第八章 正体6

「黒崎くん……」

 理緒は秋人に向かって自分の手を伸ばした。

 しかし二人の手が触れ合う一瞬前に、御子柴が理緒の身体を強く後ろに引く。

「下らん。そしてとことん考えが浅いな。……黒崎。お前はここに乗り込んできてどうするつもりなんだ。どうせ警察に通報もせず単独で来たんだろう。容疑者であるお前の話を、警察がまともに聞くわけないからな」

 秋人は眉を顰めて俯いた。

「図星か。単独で乗り込んできたという勇気だけは買うが、少々短絡的だったな」

「……確かに僕は、ここに一人で来た。でも……」

 そう言うと、秋人は学ランの胸ポケットから薄い機械を取り出して御子柴の前に提示した。

 ポケットから出てきたのは銀色のスマートフォンだ。

「これにはボイスレコーダーの機能がついてる。この部屋に入る前に起動させた。これを、警察に持ち込む。……証拠があれば、容疑者の僕でも話を聞いてもらえるはずだ」

「…………」

 御子柴はしばらく黙っていた。

 だが、突然狂ったような声を上げて笑い出す。

「本当に滑稽だな、黒崎秋人。ここまで考えなしだとは思わなかったぞ。会話を録音していたのはいいアイディアだ。だが警察に届けなければ、その証拠とやらは意味を成さない。ああ、言っておくがモバイル機器は役に立たないぞ。ハッキングされて研究成果を持ち出されるのを防ぐために、この家は妨害電波でガードしてある。電話をかけるなら外へ出るしかない。……もっとも、黒崎が呑気に通報している間に、俺は森澤を殺すがな」

 唇を引き結んでいる秋人に、御子柴はなおも畳みかけた。

「それとも、森澤と協力して二対一で乗り切れると踏んでいるのか。だったらその考えは捨てた方がいい。残念ながら二対一じゃないんだ。……ここに俺の協力者がいる。しかもその協力者はヒトを超越した奇跡の存在だ」

 血走った目がゆっくりと動く。その先にあったのは、比丘尼を乗せた車椅子だった。

 御子柴は、ドンと音を立てて床を踏み鳴らす。


「さあ比丘尼さま。そろそろ起きてください。あなたの力が必要です」


 すると、車椅子の上で死んだように動かなかった比丘尼の身体が急にビクンと跳ね上がった。項垂れていた顔が徐々に前を向く。

「目の前にいる男はあなたの復活を阻止する敵です。排除してください」

 御子柴の台詞が終わると、比丘尼は手で車椅子を前に進めた。落ち窪んだ眼が、秋人をまっすぐ捉えている。


「アァァアアァァーーーー!」


 咆哮とともに、比丘尼は身体を前のめりにして秋人に手を伸ばした。

 秋人は咄嗟に後ずさりして間合いを取ったが、比丘尼の半身はさらに大きく前にせり出す。


 ――ぼとり。


 その瞬間、何か大きな塊が床に落ちた。

 塊は床の上をもぞもぞと這いまわり、やがて声を発する。


「アァァアア……アアァァ」


 それは比丘尼の上半身だった。

 花柄の寝間着を纏った比丘尼は腕だけで床を這い回り、あたりに何か体液のようなものが撒き散らしている。

 理緒は恐怖で全身の力が抜けそうになった。

 それを御子柴ががっちりと拘束し、そのまま部屋の端に移動する。

「最近は、移植が上手くいかないんだ。折角パーツを繋げたのに、すぐ腐ってあんな風に分離してしまう。比丘尼さまの体力が落ちているのもあるんだろうが、パーツを『取った』女子高生がみんな不健康で、軟弱極まりないせいだ」

 車椅子の上には座っていたときと同じ姿で下半身が残されている。

 上半身と繋がっていたであろう部分はぐちゃぐちゃになっていて、赤黒い肉片と骨が覗いていた。

 思わず顔を背けた理緒の視界に入ったのは、御子柴の嘲笑だ。

「森澤のクラスメイトの身体は、一週間ほどくっついていた。よく持った方だと思うぞ。その前に繁華街で見つけた女子高生の下半身は、移植して二日で駄目になった。体質が合わなかったのかもな。……森澤なら大丈夫だ。きっと、比丘尼さまの器になれる」

「やっ……」

 生温かい吐息が理緒の耳元にわざと吹きかけられた。

 御子柴は嫌がる理緒の反応を楽しむように同じことを数度繰り返したあと、再び比丘尼に号令を出す。


「さあ比丘尼さま。今度こそ、目の前にいる邪魔な奴を始末してください」

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