幕間三 悠久ノ檻2


 化け物。

 リンにはその言葉の意味が痛いほどよく分かる。

 長い間生きてきて、自分が他の人と違うことはとうに気付いていた。誰もがリンを置いて先に墓に入り、土へと還ってゆく。

 だがみんなが早く死んでいくのではない。自分が長く生きすぎているのだ。

 おかしいのは、自分の身体なのだ。

 リンが一処に留まらずに移動を繰り返してきたのは、子供のままの自分の面倒を見てくれる者を探すためであったが、あまりにも長い間歳を取らないリンを回りの者が訝しがるせいでもある。

 あとに生まれた者より倍も長く生きているリンを見て、皆いつしか、この役人と同じことを言うのだ。


 ――この化け物め!


 その言葉はリンの胸を締め付けた。

 ぐっと唇を噛み締めていると、与吉がかぶりを振って叫ぶ。

「長く生きていても、歳を取らなくても、構わねぇ。リンはおれたちの娘です! おれたちが死ぬまでは、おれたちで育てます!」

 与吉はきっぱりそう言い切ると、瀬田をキッと見上げた。ヤエはますます強くリンを抱き締める。

 瀬田は二人を見て一瞬面喰らった顔をしたが、すぐにまた皮肉な笑みを浮かべた。

「まあ、そう睨むな。化け物だからとてって忌み嫌っているわけではない。むしろ、領主さまはリンを崇めておられるのだぞ。不老長寿の生き証人としてな」

「生き証人……?」

 眉を顰める与吉に対し、瀬田は大きく頷いた。

「そうだ。不老長寿こそ領主さまの望み。領主さまは常日頃、不老長寿のための秘策を求めておられる。そしてつい先ごろ、海を渡った先の異国からある書物を取り寄せた。すると、中に驚くようなことが書かれていた。仙人のように長生きできるとっておきの策だ。それを実行するために、リンが必要なのだ」

 瀬田の視線がリンに飛ぶ。

 その表情は、残酷そのものだ。

「かの国では長寿の妙薬として人間の臓物を用いるそうだ。五臓六腑を身体から取り出し、それぞれ九十九日の間干してから磨り潰して呑む。さらに、実際に長い時を生きている者の臓物を用いれば、長寿を超えて不老の効果をも発揮する。……いるではないか。そこに。全く歳を取らない娘が」

 みなの視線がリンに集まっていた。

 瀬田は自ら与吉の前に膝を折ると、与吉の顔を見据えながら冷たい声で言い放つ。


「与吉。リンを年貢の代わりに差し出せ」


 与吉はすぐさま首を横に振った。

「嫌でございます。それだけは……」

 与吉の言葉に重ねるようにヤエが叫んだ。

「嫌! 臓物を取るなんて、そんなことしたら、リンが……」

 その先の言葉をヤエは口にしなかった。リンはヤエの胸に顔を埋めながら、その鼓動が強く速くなっていくのを感じていた。

 瀬田は、どんと足を踏み鳴らして三人を睨みつけた。

「黙れ。ならば年貢を今すぐ納めろ。……無理だろう? 先ほど言ったとおり、本来ならば与吉はこの場で打ち首なのだ。だが娘を……いや、化け物を差し出せば赦すと言っている。どちらが賢明かよく考えよ」

 瀬田の提案は単純明快であった。与吉の命を差し出すか、リンの命を差し出すか。二つに一つである。だが単純さは深刻さを浮き彫りにする。背負った運命の重さを知り、与吉夫婦は打ちひしがれた。

