第四章 二人で見上げた星空3

「あ……」

 下校する直前、明日香が言っていたことを思い出した。

 神社の境内に猫の惨殺死体が遺棄されていたという惨たらしい光景をもろに想像してしまい、背筋がぞくっとする。

「あの神社は街灯がないから、星を見るにはいい場所だった」

 秋人は一瞬寂しそうに目を伏せたが、すぐに理緒の方を見た。

「でも、ここも、広くて星が見やすい。……僕は今日、ここに来てよかったと思う」

「黒崎くん……」

 その瞬間、理緒は秋人が微笑んだように見えた。

 だがその僅かな変化は一瞬で消えてしまった。見間違いだろうか。でも、確かに……。

 息をするのも忘れて秋人の顔に見入っていた理緒を、ピピッという短い電子音が現実に引き戻す。

 発信源は、秋人のスポーツタイプの腕時計だ。

「七時だ」

 デジタルの数字を見て、秋人が呟く。

 星を見ているうちに時間が経っていたようだ。そろそろ夕食が出来るのを思い出し、理緒は立ち上がる。

「私、帰るね」

 すると、秋人も足元のリュックを背負って腰を上げた。

「僕も帰る」

「もう星の観察は終わりなの?」

「うん、今日はもう……」

 と言いつつ、秋人はまだ夜空を見上げていた。

 どこか未練がある仕草に思えたが、理緒が指摘する前に、秋人はゆっくりと歩き出す。

「行こう」

 一人で上ってきた坂道を、今度は二人で下った。

 しばらくするとバス停の標識が見えてきて、揃って足を止める。

 理緒は古ぼけた時刻表を確かめようとして、はたと我に返った。

「あれ、黒崎くんの家って、こっちだっけ」

 言いながら、首を横に振っていた。

「ううん、黒崎くんのお家は神社の近くだってさっき言ってたよね。なら、こっちじゃなくて反対側のバス停の方が……」

 頭の中で位置関係を確認してみたが、間違いない。理緒はこれから来るバスに乗れば帰れるが、秋人の家は反対方向だ、

 だが秋人は方向転換をせずに、理緒の隣に並んだまま言った。

「……あんな事件があったから」

 この台詞を、理緒は昨日図書室でも言われた。今の状況は、あのときと全く同じだ。

 それで察しがついた。

「もしかして、私を送ってくれようとしてる?」

 確かめるように聞くと、秋人ははっきりと答えた。

「できれば家まで送りたい」

 少し前に見た、秋人の名残惜しそうな顔が心に蘇る。

 きっと秋人は、まだ星を見ていたかったのだろう。途中で切り上げたのは、理緒が帰ると言ったからだ。夜道を一人で帰らなければならないクラスメイトを、心配して……。

 秋人の申し出は、素直に嬉しい。

 しかし、理緒は戸惑っていた。本当にこのまま厚意を受けてしまっていいのだろうか。

「……迷惑かな」

 押し黙ってしまった理緒を見て何を勘違いしたのか、秋人がそう言って溜息を吐いた。

 理緒は慌てて頭を振る。

「ううん! 迷惑じゃないよ。でも、黒崎くんの家は反対方向だし、手間がかかるでしょ? 送らなくても大丈夫だよ」

「僕の手間なんてどうでもいい。送りたいんだ」

「ありがとう黒崎くん。でも本当に大丈夫だよ。心配しないで。まだそこまで遅い時間じゃないし、携帯電話も持ってるから、いざとなったらそれで……」

「森澤さん」

 秋人は理緒の言葉を遮った。

 今までで一番強い口調だった。いつもよりラフなセルフレームの眼鏡の奥に、鋭い眼差しがある。

「油断しないほうがいい。何かあってからじゃ遅い」

「でも……」

「頼むから、送らせてくれ」

「黒崎くん……?」

 何か圧倒されるような凄味を感じて、理緒は息を呑む。

 そんな理緒をじっと見つめて、秋人は噛み締めるように言った。


「人間なんて……簡単に死ぬんだ」


 そのとき、眩しい光が二人を照らした。

 思わず目を細めた理緒たちの前に、ヘッドライトを煌々と灯したバスが、唸るエンジン音とともに姿を現した。

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