第14話 BAD TRIP

 「ダッチワイフ物語」がリリースされた辺りから、同種の仕事が徐々に舞い込んで来るようになってきた。山城さんには、また別の作品で主演で呼んでもらったし、他の監督、プロデューサーからも声をかけてもらった。オリジナルビデオは、クランクアップしてからリリースされるまでのスピードが早くて、自分の出演作品が次々とレンタル屋に並んだ。だからと言って、この狭いアパートから母ちゃんを連れて引っ越せる程の余裕なんてなく、まだまだバイト暮らしだ。雀の涙程のギャラでも、仕事があるだけまだましで、最近あまりライブ活動をしなくなったホープレスが少し気になっていた。有希はいつもパソコンをいじってばっかだし、音楽の話しもあまりしなくなった。有希、俺だって別に上手く行ってるわけじゃないんだ。今回引き受けた現場だって、BOYS LOVEだぜ。ありがたいことに主演で、バレンタインに実は好きだった男とやっちゃうって設定だ。いくら芝居だからと言っても、男とキスなんかしたかねぇよ。それに何より、今こうして読んでる台本、内容がクソ過ぎる。何度読んでも頭に入ってこないし、中身がペラッペラだ。腐女子さん達に需要があるから制作されるんでしょうけど、本当は出たくなんかないよ。けど、歯を食いしばったんだ。だってやるしかないじゃん、売れてないんだから。だから有希、パソコンなんてギターでぶっ壊しちゃえよ。せっかく才能あんだから。こんなこと絶対直接は言わないけどさ。


 母ちゃんに酒と煙草の買い出しを頼まれたついでに、近所のTSUTAYAへ寄った。特に借りたい映画があったわけじゃないけど、ここは落ち着くんだ。好きな映画に囲まれてるし、TSUTAYAだけあって田舎でも品揃えが豊富だ。だって俺のアンダーグラウンドな作品が全て揃ってるんだぜ、需要あんまないのに。たまにレンタルされてるのを見かけると驚くよ。嬉しいけど。有希とも夜のこの時間帯によく来るんだ。あいつも映画が好きなんだけど、ここはエレベーターがないから、映画コーナーがある2階へ行くには、店員を1人呼んで、車椅子の片方を俺、もう片方を店員が持って階段を上がるんだ。下りも一緒だね。せめてエスカレーターでもあれば、上りも下りも俺があいつの後ろに立って車椅子を押さえるだけで済むんだけど。こんな事してるの俺らぐらいで、駅なんかじゃ駅員がよく驚いてるよ。面倒くさいし、もうずっとこのスタイルだから、それが普通っていうか。

 大体俺がチェックするのはさ、邦画でも洋画でも準新作か旧作なんだけど、たまたまパッケージが気になった邦画の新作があって、出演者をチェックしてたら俺の好きな俳優さんばっか出てたんだ。その中に宇田さんの名前が入ってたのは驚いたね。番手で言ったらだいぶ後ろの方だとは思うけど、それでも羨ましかったし悔しかったよ。好きな監督の作品だし。宇田耕平さんは、3つ上くらいの先輩で、「マンゴー学園」の時に共演させてもらったんだ。自主映画上がりの人で、ナチュラルで独特な芝居をするんだ。マンゴー以外でも一度共演してて、よくしてもらってる。2ヶ月前くらいに飲みに連れて行ってくれた時には、「いつまでバーテンせなあかんねやろ」って言ってたのに。


「自分1人で入るとするなら、絶対にこのバーは選ばない。表に映画のポスターやチラシがたくさん貼ってあるのは魅力的だけど、何より入りづらい。アパートの一階がバーになっていて、外から中がほとんど見えないようになってる。入ってしまえば静かで落ち着く雰囲気だが、宇田さんの紹介がなければ一生縁が無かったかもしれない。そもそも下北沢なんて、有希のライブを見に何度か来たことがある程度だ。

