◇ ドタバタ・パピーウォーキング ◇
最初にパピーウォーカーとしてすることは、名前を付けることだった。事前に盲導犬協会からイニシャルを伝えられ、そのイニシャルで始まる名前の候補を5つ挙げて提出する。他の犬とダブらないようにとかいくつかの条件を満たしたものを協会側が候補の中から選んでくれるので、名付け親にもなれるのだ。
伝えられたイニシャルは「D」だった。家族それぞれ1つずつ考え、5個の名前を提出した。
そして迎えた委託式。「パピーの姿が見えてしまうと、皆さんなかなか話を聞いてくださらなくなってしまうので」と、先に協会からの挨拶や説明をしっかりと聞く時間があった。その後、ついに訓練士さんたちに一頭ずつ抱かれたパピーが部屋に入ってきた。ラブラドールの子犬は、ぬいぐるみにしか見えないほど小さくて愛くるしい。
「ひゃ~」「かわいい~」あちらこちらから、歓声があがる。
家族の名前を呼ばれ、そこで犬の名前も発表される。いよいよ家の番が来た。
「名前は、ダッフィーです!」抱いている訓練士さんが、体をひねって犬の顔をこちらに見せてくれた。
東京ディズニーシーに、ミニーがミッキーにプレゼントしたぬいぐるみとして登場したキャラクターで、ディズニーの世界同様にみんなから愛されるように、と拝借した名前だった。
訓練士さんの所に受け取りに行くと、もうすでにダッフィーでしかないその子は、私の腕の中にすっぽりと納まった。頼りなさそうな顔で身を委ねているダッフィーの頭に、思わず鼻を埋めた。埃っぽいような甘くさいような、久しぶりに嗅ぐ犬の匂いとぬくもりに「犬くさい~、かわいい~、あったか~い」と、そのかわいさに瞬殺された。
「かわいい」の連発記録は、多分この日を抜くことはないだろう。
大型犬になるとはいえ、子犬の時はやはり子犬。小さくてかわいいのだが、圧倒的に違うのは、足の太さだ。いかにも、大きくなりますよと言わんばかりに、骨太なのが見るだけで分かる。真っ黒でぷにぷにの肉球も肉厚ででっかい。なのに、かわいい。犬の足の太さにきゅんとするようになったのは、ここからだ。
久しぶりに犬のいる生活になり、かわいいだけでは飼えないことを思い出す。生後2カ月で親犬から離れてしばらくは夜泣きもするし、2時間おきにトイレをさせるために起きなければならない。人間の子どもと同じで寝不足は必至だ。
生え始めの歯がかゆくて、何でも噛む。おもちゃやタオルを噛ませても、どうも人の手を甘噛みするのが一番らしく、本当はいけないのだが、かわいさ故、好きなだけ手を差し出してしまい、私の手はいつも赤いボツボツの歯形だらけになっていた。カーペットや家具の足がボロボロになるのに時間はかからなかった。
こんなにかわいいのに、引いてしまうポイントはあった。それはごはんへのがっつき方とウン〇の量だ。小型犬を飼っていた時も、ごはんへの執着はすごくあったが、食い意地が張っているくらいにしか思わなかったが、ラブラドールは総じて食べ方に引かれるようだった。ごはんをこぼす勢いで、器をがしゃがしゃと揺らすほどががっつく。どこまでも鼻で器を押して行ってしまうので、壁際に器を置いて壁をストッパーにしていた。
小さくてもよく食べる。食べたら、出る。体が大きい分、ほぼ人並みの立派なのをする。ホカホカのそれは臭さも立派で、かわいい見た目とのギャップがありすぎて毎回引いた。かわいがっていた子どもたちも、唯一顔をしかめる場面だった。盲導犬候補生なので、パピーの時のトイレトレーニングは一番大切だった。盲導犬になった時、外出中に用を足してはいけない。散歩に行く前に、家の庭など決められた場所で済ませなければならないのだ。大も小もだ。散歩中にトイレをすることを覚えてしまったら、もう盲導犬としては失格なのだ。
散歩に行く前にトイレを済ます習慣をつけるためには、用を足したら散歩に行く、というルーティンを体に覚え込ませなければならない。だから、トイレが済むまで散歩に出発できない。30分以上、庭でワンツーワンツーとトイレの声掛けをし続けて、一旦散歩を諦めたことも1度や2度ではない。短めの散歩を繰り返して、帰ってから庭でさせるなど、とにかく散歩中にトイレをさせないようにするのは、本当に大変だった。
