第24話 竜二

 住めば都、とまでは言えないが、このアパートで暮らし始めてもう10年になるのか。ボロアパートだが居心地は悪くない。6畳の和室に狭いキッチン、風呂もトイレも別で付いてる。築50年近いだけに、大型の台風でも来たら真っ先に吹っ飛びそうだが、その時はその時だ。だがそうなる前に、一刻も早く完成させなきゃならない。

 大家さんにはめちゃくちゃ世話になっていて、連絡をすれば家賃が遅れても許される。つい最近は、「家賃下げようか?」とまで言ってくれた。ここ数ヶ月、連続して支払いが遅れてるからだ。母親が半年ほど前に脳梗塞で倒れて、月に15万弱の入院費が必要になった。弟と協力して毎月支払っているが、死ぬまで永遠に大体同じ額を支払わなきゃならない。もう回復する事がないからだ。寝たきりで体の右半分は動かない。意識はあるが、こちら側を認識しているかどうかはわからない。話しかけても反応がある時とない時があって、もちろん言葉は喋れない。この状態をキープし続けるか、死ぬかだ。もう数時間発見が早かったら、回復の見込みはあったと医者は言った。だが、もう遅い。

 大家さんはこういった俺の現状も知っている。だからきっと、家賃の滞納に関して何も言ってこないのだろう。それどころか、家賃下げようか、だなんて。俺はこうやって、周りに支えられて生きてる。しょうもない人間だが、俺に手を差し伸べてくれる人が少なからずいる。だから生きていけるのだ。俺はペンを握りしめローテーブルに向かった。大の字で寝っ転がってる場合ではない。畳一面に広がった紙切れを無駄にするわけには行かない、と俺は意気込んだ。その時だった。

 ドンドン、と玄関を叩く音がした。

「マサト君〜いますよね〜」

竜二だ。一瞬反応するか迷ったが、

「鍵開いてる」

と俺は発した。その瞬間に玄関がガチャリと開くと、「お邪魔しま〜す」と竜二がズケズケ入って来た。

「散らかってますね」

と開口一番竜二が言った。

「気にしていいよ」

「いや気にしないっす」

俺は腰を上げ冷蔵庫へ向かった。

「パソコン使わないんすか?」

と竜二が言った。

「使えないし使わない」

テーブルの上のノートパソコンは眠ったままだ。俺は冷蔵庫から何本か酒を抜き取ると、竜二に差し出した。

「あざーす」

全く、今日はもうできねぇじゃねぇか。俺は自分の分のハイボールを開けると、無言でこいつと乾杯した。


 竜二は吉本の芸人で、最近までコンビを組んでいたが今は解散してピンだ。心細いのかなんなのか、よく俺に連絡をしてくる。下北のバーで出会って依頼、よく飲みに行っていたが、ここ1年はほとんど行ってない。ただ、俺が夜は家に引き籠もっているのを知っているから、俺が連絡を返さないと、たまにこうしていきなりやって来るんだ。俺ん家はとりあえず酒が飲めるし、何かしらは食える。おまけにそこそこでかいTVもある。まだ売れず金のないこいつにとっては居心地が良いのだろう。俺もこいつといると居心地がいいが、今はやる事があるってだけだ。それにしても、よく飲む奴だ、竜二も俺も。テーブルの上の空き缶の山を見たら少し引いた。

