男女の顔が文字にしか見えなくなった

@nluicdnt

男女の顔が文字にしか見えなくなってしまった




 それは唐突に起きた。


「え……」


 初めはまだ自分は夢を見ているのだと思った。こういう時に頬をつねったりする場面があるけど、今までの俺なら嘘だろそれ、なんて思っていた。

 だけどその時の俺は自然と自分の頬をつねっていた。 


「あ、本当だったんだ」


 誰かに言うでもない独り言が出る。





 晴れた空の下で、スーツやカーディガン、又は制服とか様々な服を着た、恐らく人々なのだろう生物が行き交う交差点の最中で僕は思いっきり自分の頬をつねった。


 恐らく人々なのだろう、と表現したのも無理はない。




 だって、目の前の人々は全員顔と髪型が見えなかった。




 辛うじて男か女かの性別は区別できる。


 顔に思いっきり、男、女と性別ごとに分かれて表示されているからだ。


 これは病気なのだろうか、だとしたら見たことも聞いたこともない病気だ。

 フィクションですら驚きだ。


 人々の全員の顔が文字にしか見えなくなるなんて






「えぇ……マジかよ」


 他の人だけでなく僕自身の顔も文字にしか見えなくなっている。自分の顔がどんな風なのかまるで分からなくなった。


 これじゃあ髭剃りとかに不便だ。いや、そんなことはどうでもいい。これは明らかに今後の人生に負荷がかかる。

 

 これから出会う取引先の人とか、あと会社の人間とかの顔を覚えるのにも苦労がかかる。


 でも会社に相談なんて出来ない。

 下手すればその病気のせいで解雇される危険だってあるのだ。だから知られることさえ許されない。


 まあ、幸いと言うべきは今が休日だということである。


 精神科、あるいは心療内科なら探せば見つかるであろう。急いでスマホで検索するとあった。休日でも診療している所は意外と多い。


 もしかしたら昨今の世の中はそういうのを重視しているからなのかもしれない。なるべく近くの所を検索して予約した。


 



「まず初めに言います。米井さんの症状というのが我々も全く初めてでして、少し伺いたいこととかが多くなるかもしれません」


 俺の症状は今まで見たことが無い症状だというのは予測できた。でも流石に治せないなんてことにはならないだろう。そう思うが医者は元々できないとか、絶対治すなんて保障は出来ない立場にある。だから確実に治るなんてことは無いのかもしれない。

 

「ではお伺いします。まず初めにこの紙に簡単に。今どういう風に私の顔が見えているのか書いてくれませんか?」


 俺は髪の毛も何もなく、ただ白衣っぽいのを描いて顔の真ん中に大きく男と描いた。


「なるほど……白衣のこれは見えているということで大丈夫ですか?」


「はい」


「え〜と、髪の毛も見えない」


「はい」


「なるほど、声とかは正常に聞こえますか? なんていうか……男女関わらず同じ声に聞こえるとか、機械音声に聞こえるとか、性別が全く分からない声とか」


「あ、それは無いと思います」


「はい、分かりました。何かきっかけみたいなのってお心当たりありますか?」


「えっと…………すみません、心当たり無い、です」


「うーん……突然、ですよね」


「はい」


「その、直前に考えていたこととか、あとは

前日何をしていたか覚えていますか?」


「まあ直前は明日会社か行きたくね〜とか考えてましたね。前日は……飲みでしたかね。元サークルの先輩友だちと女性二人で……まあ、その女の子たちの年齢が気になったくらいですかね、思ったのは」


「会社に行きたくない」


 すると先生は自分の腕時計を見る。ついでに後ろを振り返り、壁にかけてある時計も見る。


「午前八時あたりにそれを思ったのでしょうか」


「あ、はい」


「それって前日も同じこと考えましたか?」


「いえ、ですが大体は休みになるとほとんどそれを考えて過ごしています」


「と、言いますとどのくらい考えているんですか?」


「まあ……大体は会社がその前に終わって……家に帰ったら時から思いますね。今回だと、あ〜もう二日過ごしたら会社に出勤しなきゃいけないのか〜って」


「それは社会人になってからいつもそうでしたか?」


「はい、前の会社の時からそういうことはいつも思っていました」


「……これは答えにくかったら答えなくても良いのですが……仕事、楽しいですか?」


「……え? う〜ん、仕事に楽しさとか必要なんですか?」




 


