第19話 IDON'T LOVE YOU
屋内の喫煙所ではなく、あえて屋外の喫煙所を選んだ。いったん一人になりたかった。この休憩が終わればまた読み合わせが再開される。読み合わせというか、稽古のような感じだが。前野さんの演出はリアリティー重視で、演技してます、的な演技を嫌う。役者として目指すところは、よりナチュラルな芝居、なので前野さんの演出は好きだが、言い訳をすると、絵美里ちゃんを意識してしまい集中力に欠けていた。いつもなら監督の指示に対して直感的に反応できるのだが、明らかに鈍っているのがわかった。追い打ちをかける様に、絵美里ちゃんの演技力の高さには驚いた。大体のAV女優さんは、セリフをただ読むだけだが、絵美里ちゃんの場合は、そこに気持ちのようなものを感じた。役者としては当たり前だが、役者ではない彼女が気持ちで芝居をする事に感心してしまった。
2本目の煙草に火をつけた時、コツコツとヒールの足音が聞こえてきた。さっきのあの音と全く一緒だ。と思った時には、物陰から絵美里ちゃんの姿が見えた。「あっ」と思わず声が出た。俺に気づくと笑いをこらえる様にこっちへ向かって来た。「お久しぶりです」と声をかけると、「びっくりした」と上品に笑った。その表情を見た時になんだか安心したというか、あの時の絵美里ちゃんが目の前にいた。
「俺も本当にびっくりしたよ。知らなかったし」
「本当に?絶対知ってると思ってた。連絡なかったから、呆れられてるんだと思って、私も連絡できなくて」
「違う違う、俺酔っ払った時によく携帯なくしたり壊したりしちゃって、エミリちゃんの番号わかんなくなっちゃったんだよね」
「そうだったの?じゃあ、良かった、嫌われたわけじゃなさそうで」
「全然そんな事ないよ、連絡したかったけどできなかっただけ」
絵美里ちゃんがバッグから煙草を取り出した。
「吸ってましたっけ?」
売れっ子のマロンちゃんを意識してしまったのか、敬語になってしまった。
「吸うようになっちゃいました」
敬語で返す絵美里ちゃんがかわいかった。
「いろいろあったんですね」
「マサト君もいろいろあったんじゃない?」
「俺は、なんにもないよ」
「そんな事ないでしょ?でも、良かった、続けてて」
「なんとかね。絵美里ちゃんみたいに売れてないけど」
話したい事が山ほどあった。でも、ぼちぼち戻らなきゃいけない時間だ。戻ったらまたよそよそしい態度に戻さなきゃな。俺が売れてれば、向こうの事務所的には喜ぶかもしれないけど、如何せん、俺はまだまだマイナーな俳優なわけで、俺と知り合いだったとしてもなんのメリットもないもんな。個人的な事だけ考えていいなら、そりゃ自慢したいよ、こんないい女と昔付き合ってたんだって。だいぶ昔の話しだけど。こんなロングヘアーが似合う女他にいるのか?そういや、絵美里ちゃんは昔からずっと綺麗なロングだな。なんで7年も連絡取らなかったんだよ。携帯なくしたからか。番号変えなきゃよかったよ。いや、そん時はなんか変えなきゃいけない理由があったのか。だとしたら、これは何かの縁だな、今回こそは大切にしないと。そんでもって、絵美里ちゃん演技上手いな。見習いたいよ。
まさか絵美里ちゃんが誘ってくれるとは思わなかった。久々にいろいろ話したいと思っていたけど、立場上、俺からは誘えない。バイトは休みを取っていたし、スケジュールは空いていたので、絵美里ちゃんに連れられ、この小洒落たイギリス風のバーに来た。さっきまで稽古していた所が下北沢から数駅で、絵美里ちゃんは下北沢のすぐ近くに住んでるらしい。だからこのバーにはよく来るらしく、店員とも挨拶していた。俺が下北沢に最後に来たのは、宇田さんと飲んだ時で、遥か昔だと、有希のライブを見に何度か来た程度だ。それにしても何から何までオシャレな街だと思った。このイギリス風のバーだって、客のほとんどが欧米人だし、カウンターの中で今うちらのドリンクを作ってる、ガタイのいいおっちゃんもおそらくイギリス人なのだろう。そのおっちゃんから俺の前にパイントサイズのビールが2つ差し出された。キャッシュオンスタイルらしく、俺はその場で金を払い、絵美里ちゃんが待つテーブル席へと戻った。
このバーは二階で、窓際の席から外を眺める絵美里ちゃんのシルエットが絵になっていた。俺は席につくと、「お久しぶりです」と乾杯した。パイントサイズのビールを飲む絵美里ちゃんが粋だ。
「あのカウンターの中のでかい人、マフィアみたいだね」
「あの人がオーナーだよ。イギリス人でトムって言うの。ぱっと見怖いけど、気さくでいい人だよ」
「へぇー、エミリちゃん英語喋れるの?なんかあの人全部英語で喋りかけてきたよ」
「トムは日本語喋れないよ。奥さんが英語ペラペラの日本人で、一緒に働いてるから、ほらあの人、たまに通訳してもらってるかな。ちょっとなら喋れるんだけどね」
さっきからキッチンとホールを出入りしている人が奥さんか。こんな広いホールを2人で回しているなんて、今日は客が疎らだからいいが、混んでる日は大変だろう。いや、さすがにバイトもいるか。居酒屋で働いてるせいでそんな事を考えてしまう。
「食べ物も美味しいよ、全部イギリスの食べ物だけど」
と絵美里ちゃんがメニューを俺に見せた。