 ヤエの腕の中で、リンの頬に一筋の涙が伝った。

 与吉とヤエは、おかしな自分を娘だと言ってくれた。化け物ではなく、娘と……。

 それだけでもう十分だと思った。自分はもう、十分長く生きたのだ。

 リンはヤエの腕を振り解くと、瀬田の前に平伏した。

「お役人さま。どうぞあたしを領主様の元へお連れ下さい。あたしで代わりになるなら喜んで参ります」

「リン!」

 与吉とヤエがリンの元へ歩み寄り、土下座をやめさせようとした。しかしリンは土間に額を押し付けたまま頭を上げなかった。瀬田はその様子を見ながら高らかに笑った。

「見ろ与吉、娘もこう申している。さらに良いことを伝えておこう。領主様は、リンを差し出せばお前たち夫婦に褒美を取らせ、畑仕事から一生解放しても良いと仰っている。考えてみるまでもないだろう。その娘と一緒に暮らしていても良いことなど無い。何せ、化け物なのだからな」

 次の瞬間、与吉が弾かれたように立ち上がった。

「違います! リンは化け物じゃない!」

 与吉は家の出入り口に立てかけてあった鍬を手に取ると、それを大きく振りかざした。

「リンはおれたちの娘です!」

 ぶん、と空を切る音がした。与吉の鍬が役人の足元に打ち下ろされる。役人はのけぞるようにそれをかわすと、土間に倒れ込んだ。与吉はすかさずヤエとリンを振り返った。

「ヤエ、リン。お前たちは逃げろ!」

 土間に平伏していたリンの身体がものすごい力で引っ張り上げられた。リンが横を見上げると、ヤエがリンの腕を掴んで力強く言った。

「一緒に逃げるのよ、リン」

 ヤエとリンは家の入口に向かって駆け出した。ところが二人の前に、瀬田の後ろに控えていたお付きの者が立ち塞がる。

「二人を逃がすな!」

 土間に倒れ込んでいた瀬田は吐き捨てるようにそう言うと、ゆっくり立ち上がった。与吉は鍬を地面から抜こうともがいている。そんな与吉の前で、瀬田は腰に差した刀に手を掛けた。

「おのれ! 百姓ごときが狼藉を働くとはけしからん!」

 瀬田の刀が与吉の身体を貫いた。与吉は自分の胸に刺さった刃を驚愕の眼差しで見つめながら、膝からストンと地べたに崩れ落ちていく。

 夫の姿を見て、ヤエが引き絞るような悲鳴を上げながら駆け寄ろうとした。だが与吉の震える声がそれを制した。

「ヤエ……。リンを連れて逃げろ」

 夫婦はほんの僅かな時間、互いに見つめ合った。ヤエはそれで夫の思いを全て感じ取ったようだった。

「リン、おいで!」

 ヤエに呼ばれ、リンはそちらへ駆け寄った。ヤエは二人の前に立ちはだかる付き人たちを突き飛ばして道を開ける。

「させるか!」

 瀬田が叫んで、与吉の身体に刺さる刀を引き抜いた。ゆっくりと地面に沈んでいく与吉を見て、ヤエの身体が一瞬硬直する。血に塗れた刀が、今度はヤエに向かって振り下ろされようとしていた。

「あぶない、おっ母!」

 リンはヤエと刃の間にその身体を投げ出した。鋭い刀が自分の着物と身体を引き裂いていくさまを、リンの目は仔細に捉えていた。

「リン!」

 ヤエの絶叫とともに、リンの身体から血が柱のように噴き出した。

 だが皆の見ている前で、奇跡のような出来事が起きた。深く斬りつけられたはずの傷口が、上の方からみるみるうちに閉じていったのだ。

 その場にいた誰もがリンの姿を驚愕の眼差しで見ていた。リンの着物は確かに縦に斬られており、血がべったりと滲んでいる。それなのに、身体には瘡蓋一つ残っていない。

「……化け物だ……」

 瀬田が血塗れの刀を取り落して後ずさりした。そして震える指でリンを指差しながら絶叫した。

「化け物だ! 引っ捕らえよ!」

 ヤエがリンの手を強く引いた。

 二人は後ろを振り返らず、一目散に外に飛び出した。

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