62:臆病で馬鹿な魔王。

 



 ◆◆◆◆◆




 執務室が臭い。

 誰のせいかというと、ここにいるはずがないルヴィのせい。

 フォン・ダン・ショコラが執務室の隅で尻尾を股に挟んで震えている。


「ちょっと? それ、どっちを怖がってるのよ? 答えによっては、オニオン汁ボム投げつけるわよ?」

「「キュウゥゥゥン」」

「ルヴィ、フォン・ダン・ショコラに八つ当たりするな」


 ――――ベシャッ。


 無言でまた玉ねぎをすりおろしたものを詰め込んだ『ボム』とかいうものを投げつけられた。

 臭すぎる。あと、目に染みる。


 ルヴィは人間界の自宅に送り届けたはずだ。

 国王やルヴィの妹と話し合い、人間は人間界で暮らす方が幸せだろうという結論に至った。

 

「バーカ! 魔王のバーカ!」


 ルヴィが涙目でずっと『馬鹿』と叫んでいる。

 知っている。

 俺は、馬鹿だ。

 

「なぜ、戻ってきた」

「っ!」


 ルヴィが目を一際大きく開き、ボタボタと涙を流し始めた。

 小さく嗚咽を出しながらも、必死に何かを言おうとしていた。


 今すぐ駆け寄って、抱きしめたい。

 だが……出来ない。

 ルヴィを愛したから、出来ない。


 人間たちに言われた言葉が脳内をぐるぐると巡る。

 ルヴィに確認する勇気がない。

 愛しているから、出来ない。


 俺は、なんて臆病なんだろうか。




 ◇◇◇◇◇




 魔王の言葉が心臓を抉る。

 魔王が『なぜ、戻ってきた』かと言った。それは、魔王は帰ってきて欲しくなかったからなのかな?

 私が帰る場所はここにしかないのに。


「っ! わ……たし…………は、ま…………っ、まお………………なんで?」


 私は、魔界で生きるって決めてるのに。

 魔王と恋人だと思ってたのに、なんで?


 なんで、こんなことになってるの?

 なんで、魔王は私の家で一緒に暮らしたの?

 なんで、あんな風に抱きしめたりキスしたりしたの?

 なんで?


 涙がボタボタ落ちてくる。

 前世でも今世でも、こんなに泣いたことなんてない。

 だから、きっと玉ねぎの汁のせい。きっとそう。

 

「……帰る」

「ルヴィ?」

「私は魔界で生きるって決めてる。魔王なんて知らない。私は私の家で私とフォン・ダン・ショコラだけで暮らすもん。魔王なんていらない」

「っ……あぁ。好きにしたらいい」

「家に鍵が掛かってて入れない。送って!」


 魔王がなぜか目を見開いて、仕方なさそうに笑った。

 なんで、今そうやって笑うの!?




 瞬間移動で自宅に送り届けてもらった。

 他人を運ぶ時は抱きしめないと出来ないのかな?

 なんで、抱きしめられてるの?

 

「玉ねぎ臭い。離して」

「ん」


 魔王が寂しそうに笑った。


「指輪」

「ん?」

「フォン・ダン・ショコラの指輪ちょうだい」


 魔王からちょっと離れて、右手をズイッと突き出した。

 あの指輪はもらったんだもん。もう私のものなんだもん。


「条件がある」

「何?」

「店に食べに来たい。お前の飯が食いたい」


 こんなふうに裏切られて、突き放されたのに。そう言われて嬉しく思ってしまう。

 だから、ムカつく。だから、嫌い。

 

「勝手にすれば!? 馬鹿魔王! だいっきらいよ!」

「ん――――」


 魔王が泣きそうな顔で微笑んで、私の左頬をそっと撫でた。

 ゆっくりと近付いてくる魔王の顔を、グーパンで殴った。


「大嫌いって言った!」

「ん。ずっと嫌っていてくれ」


 魔王が嬉しそうに笑って、瞬間移動で消えてった。

 

「…………え? ドMなの?」

「「ワフォォ?」」


 色々な衝撃で、涙が引っ込んだ。

 


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