第78話 愛している方がいるのです!

 フィリアの心は、見知らぬ土地にあった。


 言葉も通じない。頼れる者もいない。


 誰かの嘆く声が聞こえる。幼い泣き声が聞こえる。自分と同じく途方に暮れている弱き民。


 助けたくてもフィリアにはなにもできない。飢えた子供にパンを買い与えることさえできない。


「第2王女はご両親の才を受け継がなかったようだ」


「ご長男のハルト様はあれほど才気に溢れていらっしゃったのに」


「あれで領民を守れるのか」


 才能の無さは自覚していた。この世界に来てからは、より痛切に。


 父の才能があれば……。母たちほどに、なにかに特化していれば……。もっとなにかできていたかもしれない。助けになれていたかもしれない。


 でも現実として、フィリアはなにもできなかった。助けられてばかりだった。


「変わりたいと願うかい?」


 願っている。もっと、人の助けになれたらいい。


「力になろう。悩まなくていい。私にすべてを委ねればいい。新しい自分に生まれ変わるのだ」


 魅力的な誘いだ。変われることは、素晴らしいことだ。


 でも……。


 そんな誘いに乗らなくても、変われてきていた……気がする。


 あの人と出会ってからだ。


 助けてもらうしかなかった自分が、共に賞金首ウォンテッド魔物モンスターを撃破したり、動画を配信してみたり、アイテムを作ったり販売したり、冒険者ギルドをやってみたり……。


 きっと誰かの役に立てていた。生まれ変わる必要なんてない。


 あの人が、そばにいてくれるなら……。



   ◇



 はっ、と目を覚ましたとき、フィリアの目の前には、上級吸血鬼ダスティンがいた。


「これはこれは。貴女も誘惑テンプテーションを破るか。いや、さすがと言うべきか、美しき人よ」


「……寝込みを襲おうとするなど、その装いと違って、貴方は紳士ではないようですね」


 フィリアは恐怖を表に出さぬよう気丈に振る舞いつつ、周囲の様子を窺った。


 石造りの部屋。かなり古い印象だが、それなりの手入れはされている。とはいえ、寝かされていたベッドは、埃こそないものの劣化が激しい。


 古城……あるいは古い屋敷の一室。今はそれしかわからない。


 フィリアの言葉に、ダスティンは大仰な仕草で詫びてきた。


「どうかお許しいただきたい。貴女が魅力的すぎたのだ。どんなに立派でも蝶は蝶。花の香りには抗えぬもの。貴方の美しさは、この私さえも惑わせてしまった」


「貴方は、蝶ではなく蚊がふさわしく思います。さらっていった方々はどこですか? わたくしの大切なお友達を、返してください」


「そのお友達は、帰ることを望んではいなかった」


 ダスティンの言葉に反応したように、部屋に女の子が入ってくる。


 紗夜だった。


 メガネをしていない。そして、この前、結衣に迫られていたときの魔法少女の衣装を着ている。


「葛城様……どうして……?」


「ああ、彼女にはもう視力の矯正などいらない。それに、道化の衣装を持っていたのでね。愛らしい道化というのも、屋敷に彩りを加えてくれていいものだ」


 紗夜の首筋には、ふたつの穴。吸血された痕に違いない。


「格好のことではありません。どうして、彼女の血を吸ったのですか」


「この場所は、ひどく魔素マナが薄い。少しでも魔素マナをわけてもらいたかったのだよ。しかし、彼女には魔法の素質があったらしい。良質な魔素マナを堪能できたのは、嬉しい誤算だった」


 その味を思い出したのか、ダスティンは唇を舌で舐める。


「それに私の肉体も魔素マナで構成されているとはいえ、たまには人間の血を取り入れないと、人の形を忘れてしまう」


「……彼女は、吸血鬼ヴァンパイアになってしまうのですか?」


「もちろん。見込みがあったので血を分け与えたよ。ぜひとも祝っていただきたい。彼女は私と同じ、上級吸血鬼になれるのだ」


「そんなこと、祝えるものですか……!」


「人間も、誕生日は祝うものだろう? 今日は彼女が生まれ変わった日だ。やっと孤独から解放される。ずっと欲しかった仲間が、いよいよ手に入る! これは彼女だけじゃない、私にとっても祝福すべきことだ!」


「もとに戻してください! 葛城様は、そんなものになっていい方ではありません!」


「これは彼女の望みだ。邪魔をする権利は貴女にはない」


「貴方が夢を見せたからそうなっただけでしょう!」


「だとしても選んだのは彼女だ。貴方もいずれ、そうなる」


 ダスティンはフィリアの首筋に指を伸ばした。


 フィリアは体をこわばらせた。逃げたくても、なにかの魔法がかけられているのか、手足は動かない。


 首に触れた指は顎下まで這い上ってきて、くい、と顔を上向きにされた。ダスティンの顔が、正面間近にある。


「その目で何度も見られても、わたくしは拒み続けます」


「長くは続かない。いずれ貴女は、私の求愛を受け入れる」


 ダスティンの紅い瞳が光る。フィリアの意識は、再び遠のいていく。


 しかし、あの人の顔を思い浮かべれば心が強くなる。意識を保つことができる。


「……お断りします。わたくしには、他に愛している方がいるのです!」


 夢中で口にした言葉は、胸にストンと落ちた。


 自分でも自分の気持ちがわからなかったのに、言葉にしたら急にしっくり来た。


 愛している。


 彼への気持ちは、幼い頃から憧れていた英雄への羨望ではないかと考えもしたが、今は違うとわかる。


 彼の眼差しが、声が、考え方が好きだ。冗談を言い合う時間が好きだ。照れているときの仕草も可愛くて好きだ。


 英雄だったなんて、彼の一側面でしかない。

 

「あのときの男か。『闇狩り』の一味……確か名前は……」


「一条拓斗様です。貴方を滅ぼし、葛城様たちをお救いする英雄のお名前です」


誘惑テンプテーションから覚めたのは、その男への想いゆえか。ならば、やつのしかばねを前にすれば、私の愛を受け入れてくれるかな?」


「貴方には、できません」


「やってみせよう。その美しい顔が絶望に染まっても、なお拒めるものかな」


「その性根が論外なのです。人の心につけ込まねば求愛もできない臆病者など、お相手できません」


 くくくっ、とダスティンは低く笑う。


「やはり貴女は魅力的だ。いずれ絶望に落ちるのは明らかだが、まあいい。それならば、しばし貴女の望むように振る舞おう」


「紳士的な振る舞いをなさるのなら、話相手くらいにはなります」


「では……」


 ダスティンはフィリアの手を取り、その甲に口づけをした。


 それはダスティンの戯れにしか過ぎないのだろうが、フィリアには好都合だった。


 会話の中でダスティンから少しでも情報を引き出せたなら、きっと、なにかの役に立てる。


 感じていた恐怖は、拓斗への想いでもう薄れていた。




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次回、いよいよ拓斗たちの準備が整い、戦いに赴きます! どんな戦いとなるのか、ご期待いただけていましたら、ぜひぜひ★★★評価と作品フォローで応援ください!

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