさを思い出せ。もう犬は飼わないと誓ったのだ。犬を看取りたくないからパピーウォーカーになったんじゃないか。

 1週間ほどして、受け入れ先が決まったか、再度様子伺いの連絡をした。

「残念ながら決まらなくて・・・」

「あぁ~。ダッフィーの良さはすぐには、ですよね~」

「おりこうなんですけどね。アピールが上手ではないから、ねぇ」

「そうなんですよね~・・・う、うちで引き取ってもいいでしょうか?」

「是非!」

 次の日、夫とこっそりケージを買いに行き、その翌日には、ダッフィーは我が家にいた。学校から帰って来た子どもたちは「なんでいるの?!」と驚いたが、すぐに受け容れた。

「入学式の日の涙、返してよね」と言いつつ、家中に嬉しさが溢れていた。


 一般の飼い犬となり甘やかしてもかまわなくなると、ダッフィーがお犬様として君臨するまでに時間はかからなかった。トイレトレーニングや散歩の仕方、飛びつかない、待てなどの基本的なしつけはできていたので、犬のいる生活にすぐに慣れ、家族より家族になった。

 

 ゴールデンは万人受けするあざとかわいさがあるが、ラブラドールは無表情に見られがちであざとさはない。気持ちが全部顔に出てしまうほど表情豊かで分かりやすく、人間ぽい。包容力があって、我慢強くて、賢くて優しい。

 子どもたちがダッフィーを枕にして寝ていても動じない。小学生だった子どもたちがごっこ遊びをしていると、当たり前のようにちょこんとその輪に加わっている。動物病院では、自ら診察台に上がりお座りをして愛想をふりまき、痛点がないのかと心配になるほど黙って予防接種を受けるので「ほんとにいい子だねぇ」と先生たちの受けは抜群だった。

 リンゴやキャベツ、みかんなどの大好物の匂いには驚くほど敏感で、包丁の音を聞き分けて台所に走ってきた。そして、一口もらえるまでよだれが止まらなくなってしまうのでギリギリまで気付かれたくないのだが、耳と鼻の良さをごまかすのは至難の業だった。

 「お留守番」というと、ソファーから起き上がりもせず、横目でチラッと見てフンッとこれ見よがしにため息をつく。部屋を出る時は見送りなどしないくせに、車に乗ると、駐車場側の窓のカーテンをくぐってこちらをガン見している。「置いていくんだな」と言わんばかりの、それはそれは恨みのこもった嫌な顔で見てくるので、毎回、とても出かけづらい気持ちにさせられた。

 留守番中にいたずらをしてしまった時には、部屋に入った瞬間に分かる。新聞紙などをびりびりにして蒔き散らかしていた時は、壁に向かってきちんと座り、壁に沿って顔をあげ、いくら呼んでも意地でも目を合わせなかった。もういいよ、と笑ってしまうと、呪文が解けたかのように、ごめんねごめんねと甘えてすり寄ってきた。

 季節によって散歩の時間を微妙に変えなくてはならないのだが、犬の体内時計はごまかせない。暑すぎる夏場などは日が落ちるまで待たせることになる。いつもの散歩時間になると、寝そべったままチラチラとこちらを見る回数が増え出す。散歩に行く気配がないのが分かると、お座りに体勢を変える。そこから、少しずつ近付いてきてはお座りをし、私の視界に入ってこようする。テレビを見ていれば、テレビの画面の真ん前に座ってこちらを見てくる。最後は、足や腕にあごを乗せ「散歩忘れてませんか?」と上目遣いで顔を覗き込み、手でちょんちょんしてきた。未来の行動予測ができるのは、賢さの証だった。

 散歩中に銀杏を拾い食いして、かぶれて顔がブクブクに腫れて全身に蕁麻疹が出たり、ぷっくりと血を吸ったマダニが付いていて病院に入る前に落ちていたら診察代がかからなかったのに待合室でポロっと落ちて一応診察することになったり、夫がドッグフードの袋を閉め忘れて盗み食いして、胃でフードが膨らんでお腹がパンパンに張れて動けなくなったり、ラブのいる生活は、笑いあり事件ありで、毎日エピソードが絶えなかった。

 それが、私たちの癒しだった。だから毎日、目が合った数だけ、横を通る数だけ、「大好き」を言った。

 

 



 

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