 何個か質問を受けた後、話を聞いて診察が終わった。




 診察はこうだった。


「恐らくストレスによる幻視や妄想の可能性が高いです。具体的な病名までは、ハッキリと断定することはできませんが米井さんのお話を聞いていると、仕事のストレスが主な原因でそういうのが引き起こされている可能先はあります。え〜と、今回は幻視や妄想に効き目があるお薬を出しますので、それでしばらく様子見ですね。酷くなりましたらまたお越しください。いつでもお待ちしてますので、はい」


 とりあえず原因がハッキリしないことは分かった。こりゃ相当珍しい症状だな。


 それにしても顔が見えないのは不便だ。

 声があるからなんとなく感情が少し見えるけどやっぱり顔がないと、どこか淡白に見えてしまい冷たい印象になってしまう。


 なにぶん俺はHSP気味な所、つまり細やかなことに神経質になりやすいので、そういうのも気にしてしまう。


 来た時はそんなに見ていなかったけど、周りの人間全員が顔が文字になっている。それで気づいたがもう一つ困ることがあった。


 年齢が全く分からない。


 ただでさえ俺は60後半の女性を40代前半だと思うほど、年齢を予測するのが下手くそだ。

 声だけなんてことになればもっと分からなくなる。


 それにここは漫画とは違う。漫画とかなら分かりやすく杖をついて腰を曲げているのかもしれないが、現実は高齢者でも杖を使わない人は多い。だから年齢が正確に分からないのは意外と不便だ。

 

 病院の隣にある薬局で薬をもらい、家に帰る。帰る途中でランドセルを背負った子どもたちが通り過ぎて行った。もちろん全員顔が文字だ。


 だけどその中で少し、ん? と思うことがあった。それは男が赤いランドセル、女が黒いランドセル、又は男が黄色や白、女が青や緑、とバラエティ豊かなランドセルを背負っていた。


「そうか、今は多様性の時代だよな」


 女の子が男の子っぽい色。

 男の子が女の子っぽい色を選んでも良い時代になったんだ。

 そういえば俺は紫色が好きだから、小学生の時に紫色のランドセルにして欲しいって言ったけど、聞き入れてもらえなかったな。


 少し苦くて懐かしい思い出に浸っている時であった。


「おい。見ろよタツヤのランドセル」


 一人の男子の声が聞こえてきた。その声はどう聞いても何か含みがあった。見ると顔文字二人のランドセル男子がヒソヒソ集まり向こうを指差している。その先を見ると、顔文字の男の子が薄い紫色のランドセルを背負っていた。二人の顔文字男子はそれを見て嗤っているのだ。