「じゃ、フィッシュ&チップス。頼んでくる」
「いや、今度は私が行く」
と絵美里ちゃんが席を立った。俺は、煙草に火を付けると、絵美里ちゃんの人生をふと想像してしまった。AV女優か。きっといろいろあったんだろうな。
どうしてAV女優になったかを聞き出すには、まだ序盤過ぎた。終電までは、まだまだ時間がある。酔いが回ってきてからにしよう。
「でも、こんな店1人で来ちゃうなんてかっこいいよね」
最初は、仕事の関係で連れて来られて、それ以降は1人で来る事が多いらしい。
「さすが、売れっ子マロンちゃん」
「やめてよ、私あの名前好きじゃないの。事務所の社長が勝手につけたの」
「へぇー」とニヤけてしまった。
「バカにしてるでしょ?」
「してないよ。でも、いかにもって感じの名前だね」
「ほらー」と絵美里ちゃんがいじけた様に言うと、吹き出してしまった。
「でも、本当に知らなかったの?」
「全く知らなかった。さっき言った通り。マジでびっくりしたよ」
「私も本当に驚いた、台本にマサト君の名前が載ってた時。でも、嬉しかった、映画俳優になりたいって言ってたから」
記憶がフラッシュバックした。あの時絵美里ちゃんは、スクリーンの外から応援してるね、って言ってくれたっけ。
「マサト君は、歳を取ったらもっとかっこよくなりそう」
「そうかなぁ」
「うん。でも、ちょっと痩せ過ぎかな」
「エミリちゃんもガリガリじゃん」
「仕事ですから」
「スクリーンの中の人になっちゃったね」
一瞬ポカンとした表情を見せた絵美里ちゃんが、「うん」と微笑んだ。覚えててくれたんだ。
「そうだったんだ、私、番号教えてもらえなかったんだと思って、今日会うの本当は凄く緊張してたんだから」
お互いに少し酔ってきていた。パイントサイズのビールをガブガブ飲んでいれば、そりゃ酔っ払うだろう。テーブルには、いつの間にか料理が増えていて、フィッシュ&チップスはなくなりかけていた。
「ごめん、俺がだらしないだけだから」
「ダメ人間だ?」
「そう、俺ってダメ人間なの」
「じゃあ、私と一緒だね」
「え?」
「私、AV女優だよ。誰とでもセックスするんだよ。おかしいのよ私」
絵美里ちゃんが自分の事をそんな風に思ってるとは思わなかった。
「それは違うよ。俺は立派な仕事だと思ってるよ。俺、何度もAV女優さんと共演したことあるけど、皆魅力あったよ。なんて言うのかな、まあとにかく、俺はAV女優は神だと思ってるよ、お世話になってるし。エミリちゃんは神です」
絵美里が煙草に火をつけた。煙を静かに吐き出すと、
「ありがとう。マサト君は私の味方だ」
と微笑んだ。
「当たり前じゃん」
と俺も煙草に火をつけた。
「でも、どうしてAVの世界に入ったの?」
酔いに任せて聞いた。絵美里ちゃんが一瞬、躊躇うような表情を見せたが、口を開いた。
「マサト君、私に歳の少し離れた弟がいたの覚えてる?」
過去形だ。
「うん、覚えてるよ。あゆむ君だっけ?」
嫌な予感がした。
「そう。あゆむ、小さい頃から体が弱くて、中学高校は入退院を繰り返してたんだけど、2年前に病状が悪化して、二十歳になる手前で亡くなったの」
予感はしてたが、言葉が出なかった。
「これは、マサト君には話せなかったんだけど、うちの親ね、父親がいつも酒浸りで働いてなくて、母親は、スナックで働いてたから、あゆむの面倒はずっと私が見てたの。小学校の頃はまだ良かったんだけど、中学に上がって入院するようになると、お金がかかるじゃない?親は払えないから、私がなんとかしようと思って、18の時に、キャバクラで働き始めたの。本当は、美容師やってみたかったんだけど、そんな事言ってられなくて」
「・・・・・」
「それでね、何度も入院しなきゃならなかったから、キャバクラだけじゃお金が足りなくて、マサト君と川島君と渋谷で出会った時は、ちょうど風俗始めた時かな」
「・・・・・」
「その頃からAVの話は来てたんだけど、さすがにと思って断ってて、けど、あゆむが高校1年の時、物凄く大きな手術をしなきゃいけなくなって、それで決心したの」
「・・・・・」
「稼げる額が違うから、お金の面はもう絶対大丈夫だと思ったんだけど、いくらお金をかけても、ダメなものはダメで・・・」
「・・・・・」
「絶対治るって信じてたんだ。けど、ダメだったの。神様はいないんだって思った」
「・・・・・」
「もう、AVをやる必要がなくなったから、直ぐに辞めようと思ったんだけど、まだ契約が残ってて、今年いっぱいでそれが終わるから、実はもう引退するの。歳も年だし。最後の最後でマサト君と仕事できてよかったよ」
涙が溢れそうになった。けど、辛いのは俺じゃない、絵美里ちゃんだ。絵美里ちゃんは泣いていない。だから必死にこらえた。
「そっか、なんか苦しい事思い出させちゃってごめん・・・」
「いいの、本当の事だから。マサト君も本当はいろいろあったんじゃない?」
「なんにもないよ。酒ばっか飲んでるし、まだバイトしてるし、彼女いないし」
「へぇー、彼女いないんだ?すぐにできるのに」
「できないよ」
「私が付き合ってきた人の中で、マサト君が一番優しかったよ」
「・・・・・」
あんな酷いことしたのに?
