第一章 噂 3
真紀はこういう話を人に聞かせるときが一番輝いて見える。たびたび突飛なことを言うが、自分の好きなことを楽しそうに話す真紀は見ていて気持ちがよかった。
それに、理緒には分かっている。真紀が理緒をこうして誘うのは、事件のことを話すだけではなく放課後のおしゃべりを楽しみたいという目的があるから。
高校の三年間は長いようでいてあっという間に過ぎていく。
事実、高校二年生の理緒や真紀にとって、高校生でいられる時間はあと一年半。他愛のないことを話して過ごす放課後の時間は、どれくらい残されているだろう……。
そう考えると、できることなら真紀の誘いに乗りたいと理緒は思った。
だが今日は、首を横に振らなければいけない理由がある。
「ごめんね、真紀ちゃん。今日は私、委員会の仕事があって……」
「あ、そっか。今日って木曜日か」
高二になってから、理緒は図書委員を務めている。
放課後、毎日交代で図書室のカウンターに座り、貸し出しや返却などの作業をするのが図書委員の主な仕事である。理緒のクラスは毎週木曜日の放課後がそのカウンター当番になっており、今日がちょうどその日だ。
スマホで今日の日付と曜日を確認した真紀は、つまらなそうな顔で足を前に投げ出した。
「あーあ、残念。今日は理緒と口裂け女対策会議しようと思って楽しみにしてたのになぁ」
「真紀ちゃんの話は近いうちにまたじっくり聞かせて。じゃあ私、図書室行くね」
理緒は机の横にある鞄を手に取った。そろそろ四時だ。図書委員の仕事が始まる。しかし立ち上がろうとした理緒を、真紀が止めた。
「待って。ねえ、図書委員ってクラスに二人いるじゃない。今日だけ一人で全部やってもらうわけにいかないの?」
真紀は放課後おしゃべりタイムを諦めきれないらしい。だが、理緒は首を横に振った。
「え、一人に押し付けるなんて、そんなの無理だよ」
「押し付けるんじゃなくて、今日だけ代わってもらうんだよ。大丈夫だって! あたし去年図書委員だったから分かるけど、放課後の仕事はそんなに忙しくないでしょ。ちゃんと当番やってるか先生が確かめに来るわけでもないし」
「でも、一人だけにやらせるなんて……」
「理緒は真面目すぎるよ。なら、今日引き受けてもらう代わりに、相手に何かあった時は理緒が一人でやればいいじゃない。持ちつ持たれつ。とりあえず頼みに行きなよ」
「うーん……」
渋る理緒に対し、真紀はさらに迫った。
「頼んでみなきゃ分からないじゃない。うちのクラスのもう一人の図書委員って、誰だっけ?」
「ああ、それは、えーと……」
理緒は咄嗟に斜め後ろの席を見た。真紀もその視線をすぐに追う。
二人の視線の先にいるのは――このクラスのもう一人の図書委員だ。
「あーそうか。図書委員って……」
その姿を見た途端、真紀がトーンダウンした。かき消えてしまった台詞の後半を、理緒が引き取る。
「うん。もう一人は
黒崎
理緒は秋人の顔をちらりと眺めた。その目元は長めの黒髪で半分ほど覆われている。長い前髪の隙間から、メタルフレームの眼鏡が覗いていた。そのまま、微動だにすることなく黙って席についている。
理緒たちの高校は比較的校則が緩い方だった。そこまで派手でなければ茶髪にしてもパーマをかけてもピアスを開けても、うるさく咎める教師はいない。
だが、秋人の髪は頑ななまでに漆黒だ。目を半分覆い隠すその髪がメタルフレームの眼鏡と相まって、よく言えば真面目すぎて大人しい印象を与える。
最も、理緒や真紀もどちらかというと地味な部類だろう。
真紀はほんの少しだけ髪の色を抜いているが、潔くショートカットにしていてあとは何もしていない。理緒の方は素のままの髪を耳下三センチのボブにしている。
定期的に繁華街の美容院に行き、休日はそれなりに格好を気にするが、これ以上派手にしても硬い中では浮いてしまう。今の感じがちょうどいいと理緒は思っている。
