第2話 青空
21時を回っていた。改札を抜けると東京から千葉の景色へと変わった。駅前にはデパートや飲食店、雑居ビルが立ち並ぶが、人気が多いというわけではない。少し歩けば静かな街並みへと変わるが、ついさっき別れを告げた世田谷のあの街とは違う。一応は千葉の中心部だ。駅や駅前の敷地はだだっ広いし、駅を出ればそれなりに大きな建物に囲まれる事になる。住み慣れた街だ。正確に言えば、実家まではこの駅から更に乗り換えをしなければならないが、仲間とつるむのはこの街が多かった。今から会うその仲間とも、よくここで暇を潰している。まだ家には帰りたくなかった。俺はキオスクで缶ビールを購入し、歩きながら一気に半分程飲み干した。
目線の先に、有希(ゆき)の姿が映った。近づくにつれ、あいつが何を歌っているのかがわかった。ビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」だ。センスがいいと思った。俺もこの曲が好きで、周りに聴いてる奴はいなかった。十九でこの曲を聴いてる奴の方が、もしかしたらおかしいのかもしれない。俺は、有希の正面に座り込んだ。缶ビールを置き、煙草に火を付ける。有希は気にせず歌い続けた。まるで、ジョン・レノンが憑依したかのように、ギブソンの音色と歌声が夜の駅前広場に響き渡っていた。アルコールと相まって、俺の中の憂鬱と失望を麻痺させた。足を止める奴はいなかったが、この曲と有希の歌を聴いて何も感じない奴は大した事ないと思った。
有希の歌が唐突に止まった。
「わりぃ、ちょっとギター見ててくんね。便所。」
とギターを置くと、素早く車椅子をターンし有希は駅の中へと消えていった。あいつを見てると、つくづくアグレッシブな奴だと思う。いつも一緒にいると慣れてしまうが、そもそもあいつは車椅子だ。中二で同じクラスになった時にはすでに今の状態で、小学校の時に事故にあって歩けなくなったらしい。一生だ。普通なら心折れてもおかしくはないと思うが、あいつは今バンドを組んでるし、路上でも歌う。おまけに金髪だ。こういう奴が将来大物になるんじゃないか、と直感的に思った。
便所から戻って来た有希は、煙草をくわえチューニングを始めた。俺は地べたに座り、壁にもたれボーっとしている。缶ビールは既になくなっていた。
「そのギブソンめっちゃいい音鳴るな」
適当に言ってみた。
「だろ。買ってよかったよ」
と有希は目の前を通り過ぎる若い女を眺めながら適当に返した。
「ちょっと弾かせてよ」
と俺が言うと、有希は無言でギブソンのギターを俺に渡し、再び通り過ぎる女のけつを目で追い始めた。俺は知っているコードをぽろぽろと鳴らしてはみたが、すぐにストロークを止めた。
「なあユキ」
有希が振り返った。
「あ」
「俺、劇団やめちったよ」
「え、マジ?確かまだ入ったばっかじゃん」
「半年」
俺は生気のない声で答えた。
「みじか」
確かに。ギターを鳴らし、気持ちを紛らわせた。
「で、どうすんのこれから」
「わっかんねぇ。なんもなくなっちった」
有希は煙草を地面で消すと、はっきりと言った。
「じゃあさ、バンドやんねぇ?」
有希の言葉に驚いた。
「バンド?バンドってユキと?」
「イエス」
「お前バンド組んでんじゃん」
「ベースが就職すっから抜けんだよ」
「・・・」
「マサトは顔がいいから絶対人気出るよ。ピストルズで言ったら、シド的な」
一瞬、考えてしまった。
「いや、俺ラリってねぇし。まだ死にたくねぇし」
有希が瞬時に車椅子を漕ぎ始めた。水商売風な若い女を追いかけている。そんなに女が好きか、と呆れもしたが、感心もした。あいつの行動力は見習うべきだ。振られて戻って来るあいつの表情に落胆の様子は伺えない。俺はつい言ってしまった。
「お前根性あるな」
「なぁマサト、バイトは探してないのか」
ケロッと有希が言った。
「バイト?」
「ピザ屋のバイトもやめちゃったんだろ?俺今新しいバイト初めてさ、一緒にやらないか?」
このままじゃまずいとは思っていた。俺は今無職だ。社会的に言えば、クズ。有希の言葉にすがりたかったが、予想外の事が二つも飛び込んで来て少し戸惑っていた。バンドにバイト。どちらも全くもって悪い話じゃなかったが、ほんの少しだけでいいから休みたかった。頭の中を冷静にする必要があった。
「ちょっと考えてみるよ」
俺がそう返すと、有希は「頼んだなり」、とふざけて返し、俺からギターを取り戻した。そして、すぐに弾き始めた。歌の世界へ入り込んでいく有希。ザ・ブルーハーツの「青空」だ。やはり有希はセンスがいい。曲の中でヒロトは、「運転手さんそのバスに、僕も乗っけてくれないか。行き先ならどこでもいい」と歌っている。まさに俺もそんな気分だった。有希が歌い始めた。金髪で車椅子の有希が、少年に見えた。金髪のギター少年が夜空の下で「青空」を歌っている。それでいいと思った。
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