幕間一 夜ノ神社2
原島は驚いて、一歩後退しそうになった。だがすぐに踏みとどまる。
所詮、茂みが揺れているだけだ。三年以上住んでいてこの辺が田舎なのは重々承知している。どうせ小動物か何かだろう。
犬か猫の可能性が高いが、何かもっと珍しい動物が見られるかもしれない。もしそうだったら合コンで競馬以外の話のネタができる。まさかこの期に及んで、茂みに隠れているのが馬ということもないだろう。
原島は上に着こんだスウェットパーカーのポケットからスマートフォンを取り出すと、画面をタッチして液晶を光らせた。それを懐中電灯代わりに、足音を忍ばせながら茂みに近づく。
――がさり。
再び茂みが音を立てて揺れた。
同時に、奥から何か球のようなものが転がり出てくる。
それは原島の靴にぶつかって制止した。握り拳大の物体だ。それが何か確認するために、足元へスマートフォンの明かりを向ける。
最初は、黒いゴムボールだと思った。
だがそれは細かい黒い毛で覆われていて、二つの三角の突起のようなものが出ている。
「……ひっ!」
それは動物の……猫の生首だった。
声にならない叫びが、原島の狭い喉を通り抜ける。
腰が抜けるのは踏みとどまったが、提げていたコンビニ袋が手から滑り落ちてしまった。大量の冷や汗が背中を流れ落ちる。
球のように転がり出てきた猫の首は、目を固く閉ざしていた。だが口はだらりと開いており、そこから真っ赤な舌と牙が覗いている。全体的に白っぽい毛で覆われていたが、途中でそれが途絶え、赤黒い肉が見えた。
そこから下が、ぶった切られているのだ。
切断面から滴っているのは、真っ赤な液体……。
「ぐっ……」
グロテスクさにえずいた原島の鼻を、おぞましい臭気が襲う。
咄嗟に後ずさりすると、今度は左のかかとに何か柔らかい感触が――
「うわぁあぁぁぁっ!」
自分の足の下にあるものを認識して、原島は今度こそ腰を抜かした。
踏み付けていたのは、やはり猫だった。今度は腹から下が無い。断面は艶々と赤く、そこから内臓が飛び出している。
「何だよ……何なんだ、これ……」
腰から地面にへたり込み、原島はガクガクと震えた。
――がさり。
その瞬間、茂みが揺れ動く。
振り向くと、長細い影がゆらゆらと蠢いていた。『それ』は茂みから出てきて、ゆっくりと原島に近づいてくる。
しだいに全体像がはっきりしてきた。『それ』は何やら長めのワンピースのようなものを身に付けている。髪の毛が時折風になびき、身体は鳥ガラのように痩せていた。
「ババァ……か?」
原島は目を凝らし、近づいてくる女を観察した。
皺だらけの顔。枯れ木のような右手、そして、同じようにガリガリの左手……。
そこで視線が止まる。
女は左手に、何かを握っていた。だらりとしていて、毛むくじゃらの……。
「猫……?」
背筋にぞくりと悪寒が走る。
女に首根っこをつかまれた猫は四肢をすっかり弛緩させており、生きているようには見えなかった。周りに散らばる猫の死体と、女の異様な雰囲気が原島の恐怖を煽る。
とうとう歯の根がカチカチと音を立てはじめた。だが、腰が抜けていて一歩も動くことができない。
『カァァァァァーッ』
次の瞬間、女は猫を顔の高さまで持ち上げ、くわっと口を開けた。
そのまま、ダラリと伸びきった猫の胴体に歯を付き立てる。
ぐちゃっ……ぐちゅ……ぶちんっ
何かをすする音、そして肉を千切る音が不気味に響く。
女の口元からじゅるじゅると液体がしたたり落ちていた。
喰ってる。喰ってるんだ、この女。猫を……。
原島は息を呑んだ。鉄錆の匂いのする空気が、嫌というほど肺に入り込んでくる。
「うわああぁぁぁっ!」
へたり込んでいた原島は、叫び声を上げながら渾身の力で立ち上がった。踵を返し、鳥居に向かって駆け出す。
「……ア……アアアァァァァァァァアアアッー」
背後からそんな、獣のような呻き声が聞こえてきた。
女が貪り食った猫の残骸を放り出し、原島を追いかけてくくる。
「な、何だよ! ば、化け物……来るな。来るなあぁぁぁぁぁっ!」
原島は無我夢中で駆け出した。
いつ追いつかれるかという恐怖で、足がもつれそうになる。
――ずしゃっ。
だがやがて、奇妙な音を捉えた。後ろを振り向くと、女が地べたに這いつくばっている。
転んだのだろうか。
「……アァ……あし……脚」
女は原島の姿を捉えると、這いつくばった姿勢のまま腕を伸ばした。
とても人間のものとは思えない、震えるような低い声だ。
「ひいっ」
原島は再び前を向き、暗闇の中を鳥居めがけて走った。
すると突然、目の前に何か黒いものが立ち塞がった。ぶつかる寸前で避け、よろめく。
目の前に立ち塞がったのは、真っ黒な服に身を包んだ誰かだった。原島より心持ち背が高い男だ。
黒いフードを目深に被り、しっかりと立っていた。あの女のように、奇妙な動きはしていない。
人が来た。助かった……と原島は思った。藁にもすがる思いで、男の腕に飛びつく。
「たっ、助けてください、変な女が……ぐっ」
そこで原島は気が付いた。
鼻腔を刺すような、血の匂い……。
「ひっ……」
黒いフードの男は、右手に『何か』をぶら下げていた。そこから、ぽたぽたと液体がしたたり落ちる。
猫の生首だった。
切断面から滴る血が、原島の服を汚す。
「うわっ、うわぁぁぁぁっ!」
獣のような咆哮が夜の境内に響き渡った。
原島は黒いフードの男を突き飛ばし、後ろを振り返ることなく一目散に駆け出した。
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