第一章 噂 1





『公園内で下半身が切断された女子高生の遺体発見

 14日夜、A県S市の公園内にて、犬の散歩に訪れた付近の住民が、切断された女性の遺体を発見。服装や持ち物などから、遺体の身元は地元の高校に通う唐崎夕子さん(17)と判明した。

遺体には頸動脈を傷付けた形跡があり、さらに腰から下が鋭利な刃物で切り取られて持ち去られていた。遺体の付近に大量の血痕があったことから、警察は唐崎さんがこの場所で殺害されたと断定し、捜査本部の設置を発表。今後は捜索範囲を広げ、まだ見つかっていない遺体の一部や遺留物の発見に力を注ぐとともに、一刻も早い犯人の特定に邁進するとしている。 ――10月15日付 毎朝新聞――』



 西日が差し込む教室で、森澤理緒もりさわりおはまっすぐ前を見つめていた。視線の先では胡麻塩頭の担任が黒板の前に立ち、こちらに向かって話をしている。もうすぐ定年間近だというその男性教師は、普段はおっとりしていて優しい話し方をするが、今日はいつになく厳しい顔つきをしていた。

「……えー、以上のように、昨日の夜、大変怖い事件が起こった。現場は繁華街の外れで、この学校からは少し離れているが、被害者はみんなと同じ高校生だ。念のため、登下校の際は十分気を付けるように」

 教師が顔を顰めながら話したのは、今朝がた報道された事件のことだった。

 女子高生が無残な殺され方をした挙句、遺体の一部が切り取られて持ち去られるという事件は、朝から世間を賑わせている。

 理緒の通う県立T高校は、事件現場の隣の市に位置していた。この一帯は一応首都圏の中に入っているものの、ひとたび街の中心部を離れると田畑が点在しており、緑も多い。

 界隈の住民は「長閑でいい土地だ」と口を揃える。もう少し都心に住んでいる人から見たら、長閑を通り越してかなり田舎に見えることだろう。

 そんな場所で起きた殺人事件は陰惨を極めるところまで極めつくし、県内はおろか、全国をにぎわす大ニュースとなった。

 事件が起きたという公園は、辛うじて学区外だ。そのため現場付近を通って学校に来る生徒はいないが、学校側は衝撃の大きさを加味し、本日の授業終了後、LHRを使ってこの事件に関して注意を促す時間を設けた。

 今頃、理緒のクラスだけでなく他のクラスでも、しかつめらしい顔をした教師が生徒に向き合って同じ話をしていることだろう。

「あー、それから、テレビ局や新聞社なんかを見かけても無暗にインタビューに応じたりしないこと。各自品位のある行動を心掛けてほしい。今日は以上だ」

 担任教師の口からは注意事項とともに事件の概要が語られたが、今朝テレビで見た以上の情報はなかった。話が終わると、日直の号令で挨拶をしてから解散となる。

 帰宅や課外活動のために多くの生徒が一斉に席を立ち上がった。ガラガラと椅子を引く音が響き渡る中、理緒の前の席に座る佐川真紀さがわまきが後ろを振り返る。

「ねぇ理緒ー。すごい事件が起きたねぇ!」

 真紀ははしゃいだ様子で言った。ボーイッシュなショートカットがぴょんと揺れる。

 本当にすごい事件だと思う。酷いという意味で。だが、真紀の顔はどことなくウキウキしているように見えた。

「真紀ちゃん……。もしかして、ちょっとこの状況楽しんでる?」

 理緒が少し呆れたように言うと、真紀はえへへと笑った。図星だったようだ。

 真紀とは中学からの同級生だった。付き合いが長い分、理緒は真紀の考えていることがすぐ分かる。おおかた、田舎町にマスコミが押しかけている光景に心惹かれたのだろう。

「だってこんな田舎町がここまで注目されるような出来事、そうそうないよ!」

 案の定、真紀は興奮を隠すことなく拳を握り締める。

 今日は朝からどこもかしこも女子高生惨殺のニュースで持ち切りだった。理緒が朝起きてリビングに行くと、理緒の母親は目玉焼きを焼いているフライパン片手にニュースに釘付けになっていた。

