第六章 疑惑2

 理緒と真紀が振り返ると、背の高い男子生徒が立っていた。

 真っ青な顔で佇んでいたのは、殺された明日香の恋人、リョウだ。

 リョウは一学年上の三年生だが、今は教師が全員バタバタしているため、他の教室に足を踏み入れても咎められない。リョウ以外にも、違うクラスの生徒の顔がちらほら見受けられる。

「リョウ先輩、来てたんですか! 今日は学校、お休みかと……」

 真紀が理緒を押し退けるようにしてリョウに歩み寄った。

 被害者・明日香の彼氏であるリョウの登場に、教室内がざわついている。

「俺もさすがに休もうかと思った。けど黒崎が怪しいって話を聞いて、いてもたってもいられなくなったんだよ。学校に来りゃ黒崎……明日香を殺した犯人のことが分かるかと思ってな。来て正解だった。間違いない、犯人は黒崎だ」

 リョウは泣き腫らしたのか真っ赤な目をしていた。その顔に、今は悲しみよりも強い怒りの感情が浮かんでいる。

「何か分かったんですか?」

 真紀が尋ねると、リョウは深く頷いた。

「俺は今朝登校してから、黒崎と同じ小学校だったっていう奴を探して、昔の話を聞いてきた。黒崎は昔、ある事件に巻き込まれてる。あいつの母親は七年前に亡くなってるんだ。……誰かに、殺されたんだよ」

 リョウはそこで一度口を噤んだ。

 教室にいるすべての生徒が言葉の続きを固唾を呑んで待つ中、話が再開される。

「黒崎の母親の死体は『完全』じゃなかった。身体の一部が切り離されて、持ち去られたんだ。――いくらなんでも似すぎてるだろ、今回の事件に!」

 一瞬の間を置いて、教室内がどよめく。

 そこからはリョウの独壇場だった。

 秋人の母親が殺されたのは今から七年前。秋人が小学校四年生のころだ。

 ある日突然、秋人の母親は行方不明になった。家族は近所の者たちと協力して捜索をしたが、結局生きた姿で再会することはできなかった。

 遺体が発見されたのは翌朝。黒崎家の裏にある木立の中だ。明らかに何者かに殺されており、さらに遺体からは『両腕』が切り取られて持ち去られていたという。

 遺体の第一発見者は、当時十歳の秋人だった。

「死体を発見した黒崎は、通りかかった大人にそのことを話したらしいぜ。すぐに身内と近所の連中が駆けつけて、警察の到着を待った。その間、黒崎は震えながら、ブツブツ同じことを呟いてたそうだ。あいつ、何つったと思う?」

「黒崎は何て言ってたんですか、リョウ先輩」

 真紀が尋ねると、リョウの顔にひきつった笑みが浮かんだ。

「『ぼくがお母さんを殺した』。あいつはそう言ってたらしいぜ。ブツブツブツブツ、ずーっとな。その場にいた奴らが全員、黒崎の怪しい言動を認識してる」

 母親を殺した――秋人がそんなことを言っただなんて、信じられない。

 理緒は足元から凍りついていくような感覚に襲われていた。そのままだと絶望に負けそうで、胸を押さえて必死に呼吸を整える。

「それって、自白じゃん……」

 真紀が口元に手を当てて呻いた。

 リョウは忌々しい顔つきで頷く。

「ああ。自白そのものだ。黒崎は警察でも『自分が殺した』って言ったんだとよ。ただ、時々『やっぱり違う』だの何だの、曖昧な証言を繰り返した。まるで捜査を攪乱するみたいだろ? 結局、当時の黒崎がまだ小学生だったってのもあって、問題の自白は死体発見のショックで片づけられちまったらしい」

「じゃあ黒崎のお母さんを殺した犯人は、まだ捕まってないんですか」

 真紀の顔が引きつった。

「そういうことだ。だが、自白してんだぜ。黒崎が犯人に決まってるだろ。そもそもあいつ、事件の前から怪しかったみたいだ。近所の連中は、黒崎と母親が言い争う声を聞いてた。黒崎はものすごい剣幕で母親に言ったそうだ。……『死ね』ってな」

「リョウ先輩、それって……」

「黒崎には母親に対する『殺意』があった。その母親は殺されて、死体を切り刻まれてる。……そして、明日香もほぼ同じ殺され方を……」

 悔しそうに顔を歪めるリョウ。

「殺人鬼だ!」と秋人を糾弾する男子の声と、女子の悲鳴が教室内に響き渡る。

 理緒は『死ね』という言葉の重さと鋭さに、動けなくなっていた。

 おかしい。そんなはずはない。秋人は慎重すぎるくらい言葉を選ぶ。そんなにひどいことを、言うだろうか……。

「黒崎のお母さんが死んだとき、警察はどうして黒崎を捕まえなかったんですか?! ちゃんと罰を与えておけば……明日香の件は防げたかもしれないのに! 犯人を、野放しにするなんて!」

 真紀はとうとう、秋人の机を蹴り飛ばした。

 横からリョウも足を延ばし、とどめの一撃を加える。

「黒崎の野郎は母親の事件のあと突然性格が変わって、誰とも口を聞かなくなっちまった。今もあのザマだ。周りではしばらく疑いの声が上がってたらしいが、本人がダンマリ決め込むことで事件は風化した」

「それって黙秘権ってやつ?! 卑怯すぎる。黒崎の奴!」

 しばらく、教室内に机を蹴り飛ばす音がこだましていた。

 実行しているのは真紀とリョウだが、理緒を除いたほぼ全員の思いが、ある一定の方向へ傾いているように感じる。

 

 ――黒崎秋人は殺人鬼。


 何かの間違いだ……。理緒は目を閉じて首を振り、思い浮かんだ言葉を必死でかき消した。

 そんな理緒の頭上からリョウの言葉が容赦なく降りかかる。

「黒崎の怪しい行動はまだあるぜ。あいつはよく、深夜にうろついてるのを目撃されてる。黒いパーカーを羽織ってることが多いそうだ。黒いパーカー、黒いフード。ここまで言や分かるだろ?」

 理緒はハッと息を呑む。

 神社に猫の死体が遺棄された事件では、黒いフードの男が目撃されていた。

 そして理緒も、実際に会っているのだ――黒いフードのついた服を着た秋人に。

 嫌な予感ばかりが脳裏を過り、気が付くと足がカタカタと震えていた。理緒は自分の身体を抱き締めるようにして、それ以上震えないように耐える。

「黒崎は人殺しだ!」

「人殺し!」

 誰かの一言がきっかけとなり、あたりがたちまち人殺しコールで溢れ返る。

 理緒はいたたまれなくなり、耳を塞いで教室を飛び出した。

 それしかできなかった。

 湧いてくる疑いの気持ちを振り落とすのに、精いっぱいだったから……。

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