第21話 喪失
目が覚めると病院のベッドの上にいた。酷い頭痛で頭が割れそうだったが、しばらく耐えたら痛みが引いてきた。急性アルコール中毒で担ぎ込まれたらしいが、もう今日中には退院できるらしい。さっき母ちゃんが来て、心配されたのと同時にこっ酷くキレられた。まぁ、当たり前か。
今日未明、俺は大通りの交差点の真ん中に倒れていたらしい。新聞配達のお兄さんが奇跡的に発見してくれたらしく、完全に意識のない俺を心配して通報してくれたらしい。そっから救急車でこの病院に搬送されたってわけだ。俺の倒れていたすぐ近くに、空のウィスキーのボトルが転がっていたのを聞いて、吐き気をもよおした。あんなもんをストレートで全部飲んじまったわけか。確かに、買った記憶はある。ブラックアウトしている部分を蘇らせるのは不可能だが、断片的な記憶なら残っていた。
まゆちゃんが少し離れた所から、不思議そうな顔で俺を見ていたのは強く覚えている。次の瞬間、まゆちゃんが俺の目の前にいて、なんか言ってくれたんだけど、上手く反応できなくて、多分、俺が、「帰る」かなんか言って解散したはずだ。後でまゆちゃんには確認してみるけど、まゆちゃんとは遊んでないと思う。それどころじゃないっていうか、俺はペニーさんの言葉を受け入れられなかったんだ。だから、現実の世界にいる事は諦めた。雨の中、傘も指さずコンビニを何件もはしごしてた気がする。その度に酒を買って、夢遊病者の様に街を徘徊して、とどめを刺したのがきっとあのジャックダニエルだ。頭痛は回復してきてが、食欲は一切ないし、酒など一生飲みたくはない気分だ。採血される時の、あの消毒のアルコールの匂いでさえ受け付けない。口の中は乾いて気持ち悪いし、素面になったとはいえ、まだ体内から酒の匂いを発してそうだ。もちろん反省はしてるし、迷惑をかけた人達に謝りたい。でも、謝ることも、感謝することも、そばにいてあげることもできない人がいる。運命なんて残酷で、俺みたいなクズが生かされ、人のために肉体を酷使して、人のためにお金を稼ぎ続けた心の優しい人間が死ぬ。なんでそうなるんだ。誰か教えてくれよ。俺だって車にひかれて死んでてもおかしくないわけじゃないか。なんで生きてんだよ。なんで生かされたんだよ。なんで助けてあげられなかったんだよ。そんな奴が、なにのうのうと生きてんだよ。
アルコールは抜けても、心が崩壊しているのはわかった。自分が弱い人間だと言う事に、はっきりと気付かされた。弱いし、無力だし、何も持っていない。そう思うと、急に涙が溢れてきた。こうしてすぐに泣く自分も嫌いだ。彼女が味わった痛みに比べれば、何も痛くないくせに。彼女に甘えていたくせに。痛いのが嫌だから、すぐ酒に逃げてきたくせに。
目が覚めた瞬間から、直感的に、この先一つの決断を下すのだろうな、という気がしていた。俺にとっては非常に大きな決断だ。自分の心には嘘はつけない。どうすることもできないんだ。
年内にははっきりとさせておきたかった。ただの気分的な問題だが、少しでも早く心の中のもやもやを消し去りたかった。事務所のあるこの三軒茶屋の街も、このファミレスも、クリスマスムードに染まり始めているけど、もちろんそんな気分にはなれなくて、対面に座る社長の深海さんとペニーさんを前にして、俺は俯いたままだ。ペニーさんは相変わらずパソコンをカタカタしていて、相変わらずパンキッシュな風貌で、深海さんはスーツをビシッと着こなしている。もう40くらいにはなったのだろうか。出会った頃は、若い社長だなという印象だった。その時もこんな感じでファミレスで、ペニーさんもいて、割りとすぐに打ち解けたっけな。その時以来ってわけじゃないないけど、こうして3人で会うのは実は数年振りで、本当はこういう形じゃない方がよかったんだけど、どうしようもなかったっていうか。
「踏ん張りどころじゃないのか?」
と深海さんがホットコーヒーを一口飲んで言った。
「いえ、もう決めたんで」
と俺はほんの少しだけ顔を上げて答えた。
「柏原の芝居好きだったけどな」
「私も」
意外だった。ペニーさんもそんな事を言ってくれるとは思わなかった。
「心が折れる音が聞こえまして・・・多分、僕はもうダメだと思います」
本当に聞こえたんだ。深海さんが無言になった。ここだ。俺は立ち上がった。
「深海さん、ペニーさん、今まで本当にお世話になりました」
と俺は深々と頭を下げた。
