第三章 穏やかさの裏の悲しみ 5



『全校……とに……。……くじつの……不審……』


 雑音を含んだ不快な音が断続的に聞こえてくる。何か言っているのは分かったが、これでは内容が全く把握できない。

 御子柴は少し顔を顰めた。

「駄目だな。この部屋はスピーカーが故障していて放送が聞こえ辛いんだ。森澤、一旦廊下に出よう」

「はい」

 空になったカップを窓際の台に置き、理緒と御子柴は生物準備室から外に出た。廊下には何人か生徒がいて、みんな立ち止まって放送を聞いている。


『――引き続き全校生徒に連絡する。学区内で不審な事件が起きた。警察からの通達により、生徒諸君の安全を考慮し、本日は速やかに全員下校とする。今現在校内に残っている生徒はただちに活動をやめ、下校するように――』


 廊下にある校内放送のスピーカーから男性教師の声が聞こえた。

 放送室で生徒に向かって呼びかけているのはおそらく教頭だろう。同じ内容がもう一度繰り返され、放送は終了となった。

「理緒! 御子柴先生!」

 そこへ、息を弾ませながら女子生徒が掛けてきた。

 同じクラスの明日香だ。ジャージに着替え、普段は下ろしている髪をポニーテールに結い上げている。

「ねぇ、今の放送聞いた? 全員下校だって! わたし、今から部活に行くところだったのにー」

 明日香はダンス部に所属している。活動が中止になったのが不満らしく、ふくれっ面だ。

 その明日香と、傍らにいる御子柴を交互に見ながら理緒は尋ねた。

「なんで急に一斉下校になったのかな。放送では事件って言ってたけど」

 先ほどの放送では不審な事件が起きたと言っていただけで、詳細はは言及していない。

 先日女子高生が殺されたばかりだというのに、一体何があったのだろう……。

 理緒のその疑問に答えたのは明日香だった。

「知らないの? ゆうべ学校のそばの神社で猫の死体がたくさん見つかったんだよー。どの猫も首が取れてたりして、かなりひどい状態だったみたい。ほら、高台にあるあの神社」

 明日香は神社の名前を口にした。それは理緒もよく知っている場所だった。位置的にはこの学校の真裏にあたり、ちょっとした丘の上に建っている。T高に通う生徒にとっては馴染み深いスポットだ。

 そんな身近な場所で、痛ましい事件があったとは……。

「なんか最近物騒だよねぇ。隣の市で殺人事件があったばかりだし。今回は猫だけど、変質者の仕業かなぁ。かわいそー。それにこわーい。ねぇ御子柴先生、怖いですよねぇ」

 明日香は御子柴の腕に取りすがって「こわーい」を繰り返した。

「ともかく、二人とも放送の通り早く帰った方がいいぞ」

 御子柴は自分の腕に巻き付いている明日香の手をやんわりと外しながら、少し引き締まった口調で言う。

「はーい。じゃあわたし怖いからリョウくんと帰るね。バイバイ理緒。さよーなら、御子柴先生!」

 御子柴から離れた明日香は、軽く手を振るとスキップするような足取りでその場を去っていった。

 廊下にいた他の生徒たちも帰り支度のために散っていく。

「森澤も早く下校した方がいい」

 御子柴は理緒の方に向き直り、そう促した。

「分かりました。コーヒーごちそうさまでした」

「まっすぐ帰るんだぞ」

「はい。じゃあ、失礼します」

 理緒は御子柴に一礼したあと踵を返した。すると、その理緒の背中に向かって声がかかる。

「また、いつでもコーヒーを飲みに来てくれ。森澤なら大歓迎だから」

 顔だけを御子柴に向けて、理緒は頷いた。

「はい」

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