第18話 縁
劇場公開映画だからなのか、スケジュールには幾らか余裕があった。台本を貰ってから、今日のこの衣装合わせと本読みまで2週間以上時間があった。クランクインも1週間以上先で、初めてゆっくりと役作りができた。いつもなら、スケジュールに急かされて役作りもくそもなかったが、今回は、急な休みでバイト先にあまり迷惑をかけることもなく、メンタル面や肉体面のコンディションも非常に良かった。ただ、唯一の問題というか、懸念点は、ヒロイン役の桜木マロンちゃんと上手くかみ合うかだ。ある意味で。
会議室には、メインどころの演者が自分を含め6人いて、俺の隣に前野礼二監督、助監督さん、衣装さん、メイクさん、その他スタッフさん、原作が漫画なので、原作者の先生も来ていた。もう衣装合わせは終わっていて、マロンちゃんの到着次第で本読みが始まる。
「柏原君、これが本編デビュー作なんでしょ?」
隣にいる前野監督がぼそっと言った。
「はい、オリジナルビデオばっかやってて、なかなか劇場公開作品には呼ばれなくて」
「でも、山城作品たくさん出てるじゃん。いい監督だと思うよ」
「僕もそう思います。宇田さんとも、山城さんの作品で出会って」
前野さんは、インディーズ時代に宇田さんとよく仕事をしていて、俺なんかより宇田さんの事をよく知っていた。
「本当は、宇田君もこの作品に呼びたかったんだけど、スケジュールが合わなくてさ。彼売れてきちゃったから」
「宇田さん、前野さんのよく出てますもんね。『立入禁止区域』とか僕めちゃくちゃ好きです。山城さんとは全く違うタッチですけど、面白かったです」
「おっ、見る目あるね。あれ、22分ワンカットなんだよ」
「ですよね、僕長回し好きで、山城さんはよくカット割るから、いつか長回しで撮ってもらいたいなって」
「俺長回ししかしないからな」
誰かの携帯が鳴った。助監督さんだ。耳に当てて会議室を出て行った。が、直ぐに戻って来て、
「監督、桜木さん間もなく到着するそうです」
と前野さんに伝えた。
「やっとか。了解。皆もうすぐ始めるんで、今の内にトイレに行くなり吸うなりしといてね」
と前野さんが伝えると、「はい」と何人かが席を立った。俺も一服しておこうと席を立った。緊張していないと言えば嘘になる。ついにこの瞬間がやって来た。そう思うと、急に尿意を催した。人生とは、本当に何が起こるかわからないものだ。
洗面台で手を洗い、入念に髪型を整えた。香水はさっきつけたからまだ香りが残っているだろう。こんな風に異性を意識してるようじゃ、役者としてはきっとまだまだなんだろうな。役のことだけ考えられていない証拠じゃないか。俺は、鏡に映る己の顔をジッと見た。27歳という年齢は、少しは、「味」というものがにじみ出てきてもおかしくないのではないか。俺の表情にその、「味」はなかった。まだまだ若い青年の面構えをしている。こんなんじゃ、『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロにはなれない。いや、別になる必要もないか。
コツコツと廊下を急ぐヒールの音が聞こえた。遠ざかる間もなく、ガチャンとドアを開ける音にかき消された。トイレのすぐ隣が会議室だ。目撃したわけではないが、それがそうだとわかった。俺はトイレを出た。会議室までのたったの5メートルが、スローモーションに感じた。ドアを開けると、前野さんに頭を下げる2人の後ろ姿が見えた。俺は、2人に近づいて行く。前野さんが俺に気づいた。
「あっ、彼が主演の柏原君です」
と俺を紹介した。2人が振り返った。女性の方と目があった。
「桜木マロンです。遅れてしまって申しわけありません」
お久しぶりです、絵美里ちゃん、と心ではそう言っていた。
「いえいえ、僕は大丈夫ですので。あっ、柏原マサトと申します。よろしくお願いします」
なんだこのよそよそしさは。絵美里ちゃん、いやマロンちゃんの男性マネージャーも丁寧に謝ってくれた。だから俺も丁寧に頭を下げたけど、それどころじゃないんだな、今は。今、俺の目の前には、AV女優となった絵美里ちゃんがいるわけだ。向うも間違いなく気付いてるはずだけど、仕事にプライベートを持ち込むわけにはいかないだろうし、俺もどう反応したらいいかわからない。それにしても、何で気づかなかったんだ?有希は知ってたのか?いや、知ってたら俺に言うか。一体何年振りだ?7年か。7年間一度も会ってないのか、そうだ、俺はよく酔っぱらって携帯をなくしたり壊したりして、何度も番号が変わってる。だから、絵美里ちゃんの連絡先が消えてたんだ。消えてた事にすら気づかなかった。最低な野郎だな、俺は。けど、こうして会うとやっぱりいい女だ。めちゃくちゃ綺麗になってる。俺に連絡はしてくれたのかな。だとしたら気まずいな。
「じゃ、本読み始めましょうか」
と前野さんが言ったので席についた。助監督さんに言われ絵美里ちゃんが俺の隣に座った。まあそうか、ヒロインだもんな。いい匂いがした。気持ち悪いな、俺。絵美里ちゃん、なんかこんな奴でごめんなさい。
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