第七章 後悔1






 明日香が亡くなってから一週間が過ぎた。

 繁華街で起きた唐崎夕子の事件、および頻発している小動物の死体遺棄事件は、相変わらず進展のない状態が続いている。

 明日香の件も同様だった。長い時間をかけて検視が行われたが、重要な手がかりは見つからなかったらしい。

 未だに犯人が分からぬまま、理緒のクラスメイトは今日、荼毘に付される。故人の親族の他、葬儀に参列したのはT高校の職員と、特に親しくしていたクラスメイトだった。

 理緒も真紀とともに会場を訪れ、明日香の遺影を前に焼香の列に並んだ。

 秋人のことを擁護するような発言をして以来、真紀とは少しぎくしゃくしていたが、結局すぐに仲直りした。これ以上揉めるのは亡くなった明日香に申し訳ないと思い、理緒は秋人の名前を口にするのを避けている。

 その秋人は、あれから一度も学校に登校していなかった。今日の葬儀にも、顔を見せていない。

 名前こそ出していないものの、理緒は信じていた。秋人が人殺しなどではないと。

 彼のために少しでも何かしたい――そう思い、この一週間、市内の図書館に通って古い新聞を読み漁っている。

 手始めに調べたのは、七年前の件……秋人の母親が惨殺された事件についてだ。

 理緒自身、リョウに聞くまでこの事件を知らなかったのだが、調べてみて『それも無理はない』と納得した。事件について報じているのは地方紙の実だったのだ。それも、片隅にほんの少し記事が載っている程度。

 同時期に大きな政治献金事件が起きていたせいもあるが、片田舎の殺人事件など、もともとこの程度なのかもしれない。

 インターネットでもほぼ同じようなことしか調べられなかった。事件の概要は分かったが、新聞を含め、第一発見者の秋人については触れていない。当時秋人はまだ小学生だったので、配慮がなされたのだろう。

 そう――七年前、秋人はほんの子供だったのだ。

 だからこそ、少なくとも彼は母親を殺していないと理緒は思う。

 新聞やインターネットの生地に寄れば、遺体の腕は鋭利な刃物で綺麗に切断されていたという。

 そんなことが、当時の秋人にできただろうか。

 人の身体を切り刻める刃物が、たやすく手に入るはずがない。十歳の子供にとっては大人を殺めること自体困難なのだ。それに、母親の遺体から切り離した腕をどこかに隠すのだって大変である。

 もちろん、警察は欠損した腕を捜索しただろう。だが、それはまだ見つかっていないようだった。

 それなりに重量があり、放置しておけば腐敗が進むものを、一体どこに隠したのか……。

 一番分からないのは、犯人がなぜ秋人の母親の腕を切り取って持ち去ったのか、という点だ。

 秋人の母親の件だけではない。先日繁華街で起きた事件と今回の明日香の事件では、それぞれ下半身が切られて持ち去られている。現場から消えた身体の一部は、どこへ行ったのだろう。

 まさか、遺体の一部をコレクションしているとでもいうのだろうか……。

 そうなると、ますます秋人の犯行だとは思えなかった。

 理緒は今も、彼と一緒に星空を眺めたいと願っている。血塗れの……あんな姿を見てしまったあとでも……。

「はぁー。やっとお葬式が終わったわねぇー」

 理緒の思考を断ち切ったのは、どことなく軽薄な女性の声だった。

 ここは斎場のエントランスだ。たった今明日香の葬儀が終わったばかりで、そこかしこに立ち話をする人たちの姿が見える。

 場に似合わない声の主は年配の女性だった。もう一人、同じ年頃の婦人とお喋りをしているようだ。二人とも葬儀の参列者だろう。

「明日香ちゃん、綺麗なお顔をしていたわね。……実はちょっと心配してたのよ。遺体が切り刻まれていたって言うから」

 心配していたというわりに、女性の顔には笑みが浮かんでいる。

 相手の婦人も同じ顔つきだった。

「遺体が見つかったのは道から外れたところにある竹藪なんでしょう。あんな場所で死んでしまうなんて、明日香ちゃんかわいそうね。まだ若いのに」

「本当よね。でも、今ってあちこちで殺人や猫殺しが起こってるでしょう。夜道には気をつけろって言われてたのに、明日香ちゃんはなぜ竹藪みたいなうら寂しい場所にいたのかしら。自分ら出向いたんだとしたら、悪いけどちょっと不用心よね」