「あのランドセルはキモくね?」


「ああ、どう考えてもアウトだろ。適材適所ってのを考えろよ」


 覚えたての言葉を並べる男子にもう一人がプッと吹き出した。


「適材適所とか……クク……じゃああいつは茶色のランドセル背負えば良いんじゃね? うんこ色のやつをさ」


 うんこ、そのワードは小学生が大好きな言葉である。言った途端に二人の男子は大声で大爆笑。


 その時、俺は見た。言われている紫ランドセルの男子がこっちを向いているのを。幸い笑っている二人は気づいていない。嗤うのに夢中だ。


 やがて男の子は顔を背ける。


「ねぇ、どうしたの?」


 その時、二人の男子の元に二人の顔文字女子が来た。少し男子たちは気恥ずかしくなったのか、うんこで嗤っていたのを止める。


「何やってたの?」


「いやさ……ケンケンがさ……クク……ふはは」


 もう一人の男子が会話できない状態になったのでそのケンケンが誤魔化すように口を開く。


「今さ、学校中で話題になってるあいつのアレ見て無えよなって話してたんだ、な」


 そう言ってもう一方に声をかけながら紫色のランドセルを背負った男子を指差す。


「え? アレって誰?」


「コウタだよ。コウタ。あいつのランドセル。あの紫色、女子だろどう見ても」


「え」


 その時、女子二人は身体が固まる。


「やばくね? あいつアウトだろ」


 ケンケンがそう言った時だ。


「うわキモ〜」


 女子の一人が言い出した。そしてもう一人。


「うっわ最悪。紫色あたし好きなのにしばらく見れないわ」


 その反応を聞き、男子二人は声高らかに大爆笑。


「お〜い〜そんなこと言うなって〜かわいそうだろ〜?」


「そうだよ紫色のランドセルに罪は無いんだからさ〜」


「そうそう、あいつが背負うのがアウトなだけで〜ブハッ!」


 その後、男子二人が大爆笑ついでにさっきのうんちの下りを言い女子二人が、や〜だ〜、と嫌がっている。


 肝心のコウタ君はトボトボと小学生なのにまるで生活に疲れたサラリーマンが出すような哀愁を漂わせながら歩いている。

 猫背で動作も遅く、進んでいるのに進んでいないように見える様子で歩いていたが、やがて突然と消えるように姿が見えなくなった。


 多分、コウタ君は自分が言われていることに気づいていたのだろう。でも、言い返したりすると面倒くさいことが起こるから、それなら耐える方が楽だから何も言わずに去っていったんだろう。なんとなく分かる。


 多様性か、嬉しそうに騒いでいる男女を見ると分かってしまうことがある。


 そうだよな、周りからキモいとレッテル貼りされた者には、多様性なんて働かないよな。動作がキモい、言ってることがキモい、体型、運動ができない、頭悪い、忘れものしまくる、失敗ばかりする。

 そういうのをしていた子は、キモいとされてしまうのだろう。

 もちろんクラス全体が嫌っているから、誰も味方がいない。でもいじめとは見なされない。




 でもそれは大人になっても後を引く。




 俺が大学生の頃、初めて喋った男子はすごく顔が整っていた。だけどモテないし自分に自信がないと言っていた。嘘でしょ、て言ったらこう言った。


「小学生の頃に女子にキモいキモい言われ続けたからもう信じられない」


 言葉が出なかった。


 その時にキモいというのはずっと後を引くのだと気づいた。そいつとは今も友だちだ。


 なんか気分が沈んでしまった。ただでさえ変なことが起きているのにこれ以上妙なことが起きてほしくない。だから家に帰った。


 家に帰ってしばらくテレビやスマホ見ても全く人物の顔が見えない。顔が見えないと、これほどつまんなくなるとは思わなかった。

 何が面白いのか、何が悲しいのか、何を感じているのか全く見えなくてつまらない。

 

 これからもそういう風景になると考えると気が滅入る。



 そこから一週間、俺の仕事は少し困難になった。全ての人を声だけでも誰だと判別は俺にはできない。だからミスも多くなるし、会社の人に大丈夫かと何度も聞かれた。


 なんていうか、たまにどこを見ているか分からない時が、あるらしい。


 そんなこんなでなんとか一週間仕事をやり過ごした。

 


 土曜日、前日の残業の疲れがまだとれていなかったが、友だちと遊ぶ約束がある。


 今日は大学からの友だち三人とドライブするのだ。俺含めて二人、そして女子も二人、そんなドライブだ。


「お〜い!! 米井〜、久しぶりだな〜!」


 再会するなり、小山が俺を呼んだ。

 ビジュアルが良いイケメンだが今は顔が見れないからどんな顔か分からない。


「久しぶりだな、小山」

 

「ああ、久しぶりだ米井」


「最近調子はどうだ?」


「ああ、まあぼちぼちかな……一応さ、彼女できたんだ」


「マジで!?」


 多分、この一年間で一番大きな声が出た。

 

「ああ、なんとか良い人がいてね」


 そう言ってスマホを見せてきた。そこには綺麗で気品がある雰囲気の茶髪をしている女性と赤ちゃんがいた。


「え、もう子どももいるの?」


 小山は小さく頷いた。


 俺が喜んだのは言うまでまでもない。


「マジか〜、すげえなやっぱお前は、すげえわ」


 そんな他愛のない話をしていると他の二人も来た。





 四人をレンタカーに乗せて出発。


 初めは近況について話をした。


 みんな懐かしい、あの時は一番楽しかったかもしれない。


「てかさぁ、ミク、お前あいつとどうなの?」


「え? それ聞いちゃう〜?」


 声からして話したくて話したくてたまらないのが伝わってくる。


 そこから俺たちは大学の頃の思い出話に花を咲かせた。友だちとか今どんな仕事してるとか、誰と誰が結婚したとか、知ってる奴が学会で賞をとったとか、色んな話をした。

 今日こいつらと会って良かった。

 なんとなく、顔が見えなくても過ごせるのかもしれない。そう思った時


「てかさぁ、米井。あの子どうなった?」


 突然、小山が変なことを聞いてきた。

  

 あの子? 誰のことだ?


