第15話 海
野球少年達のはしゃぐ姿を眺めていると、ガキの頃を思い出した。小学校が終わると仲間とダッシュしてこの公園を占領したっけな。ガキがカラーボールとカラーバットで野球をするのには丁度いい広さで、二つ三つある遊具も邪魔にはならなかった。家から目と鼻の先の距離だけあって、陽が沈むギリギリまで遊んで帰っても親に何も言われなかった気がする。もちろん今はこの公園の中に入る事はほとんどなくなったけど、たまにこうしてベンチに座ってボーっとしてると心が落ち着くんだ。缶ビール片手にね。ボーイズラブの撮影が終わってからは役者の仕事が入ってなくて、今は居酒屋のバイトだけしてる。要するに暇なんだよ。だから今日は有希と夕方から車でどっか行くことにしたんだ。もうすぐこの公園まで迎えに来るから、俺は仄かにし始めた夏の匂いを感じながらここでくつろいでるんだ。ガキの頃の自分が今の俺を見たら、だらしないオジサンに見えるんだろうな。けどよ、「マサト、お前は結構頑張ってきたんだぜ。ビールぐらい昼間から飲んでもいいじゃないか」って言ってやりたいよ。ガキの頃のマサトじゃないけど、さっきからチビ助が俺の方をジッと見てる。
「お酒飲んでるの?」
とチビ助が俺に少し近づいて言った。
「違うよ、ジュースだよ」
とっさに何故か嘘をついてしまった。
「知ってるよ、それビールでしょ」
「へぇー、よく知ってるね」
と俺は、スーパードライを一口飲んだ。まだぬるさは感じなかった。
「パパがいつも飲んでるの」
「お父さんビール好きなんだね」
「パパね、おさけ飲むとね、大きな声でママを怒ったりね、たたいたりするの」
酒乱やん。一瞬言葉を失った。
「ママかわいそうだね」
と言うしかなかった。
「だからぼくね、大きくなってもおさけ飲まないんだ」
「偉い。お兄さんも見習わなきゃ。ぼく名前はなんて言うの?お兄さんは、マサト」
「アサヒ」
車がベンチ裏の路上に停車したのがわかった。有希のポンコツBMWだ。よりによってアサヒかぁ。ビール飲むだろ、絶対。
「アサヒ君、お兄さんお友達が来たから行くね。バイバイ」
と俺は、スーパードライを飲み干し、ベンチ横のゴミ箱へ捨てると公園のフェンスを乗り越えた。アサヒが駆けて去って行くのが見えた。俺は、路駐する赤い車体へと急いだ。有希には開口一番今のアサヒのエピソードを話そうと思っていた。助手席のドアを開けるともちろん有希が運転席にいた。スーツ姿で。
「あれ?何でスーツ?」
「面接」
中へ乗り込みドアを閉めると俺は確認した。
「なんの?」
「会社」
理解した。アサヒの話しが吹っ飛んだ。シートベルトを閉めると同時に有希の左手がアクセルを掴んだ。車体がゆっくりと動き出した。
駅前のショッピングモールの地下にあるこのフードコートには有希とよく来ていた。有希が駅前で弾き語りをしていた頃にはまだなくて、3,4年前に建てられたのを覚えてる。千葉の中心部の街とはいえ、都心程の喧騒はもちろんなく、この建物が建てられたお陰で、幾分か賑やかさが増した。周辺住民はこぞってここで買い物を済ませているんじゃないかと思えるほど、一時は人で溢れていた。俺も服以外の物はほとんどここで揃うんじゃないかと思ってる。できて数年たった今は、さすがに客足は落ち着ちたが、俺等にとってこのフードコートは、変わらず癒やしの場だ。今日に限っては、そんな事もなさそうだが。
テーブル席で有希と俺はたこ焼きを食べてる。有希の箸はどんどん進むが、俺は正直食べる気もしない。丸い有希の頭を、たこ焼きみたいな頭しやがって、とよくイジったものだが、冗談を言っている余裕などなかった。無言に耐え兼ねたのか、有希が口を開いた。
「結構でかい会社なんだよ。受かったらラッキーだな」
「・・・・・」
たこ焼き頭のくせに、スーツがよく似合っていた。
「別に今日の会社じゃなくてもいいんだけどさ」
「ずっとパソコンいじってたもんな」
「そう言う時代だからな」
「似合ってるよ、スーツ」
「そうか?マサトの方が似合うんじゃねぇか?」