 登校するときはテレビ局の名前が入った車が何台も国道を走り去るのを見た。今だって空には報道のヘリが飛び交っている。

 真紀の言う通り、田畑と緑に囲まれたこの場所が、上を下への大騒ぎになることなんてこの先ないだろう。

「理緒だって事件の行方が気になるでしょ」

「私は……気になるというか、怖い事件だな、と思うよ」

 朝から続く一連の報道の中で、被害者は理緒と同じ高校二年の女子生徒だということを知った。つまり、被害者は十七歳でこの世を去ったのだ。

 人間はいつか死ぬし、それが年老いてからとは限らないことは理緒にも分かっている。

 だが、やはり十七歳で逝くのは早すぎる。しかも、あんなに凄まじい亡くなり方をするなんて……。

「そう、怖い事件なんだよ、これは!」

 真紀はポンと一つ手を打つと、突然理緒の腕をがしっと掴んで身を乗り出してきた。

「うわっ、な、何、急に?」

 真紀の手はびっくりするほど熱かった。手だけでなく身体じゅうが熱気に包まれている。

「いい、理緒。この世知辛いご時世、あたしたちは自分で自分の身を守らなきゃいけないの。身を守るには、まず情報から!」

「情報から……?」

「そう。警戒するなら犯人像を掴むのが一番手っ取り早いよ。どんな人に気をつけたらいいか分かるもん。身を守るために、報道されてない犯人の情報を探ることに意味はあるでしょ? そう思わない?」

「それはまあ、そうだけど……」

「でっしょー! さすが理緒。話が分かる!」

 理緒は腕まくりをして身を乗り出した真紀を、慌てて押し留めた。

「ああ、待って待って、真紀ちゃん。まさか自分でこの事件を調べるつもりなの?」

「そうだけど、理緒は反対なの? 情報の有効性については同意してくれたでしょ!」

「確かに身を守るために事件を知るのは大事だと思う。でも私は自分で情報を探りに行くところまではする気になれないよ。まず危ないし、さっき先生も、マスコミには近づくなって言ってたし……」

「あー『品位ある行動を』とか言うやつ? ヒンイって言われても、庶民のあたしには何のことだかピンと来ないんだよねぇ。それに、実はもう聞き込みを始めてるんだ。情報源は、マスコミだけじゃないんだなー」

「マスコミだけじゃないって……どういうこと?」

「こういうとき頼りになるのは、遠いマスコミより近所のネットワークだよ! そもそもさー。ちょっと前から『アシオンナ』とかいう変な女が出るって噂があったじゃない。理緒もこの話は知ってるでしょ」

「ああ……うん」

 アシオンナの件は理緒も聞いていた。

 学区内の小学生が出くわして、襲われたとかなんとか……。それで教師や保護者が登下校の際の見守りを強化していたらしい。

 だが、こんな田舎町でも……いや、田舎町だから子、変質者の情報はたびたび出回る。大人たちがその都度注意をすることで、このあたりの平和は保たれていた。今回もさほど懸念することはないと思っていたのだが……。

「ズバリ、今回の犯人はそのアシオンナだね」

 真紀はそう断言してから、きょろきょろあたりを見回した。

 そして、理緒に顔をぐっと近づける。

「あのね理緒。ここだけのとっておきの話があるんだけど」

 真紀は普段から自分のことを『T高イチの情報屋』と豪語している。自称しているだけでなく、確かに彼女の情報は誰よりも早い。

 何かが起こると真っ先にすっ飛んで行って情報収集する真紀の行動力に、理緒はいつも驚かされていた。

 端的に言ってしまえばミーハーなのだが、校内では真紀の行動力を頼りにしている生徒も多く、情報の速さと確かさは折り紙付きだ。ちなみに、真紀の将来の夢はジャーナリストらしい。

 そんな真紀がとっておきと言うからにはそれなりの情報なのだろう。

 理緒は真紀の囁く声が聞こえるように額を寄せる。互いの吐息の音が聞こえそうなほど頭をくっつけ合うと、真紀はおもむろに口を開いた。


「あたし、女子高生を殺した犯人……アシオンナの正体、知ってるかもしれない」

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