「ほら、アレだよアレ。お前すごくキモがってたじゃん。あいつ、え〜〜っと……ストコだよストコ!!」


 あ…………そうだった。そいつのことをすっかり忘れていた。この間も会ったのに。 











 ストコ、なぜそう言うのか、それはストコが俺のストーカーをしていたからだ。


 何がきっかけかは思い出せないけど、確か大学一年生の時、偶然同じ大学を通っていたので高校が同じだったことからしばらく一緒にいることが多かった。


 俺たちはその内、エンタサークルというサークルに所属した。


 そのサークルは漫画やアニメ、映画などの楽しい遊びを知るためのサークルとされていたが、実際は飲みサーで漫画やアニメとかは一切興味が無い奴が多かった。


 漫画研究会よりもこっちの方がメンバーが多いことから俺たちはそこに所属した。


 そこから徐々に離れるようになった。


 単純だが俺とストコは別々のグループに属していた。俺が小山たちのような飲み会メインのグループ。そしてストコは漫画やアニメを感情したりするのがメインのグループに分かれた。それで疎遠になっていったはずだった。


 だけど、ある時に俺らのグループはストコたちのグループに訪れた時があった。

 その時は全員どこかに出かけていたのか誰もいなかった。なんとなく、どんなの描いているか見てみようぜ、ということで漫画の内容を見てみた。


 今思えばこれも趣味が悪い行為だった。

 他人が描いた漫画なんて別に個人の理想や欲望が詰まっていて当たり前だ。


 だけど当時の俺たちはそういうのをオタクとか言って馬鹿にしていた。案の定そういうのを描いているか男や女が多く、メンバー内でからキモくね? こんな女いねえだろ。現実見ろって、てか絵下手じゃね? あの子もこういうキモいの描くんだ、とか。


 そしてこの中で俺はとんでもないものを見つけてしまった。


「え?」


 初めは気のせいだと思った。だけど、なんとなくその絵の中にいる男が俺に似ていた。


 しかも、その男は同性異性に関わらずSMプレイでいたぶられて喜んでいる変態だった。


 すぐにストコの顔が浮かんだ。でも何かの間違いだと思った。


 だけどその内、小山たちも集まってきて

 コレやばくね?  

 これ誰描いたの? 

 女じゃね? 

 てかこれ米井に似てね? 



 色々言い始めてだんだんみんなキモいから怖いに変わっていった。


 その時、扉が開く音がした。

 振り向くと、漫画描くグループ全員がいた。なんでいるの? と困惑の表情で俺たちを見ていた。やがて小山が口を開いた。


「この漫画、誰、描いたの」


 するとグループの人たちは机を一瞥、そしてほとんどの視線がストコに集まった。


 ストコは肉眼でも分かるほどびっしょり汗をかいていた。ギトギトと脂ぎった液体が顔や腕、更には肢体にも流れていた。光が当たりテカテカ照らされたが、その姿が、俺には脂肪の塊がニキビのように所々にぶつぶつ生えて目が見えなくなっているほど肥満の女に見えた。








 その日のことはそこで記憶が途切れている。


 だけど、その日からストコは執拗に俺に声をかけてきた。あんな日があったのに話しかけてくるなんて普通にヤバいとしか言いようがない。とうとう俺が住んでるアパートまでついてきた時なんてヤバかった。

 何度も何度も大声で謝ってきた。


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい


 その声が全身を回り、サイレンのように鳴り響く感覚に襲われた。だけどそこで俺は思った。ここで何もせずやり過ごそうとしたら大家さんが来るんじゃないか。そして最悪、俺たちのことを恋人かなんかと勘違いして、仲をとりもとうと……冗談じゃない!!!


