幕間三 悠久ノ檻4
山を下りたリンは再びあちこちの村を渡り歩きながら暮らした。
なるべく目立たぬようひっそりと暮らし、化け物と言われないうちに居所を変える生活だった。
決して心休まる暮らしとは言えない。よそ者と言って迫害されたり、追剥に逢ったこともしばしばある。そんな時は、与吉やヤエと別れたときほど辛いことはないと言い聞かせ、また歩いた。
気が遠くなるほど長い時がリンの上を通り過ぎた。膨大な時間はリンにもほんの僅かずつ年を取らせた。だがどんなに時を経ても、絶対に忘れられない記憶が一つ、リンの身体に刻みこまれている。
リンの舌の上には、ヤエの身体から削ぎ取って食べた肉片の感触がいつまでも残っていた。ヤエの亡骸と別れたのち、リンは様々な食べ物を口にしたが、何を食べても味がしなかった。
――食べたい……食べたい…またあの肉を……。
リンは時折、あのとき本能の赴くままに味わった甘美な肉の食感思い出し、記憶の中でいつまでもそれを咀嚼し続けた。
あるとき、リンは多くの飯炊き女たちと、大きなお屋敷の炊事場で働いていた。女の一人がリンに訊いた。
「あなたは今まで食べた物の中で、何が一番美味しかったの?」
リンは微笑んで答えた。
「魚……いえ。人魚の肉です」
リンはもう二度とヤエの肉を口にすることはできない。
多くの時代を過ごして、多くの者と死に別れた。誰かと別れる度に、リンは一人で時の流れに取り残されているような感覚に陥る。そういうとき、自分の命の終わりについて考える。
与吉とヤエに助けてもらった命だが、恩返しには十分すぎるくらい長く生きた。これ以上生きていても、生きる分だけ悲しみが重なっていく。与吉もヤエもいない孤独な時間はいつまで続くのだろうか。
リンにとって、この世界は永遠に続く牢獄だった。
だが、運命はどこまでも、リンに生きることを強いる。胸に刃を突き立ててみたが、傷はみるみる塞がった。着物の帯で首を括ってみても、気を失う前に潰れた喉が元に戻ってしまう。そして、そのあいだにも多くの者がリンの傍を通り過ぎ、輪廻の輪に戻っていく。
悠久の時をたった一人で歩きながら、リンは次第にこう思うようになった。
――誰か殺して。わたしを殺して。
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