最終章 第23話 現代

 昼のピークタイムが過ぎ去ったからと言って、客がゼロになるわけではない。下北という街は自由気ままな奴が多くて、あえてアイドルタイムを狙って、ぷらっと食べに来る連中も多く存在する。その方がゆったりとできるのだろう。ここは大手飲食チェーンの中華料理屋だ。ランチタイムの混み具合は凄まじい。それを厨房は3〜4人、ホールは2〜3人で回すのだ。ほぼアルバイトで。学生の子もフリーターもおばちゃん達も皆よく仕事ができる。ただ、中華鍋を振るポディションだけは、できる奴が限られていて、俺か、社員の誰かか、フリーターの三原君だ。三原君はまだ20代後半で、カメラマンを目指している。カメラマンの仕事だけじゃまだ飯が食えないから、このダサいユニフォームにダサい帽子を被って中華鍋を振ってるわけだ。この街は、三原君みたいな夢を追っかける若者が多く存在する。俺はそういう奴らが大好きで、彼とは歳が10個も離れているがよくつるんでいる。そして、彼はやんちゃだ。

「三原君、カメラ映ってるよ」

と俺は言った。ピークタイムには必ず一品二品商品のロスが出る。ロスした商品は会社の決まりで必ず廃棄しなければならないのだが、彼はそれを堂々と監視カメラの前で食べているのだ。

「マサトさん、お腹ペコペコな野良犬の前にソーセージ差し出したらどうなると思います?」

「え?」

「食べるんじゃないっすかね」

「まぁ食うだろうな」

「ね。だから、カメラ関係ないっすよ」

「三原君、野良犬だったの?」

「今は」

面白い発想をする奴だ。少しばかり笑ってしまった。彼はふざけているところもあるが、仕事はちゃんとする。このアイドルタイムで、ピークタイムでなくなった食材の補充、仕込みを夜の営業に向けてする。後は、厨房は必ず荒れるから、清掃。その全てを彼はもう終わらせているのだ。俺ももちろん手伝ったが、俺はPCでの業務もあるから、ほとんどは三原君が終わらせたのだ。

「一服して来まーす」

と三原君が店の外へ出て行くと、大学生のりんちゃんがホールから俺の所へ歩み寄って来た。りんちゃんは突き抜けるような明るさと美貌を兼ね備えていて、職場でも客にも人気が高い。

「マサトさん、豚キムチがまた文句言って来ました」

「またあいつか、わかったなんとかする」

と俺はりんちゃんに伝えると、あいつの席へと向かった。豚キムチは50代中盤くらいの太ったオヤジで、アイドルタイムの常連だ。おまけにクレーマーで、少しでも何かあると文句を言ってくる。いつも1人なのに4人がけのテーブルに堂々と座るクソ野郎で、その見た目と豚キムチ定食をよく頼む事から、豚キムチという愛称で皆に周知されている。

「すみませんお客様、何かございましたか?」

と俺は豚に尋ねた。

「店長さんよ、今日の豚キムチは脂っこ過ぎるよ。死んじまうよこんなの食ったら」

ふと定食皿が目に入った。全部たいらげられていた。こいつ死ぬのか。

「大変申しわけございません。お作り直ししますか?」

「もういいよ、無理矢理食ったよ。また若かいのに作らせてんじゃねぇのか?」

「いや、その時の状況によって作る人間は変わりまして」

「毎回店長さんが作ってくれよ。俺は店長ささんが作る料理が一番好きなんだよ」

いや、誰が作っても大体同じだろ。ここは大手のチェーン店だぞ。

「はい、なるべくはそうします。申しわけありませんでした」

「もういいよ、店長さんの顔見たらどうでもよくなったよ。今後頼むよ」

と豚キムチは楊枝を加え、「ご馳走さん」と店を出て行った。いつもの事だ。このどうでもいいやり取りを何度したことだろうか。厨房へ戻ると、りんちゃんが洗い物をしてくれていた。

「大丈夫でした?」

「大丈夫大丈夫、いつもの事」

「マサトさん、今日あおいちゃんと一緒に飲むんですけど、来ません?」

りんちゃんの発言に一瞬戸惑ってしまった。

「えっ?いやぁ、流石にりんちゃんみたいな若者達とはもう飲めないよ。それに今仕事終わったらやる事がいっぱいあってさ」

「そうなんですかぁ、残念」

三原君が一服から戻って来た。

「りんちゃんお疲れ、今日飲み行かねぇ?」

「三原さんとは行きません」

「え〜そんなこと言わないでさ、行こうよ」

若者達で勝手にやってくれよ、と俺は腹の中で呟くと、控え室へ向かった。


 この街も時代も大分変わったと思う。10年前は小田急線が地上を通っていて、踏み切りが永遠に開かなかった。今は駅も駅前も綺麗に整備されて、古き良き下北の感じはなくなりつある。路上喫煙は禁止だし、カフェでも吸えない所が多い。Uber Eatsとやらも出て来て、素人が誰でもチャリンコでデリバリーできる時代だ。それに必須なのがスマホで、ガラケーを使ってる奴なんてほとんどいない。ラインでやりとりするのが当たり前だ。10年前と変わってないのは、この緑道くらいだ。

 行き詰まった時に俺はよくここへ来る。住宅地を一刀両断するように緑道が続いていて、小さな川が流れている。せせらぎすら聞こえない程の本当に小さな川だが、心が癒やされる。特に夜は閑静で、人気も少ない。こうして腰掛けに座り缶チューハイを飲んでいると、我が人生を振り返る羽目になる。本当にこれでよかったのか、今自分がやろうとしてる事は、自分にとって必要な事なのか、結婚もしていない、彼女もいない自分を後悔していないか、あの時の傷は、完治したのか。答えは決まってほとんどがイエスだ。唯一曖昧なのが、あの時の傷だ。

 俺は10年前、大切な人を自死により失った。それがきっかけというわけではないが、所属事務所を辞め、俳優活動を休止した。だが、再起をかけこの街へやって来た。正直、あの時大切な人を失っていなかったら、事務所を辞めていなかったら、もっと豊かな人生が俺を待ち受けていたのではないかと思ってしまう。そんな簡単に深い心の傷は癒えないものだと学習した。けど、戦い続けるしかないわけだ。過去は変えられないが、未来ならほんの少しくらいは変えられるかもしれない。俺は重たい腰を上げた。缶チューハイを一気に飲み干すと、自宅へ向かい歩き出した。この涼し気な夜が好きだ。夜は、物語りが降って来る。現に住宅街を歩いていると、ふとアイデアが浮かんだ。俺はそれを直ぐにメモると、明日の夜に活かされる事を願った。昼間はまた中華料理屋で仕事だ。豚キムチがまた雄叫びをあげない事も同時に願った。


 



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