「来んじゃねえストーカー野郎!!!」


 その叫びでストコの声は止まった。

 だけど安心できなかった。



「あんな漫画描くとかキメえんだよ頭おかしいにも程があんだろ!!」





 その声を最後に、しばらく俺以外の生物が死に絶えたような沈黙が漂った。生命の気配が感じられず家の中には色々と家具があるのに殺風景になったような感覚に陥る。怒鳴ったせいだろうか、やけに口が乾く。






 コッカッコッカッコッカッコッカッ   

 カンッ   カンッ     カンッ  

          カンッ    

     カンッ            

 カンッ           カンッ

      カンッ          


           カンッ  



     カンッ 


                カンッ




            カンッ



 


 多分、アパートから去っていったのだろう。やっと諦めてくれた。安心した。

 あまりにも怖かったから部屋の明かりをつけっぱなしにしていたことを思い出して消そうと立ち上がった。




 






 いた










 ストコが俺の部屋の下にある地面に立っていた。しばらく見てなかったから髪の毛が地面につくほど長く、季節が夏で夜だからか、何故か白いワンピースを着ていた。

 ずっと俺の部屋を見つめている。

 


 身の毛がよだちすぐに布団をかぶって寝た。だけど失敗した。明かりを消してしまったのだ。



 今度ははっきりと何かいるようなおどろおどろしい沈黙が流れてきた。部屋の物音がやけに大きく聞こえてきた。まるで底なし沼にゆっくり、ゆっくり沈んでいくような昏い世界に入り込もうとしている感覚に陥った。

 でも決して布団は脱がない。


 

 だって、なんかさっきから窓の方から一人分の気配がするからだ。ジッとこっちを見て、今か今かと出てくるのを待っているみたいに。




 

 いつの間にか眠っていた。朝起きるとすぐに部屋の外を見た。もうストコはいなかった。



 大学のサークルでその話はもちきりになったら。警察に連絡した方が良いともなった。

 だけど、その必要は無くなった。


 ある日、サークルからストコが退学したと聞いた。そしてストコと友だちだった子が住んでる家も手放したとも言っていた。


 もしかしたらまだ何かあるかもしれない、と恐怖していたがそれ以来ストコは来なかった。それが大学の時だ。

 



 

 そのストコと再び会ったのはつい最近だった。偶然会った。俺の方から声をかけた。


 なぜならそこにはあの時と同じ白いワンピースを着ていたが、髪の毛はセミロングで落ち着いた雰囲気の女性に。そして、小さな女の子と手を繋いでいたからだ。大学の時の雰囲気が嘘のように変わっていた。だから思わず声をかけた。


「あ、もしかして……米井君?」


 久しぶりに会ったストコは、俺よりも一回り成長した大人の女性の雰囲気を醸し出していた。事情を聞くとあの後、色々なことがあったけど結婚したらしい。嘘だと俺が疑ったと見たのか、旦那さんとの思い出写真を見せてきた。


 二人でツーショットの写真が沢山あって、海や山やスカイダイビングとかの写真もあった。完璧に付き合っている。そして、子どもと三人で写っている写真が見えた。


 旦那さんは少しチャラっぽそうなメガネをかけていたが、顔からしっかりとしてそうな大人の男性だった。どこか安心した。


 その後でストコはあの時のことを頭を下げて謝罪した。俺をモデルにしたSM漫画を描いていたこと、ストーカーしたこと、部屋の前に押しかけてきたこと、全て謝ってきた。


 でもどうしても分からないことがあった。


 どうしてあの漫画を俺をモデルにして描いたのか。答えはすごくシンプルで少し考えれば分かるものだった。


 ストコは高校の時から俺のことが好きだったのだ。大学はそれで選んだわけじゃない。

 だから尚更、運命めいたものを感じたらしい。だけど俺たちの趣味とかのジャンルは違う。だから離れて寂しくて描いたと言った。


 もし大学の時に言われたら引いたかもしれないけど、今ならそんなの大したことない。


 でも何で俺のことが好きになったのか不思議に思ったから聞いた。こんな、小学生の頃に散々、女子からキモいと呼ばれた男の何が良いのか聞きたかった。そしたらこう言った。

 


「米井君覚えてる? 私、高校の頃いじめられてたの。友だちの中でいざこざがあって。まあ全部誤解でなんだかんだで元に戻れたけど、同学年の……その……私たち女子の間で手を出しちゃいけないアイドル的な男子に手を出したって誤解されて、いじめられたの。そしたら米井君がこう言ったんだ。『女の子って友だちでも人間性重要視する癖に顔だけの同性も友だちだよな。それってなんでかっていうのなんとなく分かるよ。容姿が良い友だちがいると周りに男が寄るとか、一緒にいるだけで中身がクソでもなんかイケてるグループになっているような気になるとか、あとは中身は私の方が上とかさ、色々あるかもしれないけど本質的にはそうじゃないんでしょ。つまりさ、お前らは自分が嫌いで嫌いでたまんないから自分と同じような性格の奴が友だちであって欲しいんだ。容姿は良いけど中身が自分と同じクズと一緒に落ちぶれたい、いや、自分と同じ所まで落ちてきて欲しい。だから男を批評しているけど自分が好きになったり付き合う男がいない。そういう自分に似てる奴と仲間や友だちになるんだ。だから抜けがけっていうのがあるんだ。