 ひどい……理緒は思わず歯噛みした。

 ここに真紀やリョウがいたら怒って話に割って入ったかもしれないが、二人はまだ明日香の遺体に寄り添っている。葬儀会場で喧嘩をするのは忍びなく、代わりに拳握り締めて耐える。

「その件なんだけどね、変な噂を聞いたのよ。明日香ちゃんは誰かに呼び出されて竹藪に行ったんじゃないか……って」

「誰かって、誰よ」

「……あらやだ、何も聞いてない? 容疑者の男の子よ。明日香ちゃんのクラスメイトなんだけどね、猫の死体遺棄の件で警察に呼ばれたんですって。噂では、その子が明日香ちゃんを竹藪に呼び出したんじゃないかって……。あんなところ、そうでもなきゃ行かないでしょう」

「待って。容疑者が捕まってるの? 全然聞いてないわ。どこの男の子よ」

「捕まってるわけじゃなくて、事情聴取だけですぐ帰されたらしいの。最初に猫の死体が見つかった神社、知ってるでしょう。あの近所にある家の子よ。ほら、だいぶ前に、女の人が殺されて腕が切られてたって事件あったじゃない。その被害者の家の息子さん……」

「被害者の息子さん? なら遺族ってこと?」

「それが、当時から母親を殺したのはその息子さんじゃないかって言われてたのよ」

「嘘―、やだ。全然知らなかったわぁ。報道されてないわよねそんなこと」

「当時はまだ十歳にくらいの子供だったし、証拠が揃わなかったのよ。だから報道しなかったんじゃないの? その男の子って何だか暗くて不気味な子なの。猫を殺してるんじゃないかって言われても頷けるような……。猫だけじゃなくて、明日香ちゃんもその男の子がやったんじゃないのかしら。母親を殺したみたいに」

「……そう言われると納得しちゃうわねぇ」

「それにもう警察から帰ってきてるはずなのに、今日はここに来てないのよ。やましいことがないならクラスメイトのお葬式に顔を出したっていいじゃない?」

「やだわぁ。そんな子を事情聴くだけで帰すなんて、警察ったら無能すぎる。怖いわねぇ。早く捕まえてくれないかしら」

 それ以上は聞いていられなくなって、理緒はエントランスを離れた。

 違うのに……黒崎くんは犯人じゃないのに……無責任に広がっていく噂を食い止められない自分が情けない。

 もう噂話は聞きたくなかった。誰もいない場所を探して歩いているうちに、理緒はいつの間にか建物の裏に回り込んでいた。そこは駐車場になっており、車が何台かあるものの人影はない。

 少しほっとして、肩の力を抜く。

 空を見上げたら、秋人と星を見た日のことを思い出した。


『人間なんて……簡単に死ぬんだ』


 一人で帰ろうとした理緒を止め、秋人は真剣な顔でこう言った。

 今になって思えば、あの言葉は母親を突然亡くした経験から出てきたものだろう。そして理緒が『そう』ならないように、秋人はちゃんと、家まで送り届けてくれた。

 その気持ちが嬉しかった。だがお礼も言えないまま、秋人とはそれっきりになっている。


『……僕は自分の母親を殺したんだ』


 彼と最後にあった日、そう言われて理緒は背を向けてしまった。逃げてしまった。

 本当はあのとき、待つべきだったのだ。秋人の言葉を。

 きっと、血に染まっていたのには何か深い理由がある。ほんの少し待つだけでよかった。秋人は待っている者がいれば、必ず口を開いてくれる。

 そのことを一番よく知っているのは理緒だ。

 どうしてあのとき、逃げたりしたんだろう……。

 この一週間、このことをずっと悔やみ続けている。悔やんで悔やんで、同じ結論に辿り着く。


 ――私は、黒崎くんにもう一度会いたい。

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