57:幸せになるために。

 



 どこかに、というか人間界に行っていたらしい魔王から、人間界に帰れと言われた。

 話し合いって言ったのに、話し合う気なんて更々にないじゃない。私の気持ちなんて、聞く気がないじゃない。


「ミネルヴァ・フォルテア侯爵令嬢」

「その名前で呼ばないで!」


 私はここでありのままで生きると決めているのに。

 もう、人間界になんて戻る気はないのに。

 もう、あの世界は捨ててきたのに。


「私は、ただのミネルヴァで……ここに住んでいて、ここで生きていて、魔王の…………」


 魔王の恋人だと、思っていた。

 愛し合ってるんだと、思っていた。


 掴まれていた手首を必死に振りほどくのに、また直ぐ掴んでくる。

 爪を立てて魔王の指を甲を引っ掻きながら剥がそうとしているのに、手を離してくれない。


「やだ。やだってば! 離して!」

「……」


 なんで、返事してくれないの?

 なんで、何も言わないの?


「妹が、戻ってきて欲しいと、泣いている」

「っ…………妹じゃない!」

「家族が望んでいる」


 確かに妹だけど。確かに家族だけど。ヒロインに泣かれていると聞くと、ちょっと心は痛むけど。

 

「私の家族はフォン・ダン・ショコラだけだもん」


 本当は魔王も家族の気分でいたけど、違ったから。家族はフォン・ダン・ショコラだけ。


「フォン・ダン・ショコラ、助けてっ!」

「「グルルルァァア!」」


 部屋の外にいたフォン・ダン・ショコラが、私の叫び声でリビングに飛び込んで来てくれた。

 フォンとダンが魔王の腕に咬み付いて、ショコラが魔王に向かって牙を剥き唸ってくれている。


「っ…………人間界に帰った方が、幸せだ」

「勝手に決めないでよ!」


 あまりにも一方的な言葉に、悲しさより怒りが湧いてきた。


「何よそれ! なんで魔王が私の幸せを決めるの!? 私が幸せになる方法は、私が決めてる! 私の人生の決定権は私にある!」

「……」

「まただんまり! 魔王なんて……ウィルなんて…………大嫌いよ」

「…………っ」


 腕に咬み付いたフォン・ダン・ショコラをぶら下げたまま、魔王が泣きそうな顔で笑った。いつも無表情に近くて、笑うことなんて滅多になくて、時々微笑んでくれると嬉しくて嬉しくて仕方なかったのに。

 声を出して笑ったら、その日一日が楽しい気分になれてたのに。

 なんでこんなときに、そんな顔で笑うの?


「ん。嫌いになれ。憎んでくれ。そうすればお前の中に居続けられるから」


 魔王の顔がゆっくりと近付いてきて、唇が重なった。

 熱く、激しく、貪るように。



 

 そうして気付いたら、見慣れた懐かしい場所に立っていた。


「…………私の、部屋?」


 ――――人間界の。

 


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