「なんて言うのかな、マサト君の中の深い場所、表面じゃなくて、本質的な部分」
「・・・・・」
「まっ、なんかあったかいってことだよ」
「じゃあ、なんかありがとう」
恥ずかしさを誤魔化すために、俺はビールを一気に飲み干した。
「私ね、今付き合ってる人がいて、もうじき結婚するの」
「え?そうなんだ。おめでとうございます」
「ありがとう。でもね、私、その人のこと、きっと愛してないの。多分、向こうも気付いてると思う」
「え?それなのに結婚するの?」
「おかしな話しでしょ」
「うん、おかしい。好きじゃない人と結婚するなんて、俺なら絶対できない」
「そういうとこ」
「・・・・・」
「もしも、あの日に戻れたらさ、戻れないか」
と絵美里ちゃんは1人呟くと、「お酒頼んでくる」と席を立った。まだ飲むのか、俺はもう充分酔っ払っているぞ。けど、飲まなきゃやってられない日もあるのだろう。絵美里ちゃんの壮絶すぎる人生に比べ、自分のペラっペラな人生が情けなくなった。そんな時は、酒だ。よし、とことん付き合ってみせる。
なんだかんだ終電には余裕で間に合う時間だった。バーを出ると、駅の方向さえわからなくなっていた俺を、絵美里ちゃんが駅まで送ってくれるらしい。さすがに、駅まで辿り着けないという事はないが、絵美里ちゃんといる時間が楽し過ぎて甘えてみた。冬の匂いはまだしていなかったが、絵美里ちゃんが薄着に見えたので、着ていたジャケットを脱ぎ絵美里ちゃんに、「駅までだけど」と渡した。絵美里ちゃんが、「ありがとう」とそれを羽織った時、初めて絵美里ちゃんに気の利く事をしてあげられた気がした。
「そう言えば、川島君て今どうしてるの?」
「就職した」
有希とは昔みたいに連絡を取り合う事もなくなったが、その情報は共通の仲間から聞いていた。
「やめちゃったんだ。一度もライブ見に行ってあげられなかったな」
並んで歩く絵美里ちゃんの横顔が本当に申しわけなさそうだった。
「あいつにはあいつの道がある、って事にしてる」
「マサトにはマサトの道がある」
と絵美里ちゃんが微笑みながら返した。
「イエス。エミリにはエミリの道がある」
「あ」と思わず立ち止まってしまった。
「聞くの忘れてた」
「なに?」と絵美里ちゃんも立ち止まった。
「どんな人なの?結婚する人」
「元プロ野球選手」
すごっ。
「野球詳しい?」
「いや、全然」
「じゃ、言ってもわからないか」
と絵美里ちゃんが再び歩き出した。俺もそれに付いて行く。
「えっ、だれだれ?」
「ピッチャーやってた人」
「ピッチャー?すごっ。得意球は?」
「え?私も野球詳しくないからわからないけど、スライダー?がすごかったみたいなのは、聞いた事あるような」
「あっダメ」
「え?」
「男なら直球勝負っしょ」
「でも、スピードも速かったみたいで、150キロくらいは出るみたいだよ」
と絵美里ちゃんが負けじとなのか、言い返した。
「全然ダメ。150キロじゃ伝わりません」
「・・・・・」
「エミリちゃん俺はさ、いつか300キロのストレートを投げるよ。そうすれば絶対伝わるから」
声が少し大きくなってしまった。気付くと絵美里ちゃんが横にいなかった。振り返ると、
「え?」と一瞬目を疑った。立ち止まっている絵美里ちゃんの目から涙が溢れた。
「エミリちゃん・・・」とそっと近づくと、
「そういうとこ」
と小さく吐き出し、先に行ってしまった。えっ嘘でしょ?なにこれ?俺、なんか変な事言ったかな。だとしたら、ごめん、絵美里ちゃん。酔いが覚める程の気まずい空気の中、俺はトボトボと絵美里ちゃんのけつを追っかけた。
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