田舎の大人しい高校生という点だけを見れば、理緒と真紀は秋人と共通していると言っていい。だが秋人は『大人しい』をはるかに超越して、異様だった。
ここまで異様な感じがするのは、ひとえにその表情が全く変わらないせいだろう。長い前髪から覗く瞳は常時何もない空間に向けられて固定されている。口は堅く引き結ばれ、その状態から眉ひとつ動かさない。
まさに完璧な無表情だった。
クラスメイトを無作為に選んで「黒崎秋人はどういう生徒か」と問えば、十人中八人は「暗い」と答えるだろう。残りの二人は「怖い」と答える。
秋人を見る度に、理緒はどこか無機質なものを見ているような感覚に陥ってしまう。その姿はまるでロボットのようで、生気を感じないのだ。
ロボットを人間の姿に近づけようとすると、ある一定の部分までは好感度や親しみの度合いが高くなるが、それ超えると急に恐怖感や嫌悪感を抱く場合があるという。
いわゆる『不気味の谷』という現象だ。秋人が放つ印象は、もしかしたらそれに近いのかもしれない。
とにかく、秋人は寡黙な生徒だった。一見して何を考えているのか分からないのはもちろん、話し掛けても変化が生じたことはない。
いくら接触を試みてもレスポンスというものが全くないのだ。授業で教師に当てられた時以外、彼の声を聞いた者はこの学校の中にはいないだろう。
そして秋人は常に一人で行動する。昼休みは昼食をそそくさと済ませると、あとは席に着いたまま勉強をしているか、本を読んでいるかのどちらかだ。部活にも所属しておらず、図書委員の活動のある日を除いて、放課後はすぐに教室からいなくなる。
もちろん登下校も一人。少なくとも学校内に友人がいる様子はない。
別に一人が悪いというわけではないが、問題なのは授業や学校行事などの折に何人かでグループを作らなければならない場合だった。
例えば化学の実験などをグループで行う際、教師がその場で端の席から班を組んだりするが、秋人はそれをまるで無視する。一人でさっさと実験を済ませて席に戻り、あとは素知らぬふりを貫くのだ。
中にはめげずに「一緒にやろうよ」などと声を掛ける生徒もいるが、秋人は眼鏡の奥からちらりと視線を投げてくるだけで、結局すごすごと退散することになる。
成績はいい方らしいが、秋人は学校生活にはまるで向いていない。ここまで来ると、一人が好きというより他人が嫌いと言っていいだろう。
化学の時間に起こったようなことが何度か続き、生徒たちの多くは秋人と一緒に何かをすることを諦めた。
無理に話し掛けて冷たい目を向けられるのも馬鹿らしいので、大抵の者は不必要な接触を避ける。
学校生活を送るうえで必要な連絡を回したりはするが、黒崎秋人という存在はもはや、話の通じない置物のような扱いになっていた。
今では諺をもじって『触らぬ黒崎に祟りなし』と密かに言う者さえいる。
「あー。あたし諦めた。さすがに、黒崎じゃ、交渉する気にもならないや……」
先ほどまで散々頼んでみろと理緒にけしかけていたのに、真紀は相手を見るなり白旗を挙げた。
理緒も真紀の気持ちは痛いほど分かる。はっきり言って、『秋人に話し掛ける』というのは、数ある課題の中でも最難関だと思う。
「仕方ない。残念だけど今日は帰る」
真紀は一つ溜息を吐くと、鞄を持って立ち上がった。
理緒も一緒に立ち上がり、二人で教室を出る。廊下をまっすぐ歩き、昇降口と図書室への分岐に差し掛かったところで、真紀は理緒の肩をポンと一つ叩いた。
「じゃ、理緒、図書委員頑張ってね」
「うん。また明日ね、真紀ちゃん」
理緒は真紀が昇降口から出るまで見送ったあと、方向転換をして図書室へ向かった。
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