自分と同じクズの癖に、良い男と結ばれるのが嫌で嫌でしょうがない。

初めから関わりが無くて容姿も綺麗ですごい人なら憧れや嫉妬の対象として見ていられるだけなのに、自分に近いクズの友だちがそうなるのが心の底から許せない。だからお前らは友だちなんだろ? もうおれだって馬鹿じゃないんだ。そんくらい分かるさ』って。私、嬉しかったんだその言葉が。だから意識して大学も同じだったから、なんか、色々こじらせて。とにかく、色々と迷惑かけてごめんなさい」


 ストコは頭を下げた。これが最後なのだと俺は思った。


 俺、そんなこと言ってたんだ。でも、今は……










「あの時ガチでヤバかったよな。あいつさぁ〜、米井と付き合えるって思ったのかな」


「まあ〜容姿だけなアリだったんじゃない? 容姿だけなら」


「いやねえだろどう考えても、あいつキモいだろ」


「あはは……」


 小山、お前はキモいって言われて自分に自信無くしたんだよな。今、お前は自分が言う側になってるけどそれって気持ちいいか?

 他の女子も同じだけどよ。だけど一番最低なのは、その会話を止めるでも反論するでもなく、乾いた笑いをしている俺だ。


 なんとなく、サイドミラーに映っている自分を見た。なんら変わりない顔文字だった。


「なんだ……俺も同じか」

 誰にいったのか分からない。




 その後に何をしたか俺はあまり覚えていない。食ったモノも話したことも無味無臭で何も感じなかった。


 大学とは全く違うマンションに帰って自分の鏡を見る。さっきと同じ顔文字が見える。


 だけど今は、文字の両端が少し滲んだように濡れている。


「なんだよ、そごはしっかり映るのかよ」


 少し鼻詰まりの声が出た。








 数日後、あの時と同じ見慣れた恰好の紫色のランドセルを背負った少年がいた。

 だけど、少し後ろでその男の子を黙って見ている女の子がいた。


 何も言わず、ジッと男の子を見る姿に何かを感じた。事案かもしれないがそっと近づいた。



「あの子のことが気になるのかい?」


 女の子はギョッとした顔で振り向く、不意に声をかけられたんだ。無理もない。

 しばらく混乱してたけど、女の子は静かに頷いた。


「話しかけないのかい」


「うん……お母さんがああいう男の子に不要に話しかけたら危ないって」


 そうか、いい母親だ。でもそれはあの子をもっと苦しめるし、結果的に最悪の事態を引き起こしてしまうかもしれない。


「あの子とか君は今は何年生?」


「一年生」


「そうか、なら話しかけた方が良いよ」


「え、でも……」


 分かる、この子自身も怖いことに。

 親に話しかけちゃダメと言われたんだ。

 よほどの胆力が無ければこの歳の子どもがそれに逆らうことなんて出来ない。


「お母さんの言葉は、君がもう少し成長したら確実になる。ある一定の時期まで特に異性に気持ち悪がられた子はもう二度と立ち上がれなくなるんだ。その時に声をかけたら確実に危ない目に遭う」


 そう、小さい頃の体験は大人になっても尾を引く。他の人と本質は何も変わらないのに。だから歪みを表に出すこと無くするには、まだ幼い頃に異性の普通の優しさに触れることだ。


「じゃあ」


「ああ、今話しかけたらまだ間に合う。話しかけて、それで君が彼をみんなの輪の中に入れてくれないか?」


 女の子はしばらく俯いて黙っていたが、やがてスッと前を見ると、男の子に向かって走っていった。


 二人の様子をしばらく見ていた。

 初めは男の子はビックリしたような反応をしていたけど、その内……



「なんだ、良い顔するじゃないか」



 久しぶりに見る人の笑顔だった。






 





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