幕間一 夜ノ神社1




 原島高志はらしまたかしは左手にコンビニのビニール袋を提げ、右手をズボンのポケットに突っ込みながら夜道を歩いていた。

 十月も半ばを過ぎると夜風が冷たい。自宅アパートから徒歩で五分のところにあるコンビニに行くだけだったが、防寒用にスウェットのパーカーを着こんできて正解だと思った。

 左手に提げた袋の中には、愛飲している発泡酒と煙草、酒のつまみの乾き物が数点、それに買いそびれていた競馬雑誌が入っている。

 普段はしがない会社員をしている原島にとって、唯一の趣味が競馬だった。いや、趣味というにはいささか控え目すぎるほどのめりこんでいる。プライベートのほとんどを捧げていると言っていい。

 持てる愛情をすべて走る馬に注ぎこんでいるため、原島は三十八歳になった今も独身だった。

 だが結婚など二の次だ。そもそも結婚したくとも相手がいない。たまにつれていかれる合コンで、競馬が趣味だと言うと、たいていの女が引いていく。

 仮に結婚できたとしても、女房という生き物は金が絡む夫の趣味を禁止する性質を持っていると聞いたことがある。原島にとって競馬のない人生など監獄同然。少なくとも当分の間は、嫁よりも万馬券がほしい。

 だが、人生をかけて馬に入れ込んでいる割に、肝心の勝率がここ最近上がっていなかった。

 休日の負け具合は平日の顔つきに現れるようだ。仕事の休憩時間、原島が競馬新聞と睨めっこをしていると、同僚たちは「今週も馬にニンジン代払うんですかぁ?」などと言ってからかってくる。

 ここらで一発大逆転したいところだった。

 おあつらえ向きに、今月の末には競馬ファンなら誰もが前のめりになるクラシックレースが控えている。

 原島は今までの負けを一気にプラスにすべく、大勝負を仕掛けるつもりでいた。先ほど購入した競馬雑誌はその意気込みの表れだ。幸い明日は有休を取っているので、今夜は発泡酒ちびちびやりながら気の済むまで雑誌を読み込もうと思っている。

 頭の中を馬の事で一杯にしながら、原島は家までの道のりを進んでいた。コンビニと自宅アパートの中間地点に差しかかったところで、道の左側を見上げる。

 そこには小さな鳥居が立っていた。古ぼけた稲荷神社があるのだ。

 原島は三年ほど前に転勤でこの土地にやってきた。それまでは山手線の中に住んでいたので、越してきた当初は正直田舎すぎると思った。が、今ではそこそこ居心地のよさを感じている。

 一軒だけだが徒歩圏内にコンビニがあるし、バスで二十分も行けば繁華街に出られる。適度に整備された区画の中に緑があり、こんなに奥ゆかしい神社までもが見事に調和していて、実にバランスがいい。住めば都とはよく言ったものだ。

 原島はまっすぐ家に帰る予定を急遽変更して、鳥居をくぐった。先は階段になっていて、それを上がり切ったところに拝殿がある。

 小さな木造の社の前には賽銭箱と鈴が備え付けられていた。この神社はここら一帯の氏神様だと聞いたことがある。

 毎日コンビニに行くたびに鳥居を眺めてはいたが、ここまで足を踏み入れたのは初めてだった。もともとあまり信心深い方ではないので神社に行くのは正月くらいだったが、負けが込んでいる最近の状況が、原島を導く。

 ポケットの中には先ほどコンビニで受け取った釣銭が入っている。賽銭にするには丁度いいだろう。

「よっしゃー、どうか万馬券ください。頼むぜ」

 原島はポケットの中の小銭をすべて賽銭箱に投げ入れ、ガラガラと鈴を鳴らした。パンパンパンと数回手を打ち鳴らす。

 参拝には正式なルールがあり、柏手を打つ回数に決まりがあることは知っていたが、急遽思い立ってここに来たため細かいことを忘れてしまっていた。だがこういうのは気持ちが大事だ。結局のところ、馬をどれだけ愛しているかをカミサマに伝えて、ツキを恵んでもらえるように祈ればいい。

 万馬券……万馬券……呪文のように何度もそう念じてから、原島は社に背を向けた。くぐってきた鳥居を見上げるついでに、何となく空も眺める。

 夜空にはたくさんの星が輝いていた。この辺は緑が多く、ネオン看板などが一切ないので、東京よりも見える星の数が圧倒的に多い。さらに神社の中には灯りが一切ないので、星空観察がいっそう捗りそうだった。原島は改めて、ここはいいところだと思う。

 そのとき、微かな風が頬を撫でた。同時に異質な匂いが鼻を掠める。

 鉄が錆びたような、それに少し酸味がかかったような……ひどくおぞましい匂いだった。原島は風上の方を向き、目を凝らす。

 あたりは真っ暗だったが、端の方に腰くらいまで茂った草むらがあるのが見て取れた。嫌な臭いはそちらの方から漂ってくる。

 もう少し近づくべきか迷っていると、不意にその茂みが大きく揺れた。

 

 ――がさり。

 

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