第4話 黄巾の乱

 三国志の幕開けを告げる黄巾の乱。

 いったいどれほどの大乱だったのか。

 太平道の教祖、張角を指導者とする宗教組織の乱。

 実態は、食えなくなった農民の反乱である。


 後漢末期、中央、地方の政治が大いに乱れていた。

 金で官職を買った役人が多い。

 高い金を出して、地位を手に入れた。

 元を取るために、賄賂を受け取る。民衆に高い税を課して、私腹を肥やす。儲けた金でもっと高い地位を手に入れ、さらなる大金を……。


 農民は収穫の大半を役所に持っていかれ、食い物をつくっているのに、ろくに食うことができない。

 不満を持って、宗教に救いを求める。


 栄養不足で病気になった者も多かった。それを癒やすのも、宗教家である。

 大賢良師と称した張角は、呪術治療を行った。

 病人に向かって言う。

「なんじの罪が、病となって現れておる。懺悔せよ」

「大賢良師様、私は罪を犯してなどおりませぬ」

「隠すと、治らぬぞ」

「今年の種籾がありませんでした。富農から少し盗みました……」

「よく言った。悪いのは世の中である。この符水を飲みなさい」

 張角は九節の杖をふるい、治癒を祈った。不思議と病気が治った。


 張角の弟、張宝と張梁も、宗教的医療行為をした。

 太平道の幹部たちは皆、符水を与えられ、呪術治癒の真似事をした。

 治る病人もあり、治らぬ病人もいた。

 宗教家は言う。 

「治らないのは、信仰心が不足しているからである」

 

 太平道は中国各地で多くの信者を得た。

 張角には、組織を運営する天賦の才があった。

 ゼロから出発して太平道を創始し、一代で巨大宗教組織をつくりあげた。


 張角は、地域別に「方」をつくり、信者をそこに所属させた。方の指導者を大方と呼び、その下に小方を置いた。ひとつの方には、約一万人もの信者がいた。

 184年には、方の数は三十六になっていた。

 信徒約三十六万人。

 官への不満のかたまりのような組織である。


 張角は皇帝になろうとした。

 彼は信者たちに言った。

「漢王朝はすでに腐り切っている。倒さねばならない」

 倒せる、と思っていたであろう。


 彼は自ら天公将軍と称し、張宝には地公将軍、張梁には人公将軍と称させた。

 そしてすべての方を軍事組織に転化した。

 一斉蜂起。

 武装した信徒の頭には、黄色い頭巾を巻かせた。太平道の反乱が、黄巾の乱と呼ばれるゆえんである。

 張角は、漢王朝が滅び、太平道の世が訪れることを願って、詩をつくった。


 蒼天すでに死す

 黄天まさに立つべし

 歳は甲子に在りて

 天下大吉


 信者たちはこの詩を歌い、進軍した。


 太平道軍の武装蜂起は二月。地方の官軍を圧倒する部隊もあった。

 張角の出身は冀州鉅鹿郡。張角軍は中国北部の冀州、幽州で暴れ回った。

 幽州刺史の郭勲と幽州広陽郡太守の劉衛を戦死させた。


 豫州では、波才が太平道軍を率いた。汝南郡太守の趙謙の軍を大破し、敗走させた。 

 波才は貧しい農民であった。張角の治療によって、奇跡的に肺病から救い出された。

「太平道を広めるよお。それがおらの天公将軍様への恩返しだあ」


 荊州においては、張曼成が黄巾軍を指揮し、南陽郡を攻め、太守の褚貢を殺した。

 張曼成は割と豊かな農民だった。野望を持ち、黄巾軍に身を投じた。

「張角様が天下を取る。わしは一州の主になりたい」

 彼は神上使と自称した。


 ここで、ひとつの疑問が生じる。

 太平道軍は強く、官軍は弱かったのか?

 そんなはずはない。

 張角たちは、公然と軍事訓練をすることはできなかった。農民に剣を渡した程度で、けっして強い軍ではなかった。

 官軍は、精鋭とまでは言えないにしろ、農民軍よりは強かった。

 太平道軍の中で、優秀な指揮官に率いられた部隊が奇襲に成功し、郡太守を撃破したのであろう。波才や張曼成は、軍事的才能を持った大方だった。

 太平道の信者は、中国全土にいた。乱が早期に鎮圧された地方もあったであろう。

 黄巾の乱が特に激しく燃え広がったのは、冀州、幽州、青州、豫州、荊州。


 漢王朝側から見ると、太平道軍は黄巾賊である。

 霊帝は三月に逆襲を開始した。

 後漢朝廷は乱れているといえども、なおも力を所持している。

 何進、皇甫嵩、朱儁、盧植らの良将がいて、約三十万人の動かせる部隊があった。


 霊帝は何進を大将軍に任じて、洛陽を守らせた。

 皇甫嵩は左中郎将となり、右中郎将の朱儁とともに豫洲潁川郡へ向かった。

 そこには波才黄巾軍が進出している。


 盧植は北中郎将に任命され、太平道発祥の地、冀州へと軍旅を発した。

 ちなみに盧植は、蜀漢の初代皇帝となった劉備の学問の師で、文武両道に秀でた将軍である。


 荊州へは、褚貢の後任の南陽郡太守に任じられた秦頡が、兵を率いて進発した。


 三国志の主役たちは、この頃まだ微力である。

 曹操は議郎から騎都尉に出世していた。

 騎都尉は、平時なら皇帝の侍従武官である。だが、乱が勃発したため、曹操は豫洲方面軍の一部隊の指揮を任された。

「初陣だ……」

 曹操は乱世が始まったことを、身にしみて感じていた。


 呉の初代皇帝の父も、戦乱に身を投じている。

 孫堅。

 彼は朱儁旗下の将校として出陣する。


 三国志演義の主人公、劉備は、関羽、張飛らとともに義勇軍を結成していた。


 三国志の巨悪として有名な董卓は、このとき司州河東郡太守であり、出番を待っていた。


 張角が起こした反乱は、彼らが歴史の表舞台に登場するきっかけをつくった。

 天才的な宗教家で、皇帝になろうとした張角。

 彼の野望は、巡り巡って、後漢末期の群雄割拠時代とその後の三国時代を招くことになる。 

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