第6話 曹操の家
黄巾の乱の後、曹操は済南の相となった。
済南の相とは、青洲済南国の王を補佐して、国を治める官職。
実にわかりにくいが、国とは、州の中にあり、郡と同様の地方自治体である。
郡とのちがいは、諸侯王が統治し、高い独立性を保持していたこと。
とはいえ、中央から相が派遣されてくる。漢王朝の支配のもとでの限定的な独立。
ついでながら、ここまで本作では、司州という地名を使ってきたが、正確には司隷という。
首都洛陽を含む州は、州と呼ばれず、隷という。
ちなみに司隷の監察官は、司隷刺史ではなく、司隷校尉という名称である。
さて、世は乱れ切っていたが、済南国でも汚職が横行していた。
曹操は果敢に、綱紀粛正を断行した。
彼は現代日本で「人材コレクター」などと言われることがある。
優秀な人材を愛した。
収賄や税のピンハネに血眼になっているような官吏が、優秀なわけはない。
そういう官吏を放置していると、他の官吏も汚職を始める。能吏は育たない。
曹操は、濁官と戦った。
十人の県令のうち八人を罷免。
これは、かなり面倒な仕事だったはずである。
県令の仕事ぶりを調査し、汚職の証拠を押さえなければならない。
罷免にあたっては、済南王の了承を得なければならない。県令を任命したのは王である。王は嫌がった。
「曹操、そこまでやらなくてもよいのではないか」
「必要なことです。民を搾取しつづけると、反乱により国はつぶれます」
「しかし、免職はきびしすぎる。もう少しゆるっと……」
「私も首をかけて仕事をしています。反対なさるのでしたら、私を罷免してください」
中央から来た相を、理由もなく辞めさせることはできない。汚職を摘発するから、では理由にならない。
王は曹操に抵抗するのをやめた。
県令の反抗にも備えなければならない。彼らには地域に根ざした力があった。
曹操は国軍を調練し、しっかりと手綱を握った。
辞めさせた県令の後任も選ばねばならない。人材を発見するのは、容易ではない。
地域の名士や県衙の官吏とつきあい、これはという人を抜擢した。
曹操は自宅で酒を飲みながら、「疲れた……」と愚痴ることもあった。
ここまで本作では触れなかったが、すでに彼には妻子がいる。
最初の妻は劉夫人である。二男一女を生んでいる。彼女の生没年は不詳だが、早逝した。
長男曹昂は二人目の丁夫人に育てられた。
曹昂、次男曹鑠、長女清河公主は、子供時代を済南国で過ごした。
曹昂は元気がよく、聡明な少年で、曹操はこの子をことのほか愛した。
「昂、本を読んでやろう。私は、孫氏の兵法を研究しているのだ」
「あなた、昂にはそのような話、むずかしすぎますよ」
「いいえ父上、教えてください。ぼくは兵法に興味がございます」
後に曹昂は、父をかばって死ぬ。
三人目の卞夫人ともすでに結婚している。彼女は魏の初代皇帝曹丕の母なので、詳しく経歴が残っている。
歌妓であった。
179年、二十歳のときに曹操に見初められて側室となり、187年に曹丕を生んだ。
済南国時代の曹操の家庭には、丁夫人と卞夫人、二男一女、そして使用人たちがいて、にぎやかであった。
曹操は公私ともに忙しかった。
曹操の家庭についての描写を、なおつづける。
彼の事績を追っていると、続々と事件が発生する。次に家庭のことを描ける機会があるかどうかわからない。
良家の娘である丁氏は、妓女だった卞氏を軽蔑していたが、卞氏の性格は穏やかだった。
常に丁氏を立て、慎み深く、静かに微笑んでいた。
同じ家に住む若く美しい女性ふたりを等しく愛するのはむずかしいが、曹操は情感が豊かで、丁氏にも卞氏にもやさしかった。たまに丁氏とはけんかをした。
曹昂が亡くなったときには、大げんかになる……。
卞夫人には逸話がある。
曹操が彼女を街へ連れ出し、耳飾りを贈ろうした。彼女に選ばせると、中級の品を手に取った。
「なぜそれを?」
「上等な物を選ぶと、あなたはわたしを欲が深い女だと思うでしょう? 下等な品を選んだら、倹約家ぶっていると思うのではないですか? なので、ほどほどの品を選びました」
彼女の目には、理知的な輝きがあった。
曹操は、卞氏をいっそう愛するようになった。
187年に曹操は兗州東郡太守に任命されるが、任官を断り、故郷の譙県へ帰った。理由はよくわからない。
疲れていたのかもしれない。
済南国の汚職を懸命に正したが、骨身を削るような苦労をした。
他へ転じても、どうせ濁っているのが、わかり切っている。
「やってられねえよ」と酒を飲みながらつぶやいた。
彼は故郷で家族とともに、平穏な日々を楽しんだ。
ときには色街へ行った。ナンパもした。曹操は生涯で、少なくとも十六人の女性と結婚している。それに数倍する女性と恋をした。
英雄色を好む、という。曹操も例外ではなかった。
済南国で真面目に働いた曹操が、故郷で羽目をはずした。不良青年が、不良壮年になってしまった。
朝帰りをした夫を、丁夫人が怒った日もあった。
再び動乱の洛陽に戻る前に、彼は恋をし、家族とも楽しく過ごした。
平和で、喜びに満ちていた。曹操にとって人生最良の日々であった。
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