パピーウォーカーは、子犬を預かる以外にも盲導犬の普及・啓発活動などのイベントに参加することもあった。ダッフィーと一緒に、パピーウォーカーとしての生活を話しに行ったり、ショッピングモールなどで募金をお願いしたり、盲導犬のことを知ってもらうことはもちろん、パピーたちが買い物客で賑わうような場所に行っても怖がらずに大人しくしていられる訓練にもなるので、何度か参加させてもらった。
そういうボランティアを通して、色々と考えさせられることも多かった。一番
触られたりしても伏せたまま大人しくしている犬や、目隠しをした人が盲導犬と歩いてみるデモンストレーションなどを見て、そこに実際に盲導犬と暮らしている視覚障がいの方も来ているのにもかかわらず、盲導犬の意義など知ろうともせず、通りすがりに大きな声で「かわいそうな犬たち!」と叫んだのだ。
今までの私だって心のどこかにそんな気持ちがなかったとは言えない。でも、パピーウォーカーになったことで、今まで知らなかったことをたくさん知ることができた。訓練を受けて盲導犬になった犬たちが、決して自由を奪われているわけではないこと、仕事中以外は、普通の犬と同じく、家では家族と遊んだりくつろいだり甘えたりもできることが知られておらず、人に尽くすためだけにじっと生きているというような偏見で、そんな言葉を吐かれたことにとても落ち込み、いまだに忘れられないできごとだった。
だから、そういう偏見をなくすためにもこういう啓発活動が必要で、目の不自由な方たちの支えになる盲導犬が増えるように誇りを持って育てなければ、と強く思わされた日になった。
思っていた以上に大型犬の成長は早く、すぐに20キロを超えるラブラドールの成犬になった。そして、それはお別れの日が近付いているということでもあった。お別れという言葉は正しくはなく、預かっていた盲導犬候補生が訓練に入る入学式の日、というべきだった。
ダッフィーとの楽しい時間はあっという間に過ぎ、1歳の誕生日を迎える1週間ほど前に入学式の日を迎えることが決まった。
送り出す数週間前から、寂しさが募った。入学式前日は、1日中、ダッフィーを目で追っていた。シュッとした横顔、まっすぐな眼差し、無防備な寝顔、シルクタッチの耳、ダルダルの口パッキン、肉厚の足、見える全てを写真に撮り、近付いてはなで、頭の匂いを嗅ぎ、何度見てもどこを見ても泣けてしまった。
入学式の朝、借りていたケージを片付けると、急に部屋の一角に空間ができたのを見て、また泣けた。
気が重いまま盲導犬協会に着くと、入学式に集まったパピーたちがたくさん来ていて、どこを見てもラブラドールしかいないという貴重で幸せな状況にちょっとニヤニヤしてしまった。
久しぶりに会う姉弟犬たちやその家族と近況を話したり、写真を撮ったりして気を紛らわせていたが、そろそろ入学式が始まるという頃には、何か言葉を発したら涙も一緒に出てしまいそうで、ダッフィーの後頭部をただただ黙って指で触っていた。
入学式が始まると、委託式の時とは違い、協会の方の挨拶や説明の間もギリギリまで家族といさせてくれた。いよいよ引き渡しの時間が来た。一頭ずつ、訓練士さんの持つ首輪とリードに付け替えられて犬舎に去っていく。ダッフィーの番が近付いていた。「頑張ってね」という私たちの励ましを分かっているのかいないのか、家族が順番にお別れのハグをしたりなでたりしても、いつもの顔で受け止めているようだった。最後にもう一度、本当に最後ねと、ぎゅうっと抱きしめたら、ダッフィーのあごが私の肩に乗り、その重さとぬくもりと耳元の息遣いに涙腺が崩壊した。
それなのに。こんなに寂しくて名残惜しくてたまらないのに、パピーたちはみんな、驚くほどあっさりと去っていく。ダッフィーも同様、新しいリードに繋がれると振り返りもせず軽快な足取りで、犬舎の方へ消えていった…。
寂しさはしばらく拭えなかったが、ダッフィーは元気で生きているし、近況も聞かせてもらえるのだ。犬を看取りたくないけれど犬と過ごしたいという不純な動機で始めたこのボランティア。楽しくて幸せな時間を過ごせたことに感謝して、気持ちを切り替えた。
盲導犬になれるように、訓練、がんばるんだよ、と。
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