第7話 洛陽の動乱
188年、霊帝は自ら無上将軍と称した。
皇帝が将軍になるなど、前代未聞。
天公将軍と自称した張角に影響されたのかもしれない。
無上というネーミングは、誰が考えたのだろうか。霊帝自身か、側近の宦官蹇碩か。このふたりは、洛陽内で強力な軍事力を持とうとした。
霊帝無上将軍は、売官して得た私財を使って兵を集め、西園軍を編成した。
従来から近衛兵はいて、皇宮を守備していたが、たいした兵力ではなかった。
西園軍は、強力な軍事行動ができる皇帝直属の常備軍をめざして創設された。
無上将軍に次ぐ力を与えられたのは、筆頭校尉となった蹇碩。宦官でこれほどの武力を持つようになった者は珍しい。
曹操は、西園軍の指揮官のひとりとして、洛陽に呼ばれた。
西園軍は、西園八校尉と呼ばれる八人の将校が率いる組織であった。むろんその上に霊帝がいる。
上軍校尉 蹇碩
中軍校尉 袁紹
下軍校尉 鮑鴻
典軍校尉 曹操
助軍左校尉 趙融
助軍右校尉 馮芳
左校尉 夏牟
右校尉 淳于瓊
曹操は武官である洛陽北部尉の後、文官である頓丘県令となった。その後また部官の騎都尉となり、次に文官の済南の相になった。文武の官をまんべんなく経験してキャリアを積み、今回は武官である西園八校尉。
彼は譙県で十分に英気を養った。そろそろまたなにごとかやってやるかと気合を入れて、任務についた。
西園八校尉の中で曹操と縁があったのは、悪友と言うべき袁紹である。
次いで、洛陽北部尉時代にその叔父を棒叩きの刑で殺してしまった蹇碩との悪縁がある。
後に官渡の戦いで、袁紹の将のひとりとして曹操と戦う淳于瓊がいることも、注目に値する。
曹操は袁紹と連れ立って酒場へ行った。
「久しぶりだな、袁紹」
「おう、元気だったか、曹操」
「元気だとも。だが、世の中は腐敗しまくっている。西園の尉として、少しでも社会を正す仕事がしたい」
「むずかしいな。西園軍の上軍校尉は、腐れ者の蹇碩殿だ」
腐れ者とは、宦官を見下した言葉である。
宦官を祖父に持つ曹操は、むっとした。
「おっと失礼……」
酒の席でふいに出た言葉を聞き、曹操は袁紹の腹の中を知った。内心では、おれを馬鹿にしている……。
この後、ふたりはしだいに不仲になっていく。
残念ながら、西園軍はさしたる活躍をすることなく終わった。
霊帝が189年に崩御したからである。享年三十四。病死であった。
後漢の第十二代皇帝は、後継者を決めていなかった。
次代の皇帝候補は、大将軍何進の妹、何皇后が生んだ劉弁と宦官の蹇碩らに押し立てられた劉協のふたりである。
劉協の母王栄は、霊帝の寵愛を得ていたが、何皇后に嫉妬され、毒殺されている。
劉弁は暗愚で、劉協は聡明であると見られていたが、何進が劉協派の蹇碩を殺し、劉弁が十七歳で第十三代皇帝となった。
彼は、少帝弁と呼ばれる。
この頃、洛陽では、めまぐるしく権力争いが行われた。
何進は、蹇碩を殺した後もさらに宦官を迫害しようとしたが、妹の何太后は逆に宦官を擁護した。こうして何進と何太后の対立が生じた。何進は宦官に多少は遠慮するようになった。
反宦官派の急先鋒は、袁紹であった。だが、彼は自らの力で宦官を排除しようとはせず、地方で軍事力を持つ将軍を洛陽に招いて、宦官を圧迫しようとした。
他の勢力を当てにして、自らの血はできるだけ流さないように動くのは、袁紹の悪癖である。
曹操は決然と反対した。
「地方の軍事勢力を呼び込めば、その者が洛陽を制する」
袁紹は聞く耳を持たなかった。
并州牧となっていた董卓と并州で勢力を持っていた丁原を洛陽に招いた。ふたりとも軍隊を率いたままやってきた。
丁原の配下には、三国志演義で最強の武将として描かれている呂布がいた。
董卓を呼んだのは、袁紹の大失策。
彼の独裁恐怖政治を招くことになる。
董卓は呂布を取り込み、丁原を裏切らせ、殺させた。
189年は事件が多い。
何進が宦官勢力に殺害された。
袁紹が逆上し、珍しく自らの兵力を使って、宦官たちを虐殺した。
袁紹は、洛陽を混乱の極致へ突き落とした。
「馬鹿なことをしておる……」とほくそ笑んだのは、董卓であった。
少帝弁と劉協は郊外へ避難した。
ふたりを手に入れたのは、董卓軍。
皇帝を擁して、董卓は洛陽で実権を握った。
董卓は暗愚と言われた少帝弁を廃し、劉協を即位させた。
彼が第十四代皇帝の献帝である。後漢最後の帝。董卓の傀儡。
弁の在位期間はわずか四か月であった。
曹操と袁紹は、董卓が専横の限りを尽くす洛陽から逃亡した。
董卓の暴虐な悪政は、中国各地で力ある者が独立する群雄割拠時代を到来させる。
ここで、董卓の強さについて、考察してみよう。
彼は冀州黄巾賊の討伐に失敗した。軍事はあまり得意ではない。にもかかわらず、洛陽を席巻した。
なぜだろうか?
董卓は、狡猾さと強気な行動力をあわせ持っている。
普通の人間は、多かれ少なかれ他人に配慮する。
だが、董卓は我欲を実現するために陰謀をめぐらし、ためらうことなく行動する。
呂布を操って丁原を殺した。少帝弁を利用するだけ利用した後、反董卓勢力に彼が逆利用される怖れが出てくると、すぐに廃し、毒殺した。
このように陰謀をすぐに実行できる人間は、まれである。
良心の呵責がまったくない。これが董卓の強み。
もし袁紹が逆上ではなく、陰謀と冷静をもって宦官を討滅していれば、皇帝に逃げられることもなく、彼が洛陽を制していたであろう。
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