「マサト君、俺もうすぐ26っすよ、芸人辞めようかな」

さっきまでTVを見ながらケラケラ笑ってたくせに、急に竜二が少し酔った口調で言い出した。

「まだ26だろ。やれよ」

俺はきっと最もであろう返しをした。

「でもな~解散しちゃったしな」

と腑抜けた面と声で竜二が言った。こいつの事はわかってる。明日にでもなりゃきっと、俺ピンでも天下獲りますよ、とか言ってくる奴だ、心配は無用。

「この写真、マサト君ですか」

竜二が壁に貼ってある写真を見ながら言った。中学の時、林間学校で絵美里ちゃんと撮った唯一のツーショット写真だ。

「そう」

「彼女っすか」

「そう」

竜二は寝そべりじっと写真を見つめている。

「かわいいっすね」

「俺が?」

「いや彼女っす。まあでも、ワンチャン、ジャニーズジュニアとか入れたんじゃないっすか」

「彼女が?」

「いやあなたです。ジャニーズって言ってるやん」

俺は追加の酒を冷蔵庫に取りに行った。この家は無限に酒があるのだ。

「そういや、傷に触れるようで悪いんだけどさ、前のコンビ名なんだっけ?」

と俺は知っていたがわざと聞いた。

「チャーハンバーグです」

と竜二が起き上がりながら答えた。

「・・・ダッサ」

「ダサくねぇわ。百歩譲ってダサかったとしても、絶対キャッチーだわ」

徐々に笑いが込み上げて来た。

「ごめん、ちゃんと聞き取れてなかったのかもしれない。もう1回だけ言って」

「チャーハンバ・・」

「ダサッ」

「言うと思ったわ。絶対売れてやるからな」

「いいじゃん、その調子だよ。そんで、サーモンピンクはなんで解散しちゃ・・」

「チャーハンバーグだわ。響きは似てるけどもな」

吹き出してしまった。ツッコミをやっていた事もあって、竜二は全てのボケに反応してくる。

「竜二なんかネタやってよ」

と俺は無理だとわかっていたが無茶振りを言った。

「嫌ですよ、やるわけないでしょ」

と竜二が予想通りの答えを返した。

「一万貸すから」

と俺が言うと、竜二が一瞬無言になった。

「せこいんだから」

と竜二がしぶしぶオッケー面をしたが、俺はとどめを刺すように土下座し、叫んだ。

「お願いします」


 換気扇の下なら、煙草を吸っていいルールだ。俺は狭いキッチンで煙草を加えながら、今見た竜二のネタを振り返った。しかし、どこが面白いのか俺にはわからなかった。

「まあそんなに落ち込むなよ」

俺はテーブルにもたれ伸びている竜二を見つめ言った。

「落ち込んでないっすよ」

いや、どう見たって落ち込んでるやん。

「俺なんて、人生スベってばっかだぜ」

確かにそうだ。

「マサト君、昔役者やってたんすよね?」

と竜二が以外な質問をしてきた。

「役者って言うか、AV男優な」

「え?男優やってたんですか?」

「まあな」

「何て名前でやってたんですか」

俺は煙を吐き出しながら一瞬考えた。

「ガッツ竹山」

そう答えると竜二が爆笑した。

「めちゃくちゃ面白いじゃないですか」

「そうか?」

「やめなきゃよかったのに」

俺は煙草の火を水で消火すると換気扇を止めた。

「やめてねぇよ」

俺がそう返すと、竜二の視線を感じた。竜二、もう寝るか帰るかしろよ。少し疲れちまったよ。


 結局のところ、ネタをした後1時間くらいして竜二は帰って行った。スベった事がショックだったのか、ただの気分か。きっちり俺から一万だけは借りていった。部屋を片付けながら、いいアイデアが思い浮かぶ事を望んだが、ここまで酔っていたら無理だろう。部屋に散らばる原稿用紙が、これ以上増えなければいいのだが。

 1年くらい前から書き始めた脚本は、未だ完成していない。これじゃ映画化なんてまだまだ先の話しだ。書き始めてからその大変さを痛感した。良いと思って書いたシーンでも翌日読み返せば没で、飲んで書いたシーンはより最悪だ。その瞬間は名シーンのように思えるが、素面で読めば大抵クソだ。俺は手書きで書いているから、こうして没になった原稿用紙が部屋中に散らばって行く。書けない事が、こんなに苦しい事だなんて思わなかった。一生書き終えないんじゃないかという恐怖と、書き終えたとて、それが価値のある物かどうかはわからない。ただ、これをやらないとダメな気がするんだ。役者としての復帰も、きっと叶わない。いや、そんな事は最悪どうでもいい。ただ俺はこの物語りを完成させたいんだ。自分の不甲斐ない人生を描いたこの痛々しい物語りを。まずはそこからだ。ふと、睡魔が襲ってきた。明日も朝目が覚めてくれるなら、俺は仕事へ行き、夜は脚本を書く。桜はもう散ってしまったが、俺はまだ咲いてもいない。そんな事をいつだったか、感じていたような気がした。



 





 



 

 

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