第九章 君に伝えたいこと



 煉瓦造りの門の前に花束を置くと、理緒はその場にしゃがんで手を合わせた。隣では、秋人も同じポーズをしている。

 御子柴邸の門の前には、他にもいくつか花束が置かれていた。ジュースのボトルやお菓子なども供えられている。

 近所の者や、旧御子柴医院に通っていた患者などが厚意で置いているらしい。

 門の奥には大きな建物が見えた。その大部分が燃え残っているため、一見たいした被害はないようにも思えるが、あの日の火事で地下はほぼ全焼している。

 秋人と理緒は御子柴邸から脱出したあとすぐに消防と警察を呼び、知っていることをすべて話した。

 秋人がポケットに入れていたスマートフォンには御子柴の声が残っており、それも提出した。

 警察は御子柴邸の詳しい検証を行った。

 すると、燃えた地下室から黒く炭化した遺体が見つかった。損傷がひどく原形を留めていないため、遺体の身元は判明していない。

 だが状況から言って、あのとき地下室に取り残された者が生きているとは思えなかった。

 従って、炭化した焼死体は御子柴邸の住民のものであると推定されている。

 地下のほとんどは火事で焼け落ちてしまったが、かつて御子柴医院が開業していたころ、処置室として使われていた一階の部屋は綺麗に残っていた。

 警察は、その部屋からいくつかの人骨や靴などの遺留品を発見している。

 遺留品の中には、繁華街の事件の被害者である唐崎夕子と、理緒たちの同級生だった明日香の持ち物が含まれていた。

 また、別の部屋からは人体を切るのに使ったと思われる刃物、および違法な薬品類なども押収されており、警察は女子高生連続殺人事件の犯人を、御子柴惣一郎であるとほぼ断定した。

 さらに、御子柴邸の広い庭を一部掘り返したところ、猫をはじめとする小動物の死骸が大量に見つかった。寝室のクローゼットから、目撃証言で出ていた黒いフードのついた服も出てきたため、猫の死体遺棄事件においても御子柴の犯行であるという見方が強くなっている。

 そして、七年前の秋人の母親の事件についても再び検証がなされた。

 秋人は、黒いフードを被った御子柴に出会ったことや、殺人を依頼したことなど、当時はショックで言えなかった事を包み隠さず話した。

 結果、秋人が母親の殺害を依頼したことについて、罪に問われるようなことはなかった。

 当時まだ十歳の子供であったことや、実行行為には何も関わっていないことがその要因だろう。

 秋人自身は思うところがあるようだが、この事件も一応の解決を見ることとなった。

 秋人と理緒は、警察の事情聴取の際、もちろん比丘尼のことについても話した。

 比丘尼のことに関しては、焼け残った御子柴のパソコンの中にも記録が残っていたらしい。

 だが、千七百年も生きていて、普通のヒトより進化している生命体の存在を、警察がどう処理するのかは分からない。

 一連の事件の犯人として御子柴の名前は全国に報道されたが、比丘尼のことは一切触れられなかった。

 もしかしたら多くの者が、彼女のことを知らないまま、時が過ぎていくのかもしれない。

 だが、比丘尼は確かに存在したのだ。

 千七百年以上生きて、涙を流しながら死を懇願していた悲しい女性は、確かにあの日、あの場所にいた……。

「森澤さん」

 一連の出来事に考えを馳せていた理緒は、名前を呼ばれて我に返る。

 すでに御子柴邸での出来事から二か月が過ぎていた。

 理緒と秋人は今日、二人揃って御子柴邸に花束を手向けにきた。本当はもっと早く訪れかったが、連続殺人犯と直接対峙した二人の元へマスコミの取材が殺到し、身動きが取れなかったのだ。

 名前を呼んでくれたのは秋人だ。先に立ち上がり、まだしゃがみ込んでいる理緒に向かって、遠慮がちに手を差し伸べてくれている。

「ありがとう、黒崎くん」

 秋人の手に縋って立ち上がると、理緒は視線を合わせてそう言った。

 その時点で繋がれた手の役割は終わりのはずだった。

 だが、秋人はそのままの姿勢で、真剣な眼差しを向けてくる。

「森澤さん。君に、伝えたいことがある……」

 秋人はそう言ったきり黙った。

 少し長い静寂だ。理緒はその間、手を引っ込めることなく言葉の続きを待つ。

 ただこうしていればいいことを、もう知っていた。やがて秋人は、ゆっくり口を開開く。

「僕のことを信じてくれてありがとう。ずっとお礼が言いたかった」

「私の方こそ、助けに来てくれてありがとう」

「……助けてもらったのは僕の方だよ」

 秋人は繋いだままの理緒の手を自分の方に引き寄せて、そこに少し力をこめた。それだけで、理緒の鼓動が跳ね上がる。

「あのときの僕は、心が弱くなっていて、自分で自分のことが分からなくなっていた。だけど君はそんな僕を最後まで信じてくれた。本当にありがとう」

「ううん、そんなこと。私はただ……」

 理緒はただ、秋人と話をしたかっただけなのだ。あのまま離れてしまうことが嫌だった。

 もっと、秋人の傍にいたかった。

 そう伝えようとしたとき、その場に二人組の女子高生が通りかかった。彼女たちは手を取り合う理緒たちを興味深そうな顔つきで見ている。

 理緒と秋人は慌てて手を離した。

 しばらく二人であたふたしたあと、秋人は視線を宙に彷徨わせながら言う。

「……帰ろうか」

 理緒は秋人の温もりが残る手をもう片方の手で包んだ。

 今、秋人は理緒に最後まできちんと自分の言葉を届けてくれた。だけど理緒はまだ、秋人に伝えていないことがある。

「待って黒崎くん、あの……」

 一足先に踵を返した背中に、声をかける。

 振り向いた秋人は、再び理緒をまっすぐ見つめた。

「冬は、空が澄んでいて星がよく見えるって、この間本で読んだの。だから……」

 今度は理緒が秋人の手を取った。

「だから今度、冬の星の名前、教えてくれる?」

 秋人は一瞬目を見開いたあと、ゆっくり頷いた。

「……僕でよければ」

 はにかむように微笑んだ秋人の顔を、理緒は一生忘れない。


 二人は並んで歩き出す。

 だが数歩進んでから、理緒はちらりと背後に目をやった。

 惨禍のあった建物の後ろに、赤い太陽が沈んでいくのが見える。一見穏やかな光景だが、理緒の心には微かな疑問が浮かんでいた。

 

――比丘尼の本体は脳と眼だ。


 御子柴はそう言った。

 つまり、脳と眼が完全に滅びない限り、比丘尼は生き続けるのではないだろうか。

 あの炎が、驚異の生命体のすべてを焼き尽くしたのかどうか確認する術はない。

 比丘尼は自らの死を望んでいた。彼女はきちんと命の終わりを迎えられたのだろうか……。

「森澤さん」

 いつの間にか少し先を行っていた秋人が理緒を呼ぶ。

 理緒は頭に浮かんだ考えを振り払って、秋人の方へ駆け出した。


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