「素質あるのに」
とペニーさんがカタカタをやめてはっきりと言った。
「気持ちの問題だよ」
と深海さんが独り言の様にボソッと言った。その通りだと思った。俺は、気持ちが弱いんだ。
「失礼します」
と俺は席を外した。もうこの二人に会うこともなければ、この街に来る事もないんだろうな、と考えたら寂しくはなった。入口を出ると、早速耳に入ったクリスマスソングがうっとおしかった。こんな気分の時には決まってする事がある。まだ夕方にも差し掛かってない。俺は地元近くのいつもの店を目指した。
ついていたみたいだ。回転数もろくに見ずに座ったエヴァンゲリオンが火を吹いた。カチ盛りのドル箱がどんどん積み上げられて行く。この店は等価交換のくせに釘が甘い事が多い。その割りに稼働している台が少ない。要するに、空いているって事だ。駅前にあるのに。多分、通りを挟んでどデカく構える大型チェーン店に客を持ってかれてるんだろうな。俺はそのお陰で居心地がいいけど。
パチンコをしてると何も考えずに済む。たまに熱くなる事もあるけど、今日は勝ち負けなんてどうでもよかった。長年所属した事務所を今さっき辞めたわけだし、居酒屋のバイトも少し前に辞めてしまった。頭を下げて社員にしてもらうという選択肢もあったが、それを選択することはできなかった。事務所を確実に辞めることは決まっていたが、役者をやめるとは何故か言いきれなかった。もう映画の仕事も、伝手も、気力さえも何もないのに、「やめる」の一言が言えなかった。だから俺は今、一応は役者ではあるのか?無職の実家暮らしの28歳だが。
情けなさ過ぎてパチンコをする気も失せてしまった。時短が終わると俺は即止めし、景品交換所で現金を受け取るとそそくさと駅へ向かった。五千円が十万近くにはなったが、なんの喜びもなかった。十万だろうが百万だろうが一千万だろうが、いくら金を積んでも、絵美里ちゃんは戻って来ない。あの時、彼女が亡くなるおそらく直前、俺宛に郵便が届いていた。彼女からだ。普段から請求書などの郵便物を溜め込んでしまう俺はそれに気づけなかった。もしもあの時、彼女からの郵便を開封していたら、何か変えられたのだろうか、と考えてしまう。そして未だにそれは、封が切られていない。彼女がこの世を去ってから、もう一ヶ月近く経つけど、届いた時と同じまま、引き出しの中で眠っている。内容はなんとなく想像はつくけど、どうしても開封できないんだ。
電車で数駅揺られ、地元の駅へ着くと俺は駅前のコンビニへ駆け込んだ。もう3週間は飲んでないし、そろそろ解禁していいだろう。電車の中で普通に座っていたら、缶ビールの空き缶が俺の所にわざわざ転がって来やがった。これって飲めって事だろ?
コンビニを出ると俺は早速缶ビールを一気に飲み干し、外のゴミ箱に空き缶を捨てた。このコンビニは外に灰皿が置いてあるから、一服しようと煙草に火を付けた時に視界に入った。近々公開予定の映画のポスターが入口横のガラスに貼られている。有名な俳優ばかりが出ている作品だが、かなり後の方に宇田さんの名前が入っていた。なんとも言えない気分で、俺は2本目を開ける事しかできなかった。ポスターに背を向け、2本目の缶ビールを飲んでいると、目の前の通りを赤い車がゆっくりと通り過ぎた。有希のだ。あいつは多分、俺には気づいていない。助手席に見たことのない若い女が乗っていた。美人に見えた。有希とはもう大分会ってなくて、たまにメールをするくらいの関係性になっていたから、あいつの情報はほとんどわからないけど、おそらく新しい彼女だと思う。長い付き合いだったから、直感的にわかるんだ。
2本目の缶ビールをゴミ箱へ捨てると、大人しく家に帰る事にした。飲みに行く気力なんて残っていなかった。いろいろあったこの帰り道だが、いろいろある内はまだよくて、今の俺にはもう、何もなくなってしまった。これから自分がどうなって行くのか、本当にわからなかった。こういう時に人は死を選ぶのだろうか。確かに、あと1本くらい飲んで酔いが回れば、死への恐怖など無くなりそうだ。けど、結局は死ねないんだろうな。ヘタレだもんな、俺。ここから這い上がれるのかよ、ヘタレさん。そんな事はわからんよ、本当にわからないんだ。お先真っ暗なんだよ、くそったれが。
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