026譚 別れと再会と(上)


 黎明の光に包まれた室内で、その聖騎士の男は文を受け取った。

 つい先程手紙だ。その文字の記されているだろう一枚の紙を開き、目を通すと、その男は深く嘆息する。

 そして、僅かにその瞳を揺らすと、手紙を蠟燭の火で燃やした。その燃え殻はびゅうっと吹き付ける北風に運ばれて、領地から遠く離れたどこかへと運ばれて行った。










「おい」

 

 ケルバンの濃淡のない声で、アラニスは我に返った。

 視線を上げれば、馬の手綱を引いて歩く、すらりと背の高い傭兵の姿。

 ここは聖騎士領ガヴェインから王都サラスへ続くバル街道。曇天の空の下、周囲には雪に埋もれた木々が生い茂り、鬱蒼としている。

「ぼさっとして、馬から落ちるなよ」

 低く言い鳴らされたケルバンの言葉に、アラニスは背筋を伸ばす。


「ごめんなさい」


 馬は一頭しかいない。あの日、ガヴェインで急ぎ色々と買い揃えたが、そうすべてが思い通りに揃うわけではない。値段の兼ね合いもある。必要最低限の携帯用の干し肉や水、毛布なんかが揃っただけマシと言えよう。

 そんなわけで結局馬はこの一頭だけ手に入り、旅荷とアラニスを運ぶのに使っているというわけだ。

 気不味い沈黙に、アラニスはそわそわした。久しぶりのふたりっきりだ。いや、そもそもほとんどをマカヴォン傭兵団とともに過ごしたので、考えてみればふたりの会話ってなんだっけ?な状態。

 

「ま……マカヴォンさんたちはガヴェインに残ったんですね」

 

「冬が本格化したら、どうせ外には出られない」

 背を向けたまま返すケルバン。答えてはくれるらしい。無視をされたらいたたまれない気分になるところだ――とは言っても、すぐまた静寂が下ろされてしまう。会話が続かない。その冷たさのある沈黙にアラニスはたじろぎながらも、言葉を継ぐ。


「冬、もっと厳しくなるんですね」

吹雪ふぶく」

 完結すぎる答え。

「でも良かったです。領主さんに雇ってもらえたんですよね」

「そうだな」


 黙って座っていろ。そう言わんばかりに素っ気ない返答。元々こんな男だったような気もするが、なまじマカヴォン傭兵団の喧しさを知った後では、その静けさが異様に感じてしまう。

 びゅうっと強い風が吹き付けた。

 向かい風で、容赦なく曝け出した顔を冷やす強い風だ。後ろで編んで垂らした黒髪がさらわれて、引っ張られそう。毛皮も着込んでいるというのに何とも寒い。アラニスはついその気持ちを声に出してしまう。

 

『寒っ』

 

 しかも自国の言葉で。咄嗟に出るのはやはり、故郷の言葉だ。

「これ持ってろ」

 ケルバンはそう言うと、何かよくわからない、布に包まれた物を投げて寄越す。

「……これ、なんですか」

 布を捲れば、手の平で覆えるくらいの岩片のようなもの。少し赤く光っている。まるで中に熱を籠めたような――いや、これは熱だ。中に神々から借りた「運動(熱/上昇)」の力を押し留めている。つまりこれは懐炉カイロだ。

「ヨビカケ使ったんですか?」

「それくらいは簡単にできる」

「へえ……」

 抱きかかえるとじんわりと温かい。神々の力をお便利ツールに使うとは恐れ多い……と信心深い人々なら言いそうだ。

 

「そう言えば、関門はどうやって通るんですか?」

 

 ふと思い浮かんだ疑問を、アラニスは我知らず声に出していた。

 元々、そこそこ大きい商団に混ざって通過するつもりだった。それが気がつけばマカヴォン傭兵団に混ざることになり、そしてさらには不慮の事故(というか人災)で、結局ふたりきり。顔をすっぽり隠した怪しい男と、どこからどう見ても異国から来た小娘。怪しさしかない。

「面倒で時間は掛かるが、正攻法で、普通に通してもらう」

「……もしかしてまた、顔をんですか?」

 ケルバンは時おり顔を焼いたり骨を曲げたり平気でする。

「顔を隠していなければ、怪しくはないからな」

「わたしは怪しいんじゃないですか」

 

「……そうだな。今のうちにもらうか」

 

 唐突にケルバンが立ち止まる。手綱を引いて馬も止める。

「え?」

「痛むぞ。叫ぶなよ」

「え?」

 アラニスの疑問に、ケルバンは答えない。おもむろに手袋を口で噛んで外し去り、腰元の革鞘シースから短剣を取り出す。

「あの、何を……」

 何をするつもりですか、と問う前に、ケルバンはその傷だらけの腕に短剣のを走らせた。破られた皮膚の隙間から鮮やかに赤い血が溢れ出す。

 

「〈幾千幾万の神々よ、我に力を。外を削ぐ炎と、うちを凍てる冷気を〉」

 

 捲し立てるように呟かれたのは、神詞かむことば。神々へ呼びかけるための言霊。ケルバンはおのれの血で塗り染めた手で、容赦なくアラニスの顔を覆う。

 

「――!」

 

 悲鳴すら上げられない。ジュウウと肉の焦げるような臭いとともに、全身へ痛みが駆け巡る。アラニスの顔の皮膚が焼かれたのだ。それと同時に内側から一気に冷やされて染み入る。即席の火傷痕を作り出したのだ。

「あとは髪を頭巾これで隠せ」

 お構いなしに痛みで苦悶するアラニスへ生成りの頭巾を放る。いつの間にか旅荷へ混ぜていたらしい。結婚している女ならば身に着けているものなので、頭巾で髪を覆っても何らおかしくはない。だが、とにかく痛い。

 だがそんなアラニスの傍らで、ケルバンはまた呪文を口にしていた。今度は彼自身の顔を「偽装」するつもりなのだろう。当人もかなり痛そうで、苦痛に耐えるように唇を噛み締めている。それでも今回は焼くに留めたらしい。前回はおそらく顔見知りであろう聖騎士の前だったから、鼻や顎を曲げていじったのだろう。

「よくやりますね……」

 まだ痛い。びゅうびゅう吹き付ける寒風が焼けた皮膚に染みる。

「あと少しだ。我慢しろ」

 なるほど。だから、紛れたかったのだ。商団であれば異国人がいてもおかしくないし、大きくて名のあるところであれば、商団長の顔パスで行ける。

 ケルバンはついと視線を前方へ戻すとまた、歩き始めた。その向こうには、聳え立つ大きな城壁が見え始めている。

 

「あれが、王都サラス……」

 

 アラニスは小さく呟く。雪の中へ埋めるように、その都はある。侵略の国の核たるに相応しい、大きな要塞都市だ。

「あそこに着いたら、解散だ。いいな?」

 ケルバンの言葉に、アラニスははっとする。そうだ。ふたりは雇用関係。雇う側と雇われる側。その関係は王都サラスまで。それから先は、赤の他人へ逆戻り。

 アラニスは小さく頷く。

「わかってます。ちゃんとお給金、お支払いします」

 

 その日の夕暮れ時。ふたりは王都サラスへ到着した。

 

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