第八章 正体5

 御子柴の忍び笑いは冷淡な嘲笑へと変わった。

「いいか黒崎。むしろ、お前が今ここにいることは俺にとっては好都合でしかない。森澤を処理したあと、俺はお前を殺すつもりだった。黒崎秋人は一連の事件の犯人として自殺する――そういうシナリオだからな」

「……シナリオって、どういうことですか」

 拘束されている立場も忘れて理緒は思わず聞き返した。

 御子柴はそんな理緒を一瞥しただけで、再び秋人に嘲りの表情を向ける。

「すでに俺の計略は実行に移っている。何度か黒崎の家に猫の死体をばら撒いてやったんだ。黒崎に容疑が向くようにな。効果は絶大だっただろう? 容疑者として警察に事情聴取された感想を、是非聞いてみたいね」

 計略。

 今まで起きていたことは全て御子柴の計略だったのだ。秋人はそのせいで警察に通報された。秋人がみんなに疑われたのも御子柴のせいだ。

 おそらく、明日香の死が明らかになったあの日、秋人が血で染まっていたのも……。

「御子柴先生、どうして! ひどい……。何で黒崎くんにそんなこと……っつ」

 抗議しようとした理緒の首に、御子柴の腕が強く喰い込んだ。

「森澤。優しさも度が過ぎると滑稽でしかないぞ。黒崎は庇うような相手じゃない」

「そんなことありません……っ」

 御子柴はさらに理緒を絞め上げる。

 視界の端で、秋人が動いた。

「森澤さんっ!」

「来るな! もっと絞めるぞ」

 御子柴の一喝で秋人の身体が硬直した。

 理緒の耳元で、御子柴が囁く。

「森澤。そろそろ教えてやろう。黒崎秋人の本性を……」

「本性……?」

 理緒は息も絶え絶えになりながら呟いた。目の前では、秋人が張り詰めた表情を浮かべている。

 御子柴はゆっくりと口を開いた。


「黒崎秋人。七年前に、俺とお前は一度会っている。覚えているか」


「……!」

 秋人の瞳が驚愕で見開かれた。

「まあ、あのときは顔を隠していたからから覚えているわけがないな。だが俺は、今でも七年前のあの日のことをしっかり記憶している。だから俺のいる高校に黒崎が入学してきたときはちょっと驚いたぞ。……七年前、お前は確かに俺に依頼した。母親を殺せ――とな。依頼人とそれを受けた者。互いの関係はイーブンだ。そう思うだろう、森澤」

「嘘……」

 理緒の喉の奥から辛うじて出てきた声は酷く掠れていた。秋人は御子柴の言葉を否定せず、ただ俯いている。

 御子柴はそんな二人の様子を見て、満足そうに一つ息を吐いた。


「七年前、母親を殺してもいいと言ってくれたことに感謝している。お陰で気分よく新鮮な腕を手に入れることができた」


 理緒は息を呑んだ。

「腕……」

 七年前、秋人の母親は御子柴に殺されて、腕を切り取られた。

 今までの話で、現場から消えた腕の行先を推測することができる。

 ……秋人の母親の腕は、比丘尼の身体に移植されたのだ。

 御子柴は理緒の耳元で、吐息まじりに囁いた。

「どうだ森澤。これでもまだ黒崎を庇うか。黒崎秋人は母親の死を願う残忍な男だ。黒崎が望んだから、俺は望み通り殺してやった。……奴のせいで、母親は死んだんだ」

 七年前に御子柴と秋人の間で何があったのか、今の会話だけでは理緒にそのすべてを判断することはできない。

 ただ、秋人はまだ何も話をしていない。

 秋人の話を聞かないうちに、勝手に失望するのは嫌だと思った。それをしてしまったら後悔する。

 背中を向けて逃げてしまったあの日のように。

「私は、黒崎くんのこと、ひどい人だとは思いません……」

 理緒がそう言うと、理緒の首に絡みつく御子柴の腕がピクリと動いた。

「なぜだ」

「七年前、黒崎くんはまだ十歳です。きっと、何か事情が……」

「黒崎が自分の母親に対して『死ね』と言ったのは事実だ」

「だとしても、だとしても……私はまだ、黒崎くんの話を聞いていません!」

「話を聞いてどうなる。母親を死に至らしめたのは黒崎だ。黒崎は母親を殺した」


「知りたいんです。黒崎くんが何を考えていたか。――それに、私はもう分かってる。黒崎くんが、本当は優しい人だって!」


 ありったけの思いを込めて、理緒は叫んだ。

 御子柴は一瞬たじろいだように瞬きをしたが、すぐに嘲笑する。

「森澤、目を覚ませ。どう言い訳をしても、黒崎秋人は人殺しだ」

「いいえ。殺したのは御子柴先生です。黒崎くんのお母さんも、明日香ちゃんも……。先生はあの車椅子に座る女の人を道具のように使って……つっ」

 首が一瞬きつく絞め上げられ、理緒はそれ以上声を出すことができなくなった。

「黙れ。黒崎秋人はどうしようもない奴だ。こんな奴は犯人として自殺するのが相応しい」

「違います。黒崎くんは本当は……」

 理緒が御子柴の腕の中で否定しようとしたとき、横から別の声が飛んだ。

「もう、いいよ」

 秋人の声だった。

 振り向くと、どこか寂しそうな眼差しが理緒を捉えている。

「もういいんだ、森澤さん。僕は認める……」

「黒崎くん……そんな……お母さんを殺しただなんて……」

 まだ否定しようとする理緒に向かって、秋人は首を横に振ってみせた。

「僕は七年前のあの日、確かに母を殺してくれと口にした。御子柴先生はそれを実行してくれただけだ。僕が殺したんだと言われても仕方がない」

「黒崎くん……」

「森澤さん、ありがとう。僕の話を聞こうとしてくれて。……これが真実だよ。僕のせいで母が死んだということを、否定してはいけないんだ。僕はこれを、一生背負って生きて行くしかない。……でも」

 そこで一度口を噤むと、秋人はきりりと表情を引き締めた。


「だからこそ僕は、もう誰にも死んでほしくないと思った。大切な人がいなくなるのを黙って見ていられなかった。だから、ここに来た」


 秋人は理緒と御子柴の方に歩み寄り、理緒の前に手を差し出した。

「一緒に逃げよう、森澤さん」

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