「俺はきっと似合わないよ。着ることないだろうし」
ようやく俺は3個目のたこ焼きに手をつけた。
「けど、パソコンは絶対にできた方がいいよ、特に俺みたいな奴は。7割エロ動画見てっけど」
「美波ちゃんが泣くな」
たこ焼きをがっついていた有希の箸が止まった。
「そのことなんだよ」
「ん?」
「ちょっと海でも行かねぇか?」
「海?幕張?」
「そうだな」
気分的には丁度良かった。俺は、「いいよ」と答えると、渋々たこ焼きを口の中へ掻き込んだ。直感的に、有希に良き事が起こっていない事は感じとれた。たこ焼きを平らげた俺等は、そそくさとテーブル席を後にした。
汚い海が目の前に広がっている。だが、海にいるというだけで、幾ばくかの安らぎを俺は得られる。砂浜に有希は入れないから、砂浜と歩道の間の、ちょっとした段差の所に俺等は座りこんでる。有希は車椅子のままで、ジャケットを膝の上に抱えてる。俺の鼻がイカれているのか、さっきから勢いのよい風が吹き続けているが、潮の香りはあまり感じられなかった。潮だろうが磯だろうがそんなことはどうでもよくて、この吹きすさぶ風は、有希が今抱えている絶望を吹き飛ばしてはくれないのだろうか。ここへ向かう途中、美波ちゃんとの一部始終を俺は聞いていた。そんなことってあるのかよ、これが俺の率直な感想だった。こいつと美波ちゃんは別れたんだ。
「結婚すると思ってたよ」
有希がジッポで煙草に火をつけ、Yシャツの袖を捲りながら言った。
「・・・・・」
上手い言葉が見つからなかった。ごめん。
「7年近く付き合って、メールで別れよう、か」
「・・・・・」
「今はそういう時代なのかね」
ようやく言葉が思い浮かんだ。
「時代関係ないと思うぞ」
そうだろ?メールってさ、そりゃねぇよ。
「海っていいよな。汚ったねぇ海だけど」
と有希が話題を変えた。こいつと俺はたいがい同じ事を感じてるんだ、多分。俺も煙草に火をつけた。100円ライターでも奇跡的に火がついた。
「原因は本当にわからないのか?」
「わかんね。急にだよ」
話題を戻したくせに、かける言葉がなかった。だから、また話題を変えるしかなかった。
「ライブはやんないのか?」
「あと一回はやる。ソロだけど」
「えっ?」
「解散したんだよ、バンド」
「・・・・・」
「けど、まだ一回残っててさ、来月」
「・・・・・」
「まあ見に来てくれや、客入んねぇと思うけど」
「どこでやんだよ?」
「渋谷のエルトロ」
「いい箱じゃん・・・」
どこのライブハウスかなんてどうでもよかった。バンドが上手く行ってないことは知ってたし、フジモンが抜ける抜けないの話しも聞いていた。けど、解散するとまでは思っていなかった。有希は本気で就職するつもりだ。
「本当はさ、こんなの着たかねぇんだよ」
と有希がいきなり膝の上のジャケットを砂浜に投げ捨てた。
「・・・・・」
「でもよ、いつまでもギター少年てわけにはいかねぇだろ」
「・・・・・」
「俺はさ、いや、こんな事言ってる時点で俺はもうロックでもパンクでもないんだよ」
「・・・・・」
「ビジュアル系でも聴こうかな」
「ロックの神様にぶっ飛ばされるぞ」
「ギターでぶん殴ってほしいよ。けど、俺の前には現れないよ」
「・・・・・」
「わりぃ、ジャケット取ってきてくれよ。もう行こうぜ」
俺は、有希の代わりに砂浜に放り投げられたジャケットを取りに行った。軽く砂を払い、有希に渡すと、「サンキュー」と言って受け取った。その時に、有希の左腕の前腕に切り傷のようなものが見えた。捲くられたシャツの袖口から、顔を覗かせていた。
「・・・・・」
有希が車輪を回転させた。俺は無言で有希について行く。初めて見たはずなのに、以前も見たことがあったような気がした。あの傷はどこまで伸びているのだろうか。今の有希の心の傷と、どっちが深いのだろうか。追い風が俺等の歩く速度を早めさせた。これか。潮の匂いがした。
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