「便所のポスター見た?」

と隣に戻って来た宇田さんが言った。「はい」と答えた。

「杉浦君の名前入ってたで」

「マジっすか?」

「うらやましいわー」

共演した時に思ったけど、杉浦君もいい役者だ。セリフは覚えてこないけど。

「宇田さん、次何か決まってるんですか?」

「ちょろっとな。せやけど、全然飯は食われへん。いつまでバーテンせなあかんねやろ」

「俺、宇田さんの芝居好きっすよ」

「ほんま?ありがとう」

普段なら絶対頼まないラムのロックを口に含み俺は続けた。

「杉浦君とはタイプが違いますけど、二人ともなんか、伝わってきます」

「柏原君も伝わってくるで」

「俺は、まだまだ三文役者っすよ」

「そんなことないて。なんで売れへんねやろ。イケメンやし」

「俺、演技って何なのか、未だによくわからないんですよね」

アルコールの魔法か、本当に心の底から思ってる事が言えた。

「皆そうなんちゃう?そんな簡単に答えわかったらおもんないやん。ええか悪いかは監督が決めんねん」

宇田さんの言葉に安心した。なんとなくそんな風な事を言ってくれるんじゃないかとは思っていた。

「俺も演技なんてようわからんよ。次の現場もちょい役やし。髪の毛薄なってきてるし」

チラ見してしまった。

「目線感じたで」

「えっ、何がっすか」

「チラ見したやろ」

「してないっすよ」

と笑ってしまった。

「笑ろてるやん」

この感じは笑うでしょ。

「貸すのやめよかな」

あっ金借りるんだった。

「あっ、すみません」

「2万やったっけ?はい」

と宇田さんが財布から札を抜き取り俺に渡した。宇田さんの吸う、ショートホープの煙が眼前を白く濁した。

「ありがとうございます。すぐにお返ししますんで」

「ええねん、余裕できたら返してや」

「わかりました」

と俺は札をすぐにポケットにしまった。26も半ばになって、人様から金を借りるなんて情けなかったが、安いギャラとバイト代だけでは生活が厳しかった。正直に言うとさ、パチンコやっちゃったからなんだけど」


「返してねぇや」

心地よい夜風がシャツを揺らした。コンビニを出て缶ビールに口をつけると思い出した。そうだ、宇田さんに2万返してなかった。母ちゃんの酒と煙草入りの袋を手にぶら下げながら、俺は頭をふる回転させ金の計算をした。家からすぐ近くの公園まで差し掛かると、確信を得た。いける。俺はすぐに携帯を取り出し、宇田さんに電話をかけた。

「えっ」と俺は思わず声を出してしまった。

「こちらの電話番号は、現在使われておりません」

えっなんで?宇田さんどうしたの?ショックのあまり立ちすくんでしまった。俺は缶ビールを一気に飲み干し、目の前の自動販売機のゴミ箱へ放り投げた。母ちゃんに買い物を頼まれてなかったら、この夜の公園でしばらくボーッとしたいくらいだ。2杯目が必要だ。俺は母ちゃんの焼酎に手をつけようとしたがさすがにやめた。代わりに煙草に火をつけると、誰もいない夜の中を、目と鼻の先の自宅へ向かい歩き出した。

 家に着くと母ちゃんが、「遅かったわね」って。言われると思ってた。「ごめん、映画何借りるか迷っちゃって。借りなかったけど」と俺は袋をテーブルの上に置くと、そそくさと自分の部屋へ入った。母ちゃんの、「ありがとうね」は無視して、ベッドに横たわった。

「そう言えばこの前、葵小の前でユキ君とばったり会ってね、マサト君は、今映画にたくさん出てて凄いんですよ、て言ってたわよ」

と薄い壁の向こう側から母ちゃんが言った。ばったり会うなよ、母ちゃん、そして有希。

「どんな映画に出てるの?」

聞かれると思ったよ。

「えっとねー、ボーイズラブ」

って言うと思うか?俺は、母ちゃんには一切出演作品の話しはしてない。「ダッチワイフ物語」を物語れるわけないだろ。俺は適当に、「ヒューマンドラマ」って言っといた。有希のやつ、余計な事をしてくれたぜ。俺はベッドから起き上がり、自分の酒を買いに行く事にした。

「自分の酒買うの忘れた」

と俺は素早く玄関に向かった。

「郵便そこ置いといたわよ。請求書じゃない?」

と母ちゃんがテーブルの上の何通かの郵便物に目線を送った。

「ちゃんと払ってるの?」

「後で払う」

と俺は玄関を出た。薄暗い通りへ出るとすぐに思った。ん?何枚もあったぞ。あれを全て支払ったら宇田さんに2万返せるのか?ん?その前に宇田さん携帯の番号変えてるじゃん。俺は教えてもらえなかったわけだ。宇田さん、それは凹むよ、さすがに。


「闇の中にいる。ここはどこだ。かすかに扉が見える。見覚えがある扉だ。思い出した。有希の家の玄関だ。ノブに手を掛けた。ガチャ。扉が開いた。俺は土足のまま、暗い誰もいないリビングをゆっくりと進む。一番奥の部屋から淡い光が漏れている。有希の部屋だ。ドアが半分開いている。そっと中へ入ると、淡い光の正体に気づく。部屋中に、無数のキャンドルが焚かれている。その明かりで、奥のベッドであぐらをかく有希が浮かび上がる。上半身裸で、体中傷だらけだ。その太い腕の先には、割れた瓶の大きな破片が握られている。有希の視線を感じた。

「なぁマサト、人生って痛いよな」

フードで顔を隠した俺は、何も答えない。

「・・・・・・」

「こうしてるとさ、ほんの一瞬だけ痛みを忘れられるんだよ」

「・・・・・・」

有希が左腕の前腕を切り裂いた。血がだらりと流れた。

「そのギターケース開けてみろよ」

足元に閉じられたギターケースが置いてある。

「お前の未来が見えるぜ」

「・・・・・・」

「怖いよな」

「・・・・・・」

「なら俺が開けてやるよ」

有希がベッドから下りてあぐらのまま腕の力で突進して来る。俺は、棒立ちのままで・・」

 目が覚めた。起き上がるのに時間がかかった。一体どれだけ飲んだんだ。部屋に空き缶はなかった。母ちゃんが片付けてくれたんだ。もう家には俺だけだった。陽射しが眩しかった。陽当りだけはいい家だ。煙草を消すと再びベッドに倒れこんだ。ボーイズラブかぁ、と俺は蚊の泣くような声で呟いた。